五感について【味覚編】

動物にも味覚がある。
当然。人間にも味覚があり、「食の好み」等も存在する。
そんな、「味覚」について今回は書いてみたいと思う。

■ハリネズミの味覚

まず。
人間以外の動物にも味覚があるコトを確認していこう。
私の家では、ハリネズミを飼っている。
短命な動物でありながら市価は高く、温度が高くても低くても弱る。
人間に「慣れる」コトはあっても「懐(なつ)く」コトはない。
触り慣れれば針を立てられるコトはなくなるが、決して「もふもふ」な動物ではない。
敢えて優位性があるとすれば、「鳴かない」コトくらいかも知れない。
機嫌が悪いときに「フシュッ!」と威嚇音を立てる。
機嫌がいい時は「ひゅひゅひゅん」と風切り音のような「音」を出す。
飼っていて、実に静かな動物である。

それを補って余りある可愛さを感じるから飼っている訳だが、初代と二代目の今のハリネズミは食べ物の好みが違う。
今現在、飼っている二代目は偏食が凄い。
昆虫食の動物が大好きなミールワームでも、気分が乗らなければ残す。
運動も、回し車が大好きだった一代目に比べると少ない気がする。
二代目の彼は「鼻が悪いのではないか?」という結論に至っている。
そのせいか、身体も大きく育ってくれず少しだけ困っているが、一代目よりも長生きしてくれている。

最近。
キャットフードを買ってきて与えてみたところ、食欲が増進しているようだ。
人間は、ミールワームを食べても美味しくないだろう。
だが。一般的にハリネズミが好むミールワームよりも、うちのハリネズミはキャットフードの方が好きという訳だ。
あくまで「今の段階」ではあるが、固体別の食の好みはハリネズミレベルでもあるというコトだ。

■人間の味覚

甘い。
辛い。
しょっぱい。
酸っぱい。
苦い。
旨味。
エグみ。
等々。
人間には味覚があるが、そもそもは「毒物」か「身体にいいモノ」かを見分ける生存戦略だったのだと思う。

「苦さ」と「辛さ」については、基本的に毒物だ。
私は胃が弱いのだが、辛いモノが好きだ。
つい。辛すぎるカレーを食べたりすると、胃が痛くなり苦悶するコトになる。
どんな食べ物でも摂取しすぎると身体に悪影響はあるだろうが、辛い食物は刺激物であるコトに依る部分が多いだろう。
「良薬、口に苦し」とは言うが、それは基本的に自然の摂理に反する化学物質だから後天的なモノであると考える方が自然だ。
漢方等の自然由来である薬にも苦いモノは存在するが、例外と考えた方がいいだろう。

基本的に、人間の味覚の中で一番に好もしく思うのは「甘さ」なのだろうな? と思う。
「うまい」という言葉を漢字にすると「甘い」がある。
そもそも、「脳」の栄養は糖分しか賄えないからだ。
大昔から――。
甘い食べ物は平民の口には入らず、「やんごとなき方々」の口に入ってきた。
子供は甘い食べ物が好きだ。
炭水化物を摂取して糖分を作るよりも、糖分を直接摂取した方が「脳」は嬉しいだろう。

■偏食は「悪い」コト?

子供には好き嫌いが多い。
私自身は子供のころから好き嫌いは少なかったが、「野菜が大好き!」ではなかった。
大人になってからは、好んで野菜も食べるようになった。
「ピーマンの肉詰め」などは、明らかに大人になってから好きになったと思う。
「大人になって味覚が変わった」と感じられる方は多いのではないだろうか?

