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note創作大賞2022

なんと1万6千人以上が応募したそうです。驚きました。
一次選考を見事に通過して喜びを嚙みしめる人、そして通過とならず悔し涙を呑む人。それぞれの人が審査結果をnoteに記事として挙げています。そこで、どうしても気になる点がありました。


『選考通過とはならなかったが、良い経験となった。ますます執筆に情熱を持てるようになった』

こういった前向きな意見を持つ方には好印象を抱きます。

『数人の審査員が面白くない作品と判断して落選したからといって、面白くないとは限らない。事実、コメントや評価ではおもしろいと言ってくれる人もいた』

こういった意見もまさしくその通りです。
ですが、どうなんでしょう。個人的にはもやもやしました。
乱暴な捉え方をすれば、「自分の作品はおもしろいはずだ。落選したのは審査員に見る目がなかったからだ、運が悪かっただけだ」という裏の心情が感じ取れました。

確かにそうなのかも知れませんが、それを公の場で言ってしまうのは果たして如何なものでしょうか。ましてや、コンテスト主催であるnoteの記事としてアップして、しかもnote運営が見ている場で、です。

個人的に思うのは、その方の書いた作品のテーマがそぐわなかったのではないかなあと思います。作品を読むのは自分ではなく、『他人』です。自分がおもしろければそれでいいは自己満足です。自分が読んでもおもしろく、他人が読んでもおもしろいと思える作品。それこそが審査員の目に留まる作品なのではないかなと私は思いました。

この作品が流行ってるからといって、その流れには乗りたくない。自分自身の感性や個性を大事にしたい。それは分かるのですが、それだけに縛られては視野が狭くなるのではないでしょうか。

自分の作品は、自分が読んでも他人が読んでも果たして本当におもしろい作品なのか。常に「客観視」を持っていたいものです。

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