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【台湾の面白い建物】張學良文化園區

新竹の山奥にある五指山にハイキングに行った際、ドライブの途中に"張學良故居"があるというので、寄ってもらいました。

西安事変で、蒋介石に対して共産党と共同して日本軍に立ち向かうべきだと諌めた張學良は、そのことを蒋介石に許されることなく、長い間軟禁状態に置かれます。その張學良が、台湾に送られた際に最初に安置されたのが、新竹県五峰鄉にあるこの場所です。ここには一年ほど住み、そのあと陽明山に送られ、最後の日々はそこで過ごしました。

この"張學良故居"には、その日ドライバーだった台湾人の友人が行ったことがあると言っていたのですが、彼がかつて行った建物は、現在改装工事中では入れませんでした。
しかし、地図で見るとそこから歩いて10分ほどのところに、"張學良文化園區"というものがあるというので行ってみました。それがここで紹介するものです。

よくよく見てみると、この施設は"張學良文化園區"であり、"張學良故居"ではありません。張學良の幽閉されていた家屋とは別の建物になります。張學良故居は現在改装中で、完成した暁には原住民のための展示施設になるようです。

この張學良文化園區の建物は、中国遼寧省が張學良の事績を記念して資金を出し、新竹縣と共同で新たに建設した展示施設でした。そのため普通の木造家屋ではあり得ない、とても広い開放的な展示空間になっています。恐らく梁の部分には鉄骨を使うなどの特別な工法を使って、このような平面プランを実現しているのでしょう。

展示そのものは、張學良の辿った軌跡を中国の東北地方から、四川から台湾に渡る幽閉時代、その間の生活風景を説明しており、とても興味深いものでした。
僕は瀋陽にある張氏帥府にも行ったことがあります。それは、瀋陽の最大軍閥であった張作霖の大邸宅、壮麗な洋館でした。その様な豪邸で生まれた張學良が、自らの良心に従って蒋介石に対し献策をした結果、その後半生をこの様な幽閉生活を送らざるを得ないことになった。中国国民党の歴史にはこの様な運命を辿った人物が少なからずいます。蒋介石は、彼らを殺さなかっただけ良心的だったのかもしれません。

この施設を見ての感想です。

一つは、このような形で、台湾と中国は共通の歴史的記憶を持っているということです。これは否定しようがありません。そして、そのような交流を通じて中国からの影響力が行使されている。
新竹縣だけでは、恐らくこのような施設を整備することができなかったでしょう。そこに中国から潤沢な資金が投じられ、そのような施設が新たに作られることになった。このようなことは、外交的な判断も伴わないといけませんが、このことが決断されたのは馬英九政権の時だったのでしょうか。

もう一つは、この建物が日本家屋の様式を破綻なく実現しているということです。このプロジェクトには日本の建築士が参画しているのでしょうか?また施工者はどうなのでしょう?
中国からの資金が入っているのであれば、彼らの意向も少なからずあったはずです。そんな組織のフレームワークの中、この様な日本様式の建物を建設するのには、とても多くの困難があった様に思います。
仕事柄、そんな事に思いが馳せました。

写真

外観は普通の日本家屋です。
住宅にしてはやたらと大きい。
張學良と趙一获
張氏帥府博物館の説明が有ります。
台湾の中国の交流によりこの施設が完成したことを
説明しています。
陝西にある西安事変の紀念館の説明
西安事変についての説明
張學良の幽閉生活の経過が説明してあります。
新竹五峰山に落ち着いた張學良
張學良文化園區
張學良と趙一获
張學良を監視した人々のことが説明してあります。

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