哀れな会話スキル

「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉が、俺ほどピッタリ当て嵌まる人間はいないだろう――。
本当に会話スキルが高い人間は、「聞き上手」な人間だ。
分かっていても、俺には絶対に出来ない芸当だ。

まず。前提として、俺は沈黙が苦手だ。対面した状態で沈黙が続くと、「自分の本性を見抜かれてしまうのではないか?」と恐怖してしまう。
とりわけ、俺は「一対一の会話」が極端に苦手。
相手の顔も見れないし、初対面だと「どの自分で話せばいいのか?」が分からなくて困ってしまう。
対策として、「無難に相手の会話スキルや、会話の嗜好を聞き出す」という「擬態」も覚えている。抜かりは無い。

だが。
この「擬態」は、元々「長時間かけて、ゆっくりと相手を理解していく」ためのスキルなのだ。
「その人に嫌われない」ために、体得したスキルだ。
畢竟「ほんの十分間で、相手が『不愉快であろう話題』を、話の流れを壊さずに引き出し、そして想定する」という作業になる。
こうなると、脳への負担が半端じゃない。
初対面の人間と三〇分間も話していると、へとへとになる。

第二段階。
付き合いが長くなってきても、一定期間は「擬態」し続ける。
第二段階では、本当に「その人が、俺が想定した『彼像』に近いのか」を検証し始める。
具体的には「次に。この人は、こう言うんじゃないかな?」という会話シミュレートをしながら会話をする。
違ったら、会話の流れを微修正してトライ&エラーを繰り返す。
この段階になると、だいぶリラックスして話が出来るようになる。
疲れは激減する。
この段階が、相手にとっても「一番、好もしいキタナカ像」だろうと思う。

第三段階。
もう、「会話の好み」も「共通の話題」も「NG話題」も把握すると、この第三段階に移行する。
ここまでくると、すべての会話が想定内に収まっているので気を遣わずに、その人と会話できるようになる。
ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。
次は、「会話の先読みを始める」ようになってしまう。
第二段階では「一手先を読む」のが精一杯だったのが、「相手は、こう言うだろうから、俺はこう返す。そしたら、相手は、こう言うだろう。だったら俺は――」と、二手先、三手先を読むようになる。
棋士か! 俺は棋士なのか! と問い詰めたい。
付き合いが長くなればなるほど、ずっと先の会話まで想定しても誤差が少なくなってくる。
これは。完全にリラックスして「先読み」を楽しんでいるから、会話を楽しめている状態だ。
そのリラックスが油断を招き、大きなミスを犯すことがある。
「勢いで」五手先、十手先に想定していた、自分の言葉を口に出してしまうのだ。
相手は、ポカンとなる。

「リンゴって美味しいよね?」と彼(女)が言った時。
「『パンドラの箱』って、なんで、最後に希望を残したんだろうね?」と言ってしまったりする。

リンゴという単語から。
「知恵の実、蛇、キリスト教、当時の時代背景から読み取られる『女性の原罪』。ギリシャ神話におけるパンドーラ―は『人』に災厄をもたらすために作られた女性、『パンドラの箱』」という連想を一瞬で行ない、会話シミュレートも完璧に終えて「ポロリ」と口から出てしまうのだ。
相手にしてみれば「は?」という返答だろう……。少なくとも自分が言われたら、相手の頭を疑う。
そこまで親しくなれた人間は数少ないが、聡明で優しい人が多いから話を合わせてくれる。
逆に言えば、「『聡明な人』に甘えて、自分勝手な話をしている」とも言えるだろう。
彼(女)は、「そうだね。いっそ『絶望』で染めてもらった方が、実際のところ楽だもんね」と言ってくれる。
そこから。会話シミュレートを逆行させて、「リンゴ」の話題に戻したりもする。
ここまでくると、完全にキチガイと介護者の会話だ。
よく「俺の会話は、エントロピーが極大だからさー」なんて、冗談めかして自嘲してみせる。

もちろん。「いつも、そうだ」という訳ではない。
リラックスして、脳内のファンが「ブーン」という音を立て始めると起こる現象だ。
その「脳内ファン」が回り始めるのは自分でも認識できるので、意識して脳内CPUのクロックスピードを下げる。
ほんの少しだけ労力を使うが、「疲れる」ほどではないのでリラックス状態に戻れる。

