五感について【聴覚編】

耳に心地いい音楽。
耳障りな音。
完全なる静寂の恐怖。
空気が振動することによって耳が感知する聴覚。
可聴音域と不可聴音域。
それを「言語として認識」できる不思議。
そんな。
「聴覚」について思うところを、徒然なるままに書いていこうと思う。

■「音楽」について

なぜ、人間は音楽を得たのだろう?
最初は――。
遠くに音を届ける「トーキングドラム」や日本の「ほら貝」など、通信手段だったのでは? とも思う。
いや、音楽が先かな……。
骨を叩き鳴らして部族の勝利を祝う、とかシックリくるもの。
音楽の三大要素「メロディ」「リズム」「ハーモニー」だったら、最初はリズムだったはずだと思う。

私はと言えば、父親がバンドマンだった。
勘違いされると困るが、父はプロのミュージシャンではない。
会社員をしながら、オーディオマニアでバンド活動もしていただけだ。
まあ。身内びいきだが、「玄人はだし」というレベルにはプレイしていた。
父の専門は「スチールギター」だったので今の世相には合わないだろうが、まあテクニカルな楽器だとは思う。

よって。
収入が音楽じゃないバンドマンだったので、楽器が家にあふれていた。
ドラムセットが置いてある時期もあったのだから、半端じゃない。
「けいおん!」世代からすると、羨ましい環境だろう。

なんとはなしに。
私は親父の持っていたベースを拝借して、自分の部屋で練習していた。
「はじめてのベース」とかの教本も買った。
ギターじゃないところが私らしい。
低音のベースラインがカッコイイ! と、当時から思っていたからだ。

ココで、一つの壁にぶち当たった。
自分が左利きだ、という事実だ。
いくら「家に楽器が多い」と言っても、左利き用までは揃っていない。
私の家は、楽器屋ではないのだ。
教本だって「右利き用」だ。
鏡に映して、運指を学ぶのか?

実にアッサリと諦めてしまった。
リズム感がなかったからではない、多分……。
少なくとも、大勢の観客がいるところでタクト(指揮棒)を振ったことが二回ある。
あれ? なんで、そんなコトになったのだろう。
中学校時代に、新入生歓迎の吹奏楽部のタクトを振ったのは覚えている。
椅子の上に立ち、最終選考に残った三人でメトロノームに合わせて四拍子を刻まされたコトまで覚えている。
因みに、私は吹奏楽部ではない。
担任が吹奏楽部の顧問だった気がするが、部活内でタクトくらい振れる人はいただろう。
うん、思い出せない。

とにかく、だ。
高校では声楽まで学んでいたし、座学でも音楽は満点に近い点を取っていたのは間違いがない事実だ。
楽器を始めたのは、「自分が気持ちいい音を出したいな」という軽い理由でしかない。
好きなバンドがあって、コピーしたかった訳でもない。
右手が、どうしても均等な速いリズムを刻めずに「気持ちいい音」が出せない以上、やめるのは必然だったのだろう。
レフティのベーシスト――。
今だったら、アニメ『けいおん!』の秋山澪だろうか?
残念ながら、男性版の秋山澪は生まれなかったのである。

高校を卒業して、逆側に振れた。
バンドブーム末期――。
若きバンドマンたちの夏が終わりを告げようとする頃。
ずっと正道を学んできた私は、「パンク」と出逢ったのだ。

私見ではあるが、所謂「パンク」には二種類あると思っている。
一つは、音楽のジャンルとしての「パンク」。
「Kill the nation!」とか「I'm a anti-christ!」と歌うタイプのモノだ。
コレが、本来の意味でのパンクだ。
「俺たちに何も与えない、国家をぶっ潰せ!」的な、ポジティブに国を憂う攻撃的な歌だ。

実は――。私は、このポジティブなパンクは苦手だった。
自分の不遇を国家のせいにするのは、責任転嫁ではないか?
「その後」には、新しい搾取が始まるだけではないのかな? という想像。
まあ。後日に聞いた感想なので、細かい意見は差し控えよう。

私が最初に出会ったのは、「じゃがたら」というバンドだった。
とはいえ、知ったきっかけはボーカルの江戸アケミ氏の訃報である。
「じゃがたら」は、過激なライブパフォーマンスで有名なバンドだった。
興味本位で聞いてみたのだが、実に「気持ちがいい音」を出すバンドだった。
後期のホーンセッションが入って、音にグッと深みも出た。
江戸アケミ氏の死後に記念リリースされた二枚組のCDである「西暦2000年分の反省」を聞いて、ハマった。
実を言えば、この「じゃがたら」は音楽としては「パンク」と言われるジャンルではない。
ポストパンクにカテゴライズされる、「ファンクロック」だ。

