威力と無力

会社で言われた。
「ロリコン犯罪があったじゃない、あの被告の陳述を聞いてたらキタナカ君を思い出したよ」
「えー、どんなこと言ってたんですかぁ?」
実は心中、穏やかではない。
「『別に罪悪感は感じていない。また同じことを俺はやるだろう』とか『某事件の犯人のように俺の名前が人の記憶に残ればよい』とか…」
それ以上聞いていると気分が悪くなりそうだったので、心の耳を閉じたまま相槌を打っていた。
だから覚えていない。

本人の名誉の為に言っておくが、決して悪気があって言ってる訳ではない。
決してロリコンな訳ではないが、「全般的にそういうキャラ」を演じている俺が悪い。
また。俺の刹那的で退廃的な側面を、敏感に感じ取っての発言だろう。
非常に鋭い。

しかし、それは俺には言わないで欲しかった。
仕事中も、家に帰っても頭に言葉が残る。
これが呪いだ。

俺が近々ロリコン犯罪に走ったら、その人を責めてくれ。
心神耗弱状態だったんだ。
ふくらみかけの蕾がえぇんじゃ!
ふひひっひぃ。(尋常じゃない目つき)

はっ!
げふげふん。
話を戻して。
嗚呼、なんと言葉とは強い力を持っているものなのだろう。

かたや。
一時間の会話よりも、頭をなでることの方が大事だったり。
十錠の薬よりも、手の平の温かみの方が大事だったり。
百篇の詩よりも、抱擁が大切だったり。

なんてね。
自分の言葉が足りない時に痛感する。
俺は人と触れ合うことによるコミュニケーションが苦手だから。
言葉を尽くしても、相手には自分の気持ちなんて伝わらないものだ。

「会話による情報の伝達で、言葉が占める割合は半分以下だ」と聞いたことがある。
表情などの視覚情報で、半分以上の情報を得ているそうだ。
しょせん、言葉なんてものは発した瞬間に意味を失うものであり、発する側よりも受け取る側にとってのみ意味を持ちうるものなんだなぁ、とか。

中々にして、思うところの多い今日この頃なのである。

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