その。一年に二、三回あるかどうかの失言。
――それが。「鳴呼。何とか『会話』を出来るようになっていた心算だったが、俺は『普通の二人での会話』は絶望的に無理だんだな……」と俺を失望させる。

多人数になると。目を見て会話する必要がなくなるので、途端に楽になる。
オフィシャルな場所以外では、サングラスをかけると不安感が薄れることも覚えてきた。
ただし「誰にも嫌われない」ために、一〇人以上の飲み会でも「NG話題」は避けて話すようになる。
この時には「NG話題を下敷きにした、どんな話題を振られても笑いに変えてみせる俺」に、「擬態」する。
大した問題ではない。一般的な居酒屋マナーで例えれば「居酒屋で出されてきた鶏カラに、勝手にレモンを絞ったりしない」くらいの気遣いだから、さほど苦にはならない。
ただ。複数人数だと会話シミュレートは通用しないので、使わない(というか、違う「擬態」を行なっているので、会話の流れは読めない)。
混沌とした会話の中で、「好きな話題」に参加するカオス感は楽しい。

だが。「NG話題」が他の人から始まってしまうと、途端に「擬態」が解けてしまう。
例えば。
(ひな祭り当日の飲み会で)A子さん(OG)が、酔いつぶれている状況。
B男さん(OB)「あれあれ、あられもない恰好しちゃって……」
C男さん(OB)「いや、だが『あられはないが、豆はある』」
実に、ウィットに富んだ返しだ。
「豆」を「クリトリス」に見立てて、ひな祭り当日だから「ひなあられ」と掛けたハイブリッドでハイセンスなジョークである。
女性諸賢は眉を顰(ひそ)められるだろうが、これは事実だ。
一年に一度しか使うチャンスが無い、それも偶発的な状況下でスラっと使える「会話の懐の深さ」に感銘を受けるレベルだ。
――C男さんの隣に、「下ネタを、心の底から嫌悪するD子先輩」が座っていなかったら、の話だけどね。
俺も大笑いして絶賛したかったのだが、D子先輩が険しい表情をしていると笑うことが出来ない。
冷や汗が止まらない。
むしろ「節分は豆で、ひな祭りはあられや菱餅。四月は、どうとしてですけどね?『こどもの日』は大福、って不公平感がパないッスよね」とか、自分でも「場を白けさせる、つまらない言葉」を挟んでしまう。
B男さんやC男さんに「こいつ、空気読めてねえな。馬鹿なんじゃね?」と思われても構わない。
今現在、怒っているD子先輩「も」好む話題にシフトさせていくのが最優先事項だ! と思ってしまうのだ。

そこで、新しい飲み会の楽しみ方を考えるようになった。
話すこと自体は、苦手ではない。むしろ大好きだ。
けれど、「全人類が不快にならずに楽しめる話題」など、あるのだろうか?
それまでは、「自虐ネタが、一番ウケがいい」と思っていた。
その次は、「普遍的な話題を、普通と違うアプローチで『へえ』と思うような表現も織り交ぜつつ、面白い話にする」という手法も思い付いた。
出来るんですよ、これが。

昔から「君の話し口調は落語っぽいね」と言われることが多かった。
実のところ。私の「笑いを呼ぶ会話術」における、重要な要素が「落語口調」だった。
軽妙洒脱にして、リズムの良い話し方。
落語を聞いた。聞きまくった。古典落語を自分風にアレンジして部屋で一人で練習したりもした。
結果として、俺の飲み会での処世術は、こうなった。