私は音楽性にも惹かれたが、そこに歌われる内容(歌詞)に惹かれた。
「俺はダメな奴だ」
「でも。一生懸命、頑張ってるつもりなんだぜ?」
「周りを見渡すと、俺と同じバカでダメな奴らが一杯だ」
「はたして、彼らは自分が『ダメな奴』と分かっているのか?」
「世の中には『お偉いさん』も一杯いるが、彼らだって俺から見たらダメな奴らじゃないか!」
「そうすると、俺には絶望しか残されない訳だが……」
という論調。

この考え方は、実に私の脳内で「カチリ」と音を立ててハマった。
所謂「ナゴム系」と言われる音楽は、同じ系譜だったので無作為に聞いた。
その中に「空手バカボン」があった。
大いにハマった「筋肉少女帯」の前身となったバンドである。
「人生」は「電気グルーヴ」。
「ばちかぶり」は田口トモロヲ。
いや。
彼はナレーターであり俳優か……。
しかし。Vシネマなどでの怪優っぷりを見るにあたって、同調する部分は多かった。

私はフォークを源流とする彼らを好んだ。
ポジティブなパンクとの差別化を図るために彼らをネガティブパンク、略して「ネガパン」と呼ぶようにした。
筋肉少女帯のメジャーデビューアルバムの帯には「サブミッションハードパンク」と書かれていた。
それは「当時の筋肉少女帯」を表す表現であり、私の中では「ネガパン」に属している。

はたして。私は今現在に於いても、ネガパンをこよなく愛している。
「AMAZARASHI」や「BUMP OF CHICKEN」なども、ネガパンだ。
いや。厳密に言えば、「BUMP OF CHICKEN」は優しすぎるからパンク要素は少ないかな?
私の音楽の好みは限りなく偏っているが、詳しくは下記の記事に譲る。

私は――。
どうやら、音楽性はどうでもよくて歌詞を重視しているらしい。
これでは、「音楽について」ではないではないか。
この話は、ココまでとしよう。
次は、生存戦略としての聴覚について書いてみようと思う。

■「聴覚と生存戦略」について

ウサギの耳が長いのは、肉体的な強靭さを持たない彼らが生き残るための生存戦略だったのだろう。
大抵の場合において、「弱者」は聴覚が優れている印象がある。
「万物の霊長」たる人間でも変わらない。
「いい加減な情報」でも、鵜呑みにして騒ぎ立てるのは社会的弱者だろう。
弱者でも、矜持をもって沈黙できるようになりたいものだ。

人間が不快になる音と言えば、「黒板を引っ掻く音」と「発泡スチロールの音」が挙げられる。
私は。発泡スチロールの音については、それほどの嫌悪感はないのだが、個人差があるのだろうか?
さて。
私は調べていないので、あくまで持っている知識で書く。
どうか、情報の真偽は御自身でお調べいただきたい。

大体の人間が苦手な「あの音」は、猿の断末魔に波長が近い、と聞いたコトがある。
「同類の断末魔に対する反射的な嫌悪感」という理屈になる。
だったら、なぜ。
映画で断末魔の悲鳴が聞こえて、恐怖は感じても鳥肌が立たないのだろう?
やはり誤情報なのだろうか?
しかし。それでは、なぜTV番組のSEで使われるのは、女性の「絹を裂くような悲鳴」なのだろう?
いや。
私自身は「絹を裂く音」自体を、聞いたコトがない訳だが……。

その点は、ジェンダーバイアスという言葉で片付けて良い話なのだろうか?
「男は、いつも堂々としていろ」的な考え方。
いや。
たしかに、男性の悲鳴は「らしくない」。
「うおー!」「うわー!」とか、鬨の声を上げているのと区別がつかない。
どうしてなのだろうか?

私見だが。
「悲鳴を上げる」というのは、やはり生存戦略なのではないだろうか?
痴漢に遭って泣き寝入りするタイプの女性は、声を揃えて「恐怖で声が出ない」と言う。
私は仕事で、昼夜問わず新宿二丁目に行くことが多かったが、男性に好まれる顔付きらしい。
昼間でも、地下鉄から外に出てから尾行されたコトがある。
夜になると、声をかけられたコトもある。
コレは、彼我ともに悪意がない案件だ。
私が、普段から軽装なのも悪かったのだろう。
丁重に(仕事中である旨を伝えて)お断りして、立ち去るコトにしていた。

学生時代――。エレベーターの中で、知らない男性に身体をベタベタ触られたコトがあるくらいだから筋金入りだ。
耳元で「髪の毛、ツンツンだね。可愛いねえ」と言われたが、恐怖は感じなかった。
コレが示唆するのは、「イザとなったら腕力で負けない自信」があったからであろう。
そう考えてみると。
相手が身長二メートルを超す筋骨隆々の大男だったら、恐怖を感じたのではないか?
そう考えると、たしかに恐怖を感じる。
大声で虚勢を張って周りにアピールしながら、警察に通報するだろう。
突然。襲い掛かられたら、声も出ないかもしれない。