若いころに聞いた情報なので真偽は定かではないが、「(子供でも)嫌いな食べ物は、身体が必要としていない」と聞いたコトがある。
私が学生時代の先輩に、「野菜を食べずに育ってきた」方がいた。
牛丼屋に行っても、ネギを丁寧に取り除いて食べていた。
「栄養が偏ったりしないんですか?」と聞いたら、「七味唐辛子でビタミンは補ってるよ」と回答された。
七味唐辛子がビタミンを豊富に含んでいるとは思えなかったが、反論する必要はなかったので「そういうモノなのか?」と思うにとどめた。
付記しておくと、その先輩は筋肉質で「ギリシャ彫刻のような体型」をしていた。

日本人アスリートの雄、野球のイチロー選手も偏食家だと聞いたコトがある。
もちろん。
不足している栄養素はサプリ等で補っているとは思うのだが、摂取していない可能性もある。
個々人によって、必要とする栄養素の違いは多かれ少なかれあるのかも知れない。

ただし。
個人的には(身体的ではなく)精神的な主張で、ヴィーガン等の極端なベジタリアン生活を送るのは危険なのではないかな? と思う。
「植物性タンパク質で十分」と言う理屈は分かる。
元々雑食の人間が効率よくタンパク質を摂取するのに、豆類を筆頭とした植物性タンパク質で必要にして十分なたんぱく質を摂取できるのだろうか?
私は「ステーキ300g」は美味しく食べれる自身があるが、「枝豆を300g」美味しく食べる自信がない。
冷凍食品などで150gなどで販売されているが、あれは「皮も含めた重量」だ。
実際に、可食部分は半分くらいではなかろうか?


私は「見た目がグロテスク」な食べ物以外は概ね苦手はない。
※調理された「蛾の幼虫」を食したことがあるが、豆のような味がしたのだが嚥下できなかった
偏った食生活をしていると、無性に野菜が食べたくなってキャベツを買ってきてモリモリ一人で食べたりしていた。
なんともはや、青虫のような生態である。

■栄養の種類が分からない

私のような古い世代だと、「ビタミン」という言葉が主流だった。
ニンジンや南瓜から摂取できる、ビタミンA(βカロテン)。
元気が出る系のドリンク剤等に含まれる、ビタミンB群。
葉っぱ系の野菜や、レモン等から摂取できる、ビタミンC。
日光に当たるコトでも摂取できる、ビタミンD。
ゴマやナッツなどから摂取できる、ビタミンE。

栄養学には聡くはないためこの程度までしか覚えていないが、もっと先まで(たしか、ビタミンPくらいまであったと記憶する)存在する。
語源からして「ヴァイタル」だろうから、「活力を得る」という意味ではないだろうか?

昨今では、「必須アミノ酸」という単語を散見する。
「バリン・ロイシン・イソロイシン」という唱え言葉のようなCMがあったので、3種類しか覚えていない。
これらは、体内で生成できず摂食でしか摂取できないアミノ酸だ。
「はしり」としては、「燃焼系アミノ式♪」というCMソングあたりか?

恐らくではあるが、この二系統の栄養素は重複しているのだと思う。
「ビタミン」は、絶対的に存在する栄養素。
「必須アミノ酸」は、「人間が摂食すべき」栄養素。
そう考えるのが自然だ。

生物によって、体内で生成できないアミノ酸は違うのだろう。
肉食獣は、人間が肉以外から摂取する必須アミノ酸を体内で生成できる。
草食獣は、人間が植物以外から摂取する必須アミノ酸を体内で生成できる。
そうでなければ、全生物は雑食でなければ栄養不足になってしまう。

「好き嫌いをしていると、大きくなれないよ?」と子に諭す親がいる。
現存する世界最大の哺乳類である「シロナガスクジラ」は、プランクトンしか食べていない。
だからと言って、我が子にプランクトンだけを与え続けたら大きく育つわけでもない。
犬や猫を飼っていらっしゃる方々は御存じだろうが、人間の食べ物でも彼らにとっては「毒」である食物もある。
「オニヒトデがサンゴ(虫)を食い荒らす、酷い!」と言われても、オニヒトデも困ってしまうだろう。

■話を味覚に戻そう

「甘い=正義」というのは、「脳の栄養分は糖分だけ」という事実に由来するのであろう。
私は体質的に高熱を出しがちだが、発熱すると味覚が麻痺する。
平熱が三五度前後で、四〇度以上の熱が出るのだからタチが悪い。
そこまでいくと、「砂を噛むような味」という言葉が相応しいレベルで、味覚がなくなる。
むろん、食欲もガタ落ちする。