そう考えてみれば、悲鳴を上げることは健全だ。
「助けて!」というサインだ。
一人暮らしをしていた頃――。
深夜に、女性の悲鳴が静かな街中の静寂を切り裂いた。
「空耳かな?」と思って窓を開けたら、顔面から血を大量に滴らせた女性が走って逃げていた。私は声をかけようかと思った。
だが。
女性があっという間に走り去っていったのと、この場で男の家に匿われるのも彼女にとってリスキーに感じるだろうな? と思い、見送るに留まった。
今でも「あの時、どうすれば最良だったか?」の回答は出ていない。

少なくとも、後ろから男性が追ってきたりしないか? と、外に出れる服を着ながら外を見ていたが追手は通らなかった。
女性の悲鳴で、犯人(?)は逃げたのかも知れない。
「犯罪者(乃至、後ろめたい人)は、大きな音が苦手」だと聞く。
防犯ベルやエア携帯通話などは、犯罪抑止において賢い選択だろうと思う。
特に性犯罪においては、怖くて声が出ないならば防犯ベルを持ち歩くことを推奨しておく。

随分と脱線してしまっているが、大出血するほどの一撃を食らったら声が出せなくなる。
仮に性犯罪だと仮定した場合、悲鳴を上げられなければ強姦されていたかもしれない。
女性の頭部に、躊躇なく攻撃できるような人間だ。
何をされるか分かったもんじゃない。
「大声を上げられた結果」が、彼女の安全を守ったと願ってやまない。

大きな声(音)を出して、相手を威嚇する動物も多い。
ガラガラヘビだって、捕食対象じゃない人間に好きで噛みつく訳じゃない。
ネコだって威嚇するし、イヌだって吠える。
生き残るためなら、声を出した方が健全なのだろう。
黙って我慢してばっかりいると……、死んでしまうよ? って話。

■心霊現象など、不可思議な音

昔。オカルト信者の友人が「ノックの音がするんだ」と言った。
ノックされる方が健全な訳だが、事情を聞いてみると少し違うらしい。
彼の部屋は「最初に二部屋共通のドアの鍵」がある。
中に二つの部屋があり、それぞれの鍵があるらしい。
つまり、入口の鍵を開けないと、彼の部屋はノックできない。
ならば答えは簡単で、「隣の部屋の人か大家さんが来たんじゃないのか?」と尋ねた。
「違う」と即答された。

隣の部屋は、ここ暫く空き部屋だったらしい。
ドアを開けたら、誰もいなかったから大家さんでもないとのこと。
彼は、いくつかの霊的現象に今まで遭ってきたそうだ。
「歩いている老婆に下半身が無い」事件とか「身体の正中線に真っ直ぐな傷」事件とかがあったが、音とは関係ないので略させていただこう。
まあ。
オカルト信者に対しては、説得は無駄である。
私が同席していない以上、その問題が「違う」と断言はできないからだ。
だから、そっと自分なりに考察してみた。

まず、音量と距離の相関関係は「二乗に反比例する」という事実。
あくまで、理論上の話ではあるが――。
二倍離れたところで四倍の音、三倍離れた場所で九倍の音がすれば、同じ大きさの音が聞こえる。
つまり。
「彼とドアの距離」からX倍の距離で、X乗倍の「ノックのような音」がすれば彼は自分の部屋がノックされたと勘違いする可能性。
むろん、X=0.5の場合は、四分の一の音量だ。
荒唐無稽ではあるが、ゼロとは言えない。

また、空耳や家鳴りの可能性。
テレビやPCなどの部屋で流れる音声から、似た周波数域の音を耳が拾う可能性。
色々な可能性が生まれてはくるのだが、同席していないのだから可能性の話に留まる。
だが、あらゆる可能性を精査せずに「心霊現象」と決めつけるのは好みではないのだ。
人間の耳は、思った以上にポンコツにできている。
あまり、自分の耳を信用しない方がいい。
「ここら辺でスマホが鳴った」と探して、隣の部屋で見つかった経験などはないだろうか?
音は、意外に反射して「あらぬ方向から聞こえてくる」モノなのだ。

私自身の経験で言えば――。
会社の同僚が持っていたキーチェーンの音が、家人からのショートメールの音と周波数が酷似していた経験がある。
「チャリチャリ」という音なので似ても似つかない音なのだが、周波数(音階)は近かったように思う。
彼が後ろを歩くと、携帯が震えているように勘違いをしてしまう。
俗にいう「ファントムバイブ現象」だ。
「キーチェーンを替えてくれ」とも言えないので、彼が後ろを歩くたびにもぞもぞした気分を味わっていた。
ことほどさように、人間の耳はいい加減で音源の位置すら特定が難しいモノなのだ。

心霊現象で聴覚関連と言えば、「ラップ音」がある。
これも、また興味深い現象だ。
想像を巡らせてみる。
例えば、寒い土地に家があったとする。
冬場に帰宅すると、暖炉等の暖房器具で部屋を急速に温めるだろう。
急激に室内が暖まり、外気との温度差が激しくなるとどうなるか?
木材などが膨張して、爆ぜるような音がするかもしれない。
もしかしたら、こういった現象が「ラップ音」の原因なのかも知れない。

さてさて。
ここまで、オカルト否定派のスタンスを取ってきた私ではあるが、不思議な経験はしたコトがある。
10年近く前に起こった「東日本大震災」以来――。
地震がくる数秒前に、「あ! 地震がくる」と分かるようになったのだ。
コレは、同じ経験をされた方も多いのではないだろうか?

自分でも不思議に感じていたのだが、コレもまた聴覚の仕業だった。
地震が起きる瞬間、部屋が小さな家鳴りを起こすのだ。
「ピシッ」と、ごく小さな音がする。
その数秒後に、地震がくる。
何十回となく経験しているうちに、私の直感ではなく聴覚情報で判断している、と気づいた。
自分でも不思議に思っていたので、素直に驚いた。
意外に――。
普通に思っている音が、逆にオカルト現象だったりする事象もあるのかも知れない。
私は「見える」コトはあるが、「聞く」コトはない。
※左目だけが極端に悪い、軽度の「シャルル・ボネ症候群」だからだ
世の中は、不可思議にできている。

■不可聴音域について

昔に読んだミステリ小説(ジュニア小説寄りだったか?)に、「不可聴音域で発動する後催眠」というトリックがあった。
まあ。
後催眠が使われてる時点で、「本格ミステリ」足り得ないのだろうが……。

今のデジタル時代だと、不可聴音域は意味をなさない。
CDですら、可聴音域の上下をカットしてあるからだ。
MDになって、さらに削られた。
MP3に至っては、(圧縮率にもよろうが)CD-R一枚に百曲以上入る。
それが当たり前になった。
DATなどは高音質だったようだが、それでもCD音質レベルだったと聞いた。
「0か1か」のデジタルの世界で、無制限に周波数を拾ったら容量をいくら食うか分からない。

不可聴音域まで再現できるのは、一番簡単なのはライブだ。
クラシックのコンサートを生で聞いて、ビックリした経験はないだろうか?
肌にビリビリくる迫力、圧倒的な「音」の存在感。
これらは、不可聴音域を肌でも感じられるからだと思っている。

低音の場合は、波長が短すぎるので不可聴音域は振動になる。
ロック系のバンドのスピーカー前で感じられる振動は、「音か振動かギリギリのライン」だ。
高音域は、「ソプラノ歌手が、声だけでワイングラスを割れる」という事実からも推して図るべし。
周波数域がガラスと共鳴するレベルまで上がると、ワイングラスは割れる。
この場合は可聴音域なのだろうが、「音」が持つ可能性を示すには十分だ。

実際にオーディオ機器で不可聴音域を聞きたいならば、レコードが一番適しているとされている。
もちろん、オーディオ機器は高級品の方がいいだろう。
カセットもアナログだから一応は不可聴音域を録音しているらしいが、完全に思わしい状態で再生するコトは困難なようだ。

しかし。
父はそうであったが、私はオーディオマニアではない。
PCに繋いでいるスピーカーには拘ったが、上下が切れてパリッと切れたデジタル音源も決して悪くないと思っている。
そういえば。
初めて聞いたCDは、ゲーム「ダライアス」のBGM集だった。
FM音源大好き世代が、電子音楽を嫌いな訳がないのだ。

随分前に、父が鬼籍に入った。
ふと思い出して、母親に電話をしてみた。
「親父が持ってた、レコードって残ってる?」
危ないトコロだった。
半数は処分済みで、残りは来週あたりに捨てようと思っていた、とのコトだった。

実家に帰り、レコードたちを回収した。
遺産の相続は放棄したが、これくらいは形見として貰ってもいいだろう。
ジャズがメインだったが、カントリーやハワイアンもあった。
安物ではあるが、再生機を手に入れて聴いたレコードは格別な音がした。

「音」には、想い出も詰まっている。
部活がキツい時期に聞いた音楽を聴くと、当時の想い出が蘇る。
失恋したときに聞いていた音楽は、ほろ苦い音がする。
父が愛したレコードたちを聴いて、生家にいた頃の雰囲気を感じた。
アナログの「音」には、「空気まで伝えてくれる効果」があるのかも知れない。

――たまには、しっとりと終わってもいいでしょう?

タメになるコトは書けていませんが、サポートいただけたら励みになります。よろしくお願い申し上げます。