最初に戻ってくる「味」は、「甘さ」である。
子供のころは扁桃腺が腫れると高熱を出し、嚥下するのも苦痛を伴うので砂糖水を舐めていた。
カブトムシのような子供だった訳だ。
バナナが食べられるようになれば、しめたものだ。
解熱剤を飲めば、塩味も感じられるようになる。
熱が下がり始めれば汗もかけるようになるので、塩分の摂取は必須だ。
病人食として「おかゆ」があるが、糖分と塩分が摂れる最適解なのかも知れない。

しかし。
「病気」というのは極限状態だ。
ウィルスや菌と身体が戦うため「だけ」の、最低限かつ最大限の栄養素を摂取している。
日本人は「糖尿病」の因子を持っている。
必要以上の糖分のみを摂取し続ければ、糖尿病になる。
糖尿病の因子を持たない人種では、体重300kg以上の人がいたりする。
日本人だったら、そこまで達する前に糖尿病で命を落とす。

■味覚の変化

先述の通り、人間は成長とともに食の好みも変化する。
私は、子供のころから「好き嫌い」がなかった。
それは親としては喜ばしいコトだったのだろうが、「嫌い」がないだけではなく「好き」もなかった。
嗅覚が敏感じゃないコトも原因だろうが、子供らしく「ハンバーグ」とか「カレー」も別に好物ではなかった。
食卓にお呼ばれするにあたっては、「嫌い」がないのは大いに助かった。
一回だけ困ったのは、「イナゴの佃煮」が食卓に上がった時くらいか?
それでも、避けることなく食べた。
「イナゴがイケるんなら、もっと食べな!」と勧められたのには多少、閉口したが……。

齢を重ねて――。
肉よりも魚が好きになったり胸やけがしたりするのは、消化能力の低下と老化に伴う必要な栄養素の変化だと愚考する。
子供のころに「好きな食べ物は?」と聞かれて「ブリ大根」と答えた私が言っても説得力はないけれども……。

食品アレルギーについて。
「そばアレルギーはヤバい」というのは知っていたが、「小麦粉アレルギー」等は非常に厄介だろうな、と思う。
だからと言って、嫌いな食べ物を「アレルギーで……」と切って捨てるのは思わしくない。
「拒絶反応」的な意味合いで使われる「アレルギー」という言葉だが、「精神的に拒絶」しているのか「身体的に拒絶」しているかで大違いだ。
「好き嫌いがない」と書いてきたが、私にも「苦手」な食べ物が思い当たった。
「ホヤ」だ。
「海のパイナップル」と呼ばれているが、苦みとエグみが得意ではない。
他人の家で振舞われたら平気な顔をして食べてみせるとは思うが、自分では絶対に頼まないだろうと思う。
そう。
私は「ホヤアレルギー」ではないのだ。

■「偏食」や「好みが変わって」、弊害はあるのか?

ない、と思う。
必要な栄養素を摂取して、人間は生きている。
それで「健康が阻害される」のであれば問題がある。
ヴィーガンの人が「皮膚がカサカサになり、髪が抜け始めても続ける」のに関しては賛成できない。
「精神的偏食」は、決して健康的であるとは私には思えない。
拒食症でガリガリの女性についても、健康を損ねていると考えている。

先に「野菜を食べないで、筋肉質な先輩」がいると述べた。
彼が今、どのような食生活をしているかは知らない。
健康状態も存じ上げない。
病気になっていたとしても――。
それでも野菜は食べたくないならば、サプリを摂ればいい。
徹底的な精神的拒絶から、身体が「野菜を摂取するコトを拒否している」可能性も否定はできない。
私には子供がいないので、「自分の子が偏食だったら?」という問いに対する回答は持たない。

ただ。
「カレーが好きだから、ここ一年カレーしか食べていない」という人はいないだろう。
あくまで常識の範囲での偏食であれば、問題が起きた時に考えればいいと考えている。
私自身は、野菜も肉も魚も美味しくいただかせていただく。
それだけなのである。

【了】

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