普遍的な「鳥」というテーマで、バーチャル飲み会風景を「喋る速度」で打ってみる(鍵カッコとかの調整は、後で行なう。会話だから、「読みやすい文章」も放棄する)。
「いやあ、『鳥』の話なんだけどね。あいつらって、飛んでる時、疲れたりしないもんなのかね? 人間で言ったら『ずっと懸垂し続ける』くらいの運動量だと思うだけどねえ――」
(ここで、周りの反応を見る。食いつきそうな人がいないから続ける)
「――ぶっちゃけさ。渡り鳥とかは滑空してる時間の方が長いから、スキーみたいに休憩挟んで楽しんでる感じするよね。でも、猛禽類とかは身体が大きいからさ。もう、『これでもか!』って勢いで羽ばたいてんじゃん? 絶対に滑空状態になった時『あー、しんど……』とか思ってるはずだよね? でもさ。昔、見ちゃったんだよ俺。天気が不安定な日に、だよ。カラスが、何羽も目的もなしに『つむじ風の中で、滑空したり羽ばたいたりして遊んで』たの。俺はビックリしましたよ、そりゃ。まさか、鳥が『下に大きな扇風機が付いてるような、地上でスカイダイビング体験』みたいな遊び方するなんてさ。……イヤ、本当だって! あれは絶対に『遊んでた』んだって。カラスも比較的、大きいから『わぁい。なんか、力入れなくても飛べるー♪たーのしー!』って感じなのかもね。逆に、小さいハチドリとかの方が疲れんのかね? あいつら、めっちゃ羽ばたいてるじゃない? 超高速度撮影しないと、羽がブレて撮れちゃうくらい羽ばたいてる。あんな小さな身体で『よくもまあ』って思わない? しかも主食が『花の蜜』って! まあ体重が『大きなコイン』くらいの重さみたいだから、そんなに力は入れないスタイルなのかね?」
(一息、吐く。食いつき待ち。「ペンギンの話題」が出る)
「ああ、ペンギン? あいつらは飛ばないよね。頑として飛ばない。ニワトリも『飛べない』って言われてるけど、あいつらは半端者だよ。驚かせれば、羽を使って一〇メートルくらい跳んでるじゃん。あれじゃダメだよね。その点、ペンギンは潔いよね? もう『絶対。金輪際、私は飛ばない』って強い意志が感じられる、男はそうじゃないとイケナイよね。メスもいるけどさ。骨格図を見たことある? あれ凄いよね。足、折りたたんで隠してるからね。実際は足が長いし、実際に膝関節に見えてる部分は踵の骨だから。凄いよね! 日常が修行増の『苦行』レベル。つま先立ちで小さい着ぐるみに入れられてる感じだよ。身長180cmの人に、『君さ。この、チビ着ぐるみに入って』って言ってるようなもん。無理やり膝を抱え込んで、あの「ペンギン」っていう可愛い形に収めてる訳。神様も残酷だよね、最初はペンギンも怒ってたと思うよ? 「もうちょっと可愛い鳥も作りたいなあ。じゃ、君コレね」ってさ。無茶ぶりもいいところじゃん。『エトピリカ』くらいで良かったんじゃないの? って思うよね――」

――ってな感じに最終形として、なっちゃったの……。
もうガッカリですよ。
これじゃ「お題待ちの、アドリブ噺家」だよね?
ほとんど、他人に話をさせない。
流石に。シラフでパソコンに向かって喋ってるから、面白く感じないかもですけどね。
ちゃんと、「間」と「話し方」で面白くなるんですって。本当ですって!

でも。
まあ、友人たちには言われるよね。
「今日の『キタナカ劇場』も楽しかったよ。また飲みましょう」ってね。
そうだよね……、分かってる。既に「会話じゃない」ってことくらい。
脳みそブンブン回して、関連キーワードで検索をかけて「話が、いつどこに行くか分からないけど面白い」だけ。
「ジェットコースター漫談」って言われた。
俺自身は「凄く楽しい」し、周りも楽しんでくれてる。
高校時代から、女子に「ねえキタナカ君、面白いこと話して」って言われてたからね。
結構トラウマなんだけど、当時の俺は「せめて『お題』を単語だけでいいから言ってみてよ。何を面白く話せばいいの?」って聞きたかった。
それが相手にネガティブな印象を与えるかも! って思うから、最初に目に入ったもので、面白い話をしてたからね。「黒板消しクリーナー」とか。
今現在は酒を飲まなくなって久しいから(今年は、一滴も飲んでないと思う)、「キタナカ劇場」を披露する機会も、今後は中々無いだろうけどね。

結局。
飲み会とかでも「アンタが主役」って、ドンキホーテで売ってる安っぽいタスキを掛けてはいるものの(比喩)、誰とも会話してない訳。
会話は「キャッチボール」に喩えられるけど、俺のは「壁あて」。
「飲み会として成立させる」ためだけに、他人の反応を使って自分の脳を活性化させるのが楽しい。言葉遊び感覚だよね。
それは「壁あて」における壁の表面にある凹凸であり、イレギュラーでしかない。でも、単調な壁あてよりは「少し」楽しさは増すよね?
「俺も心の底から楽しい」し「参加者を楽しませてる」からWIN-WINなんだけど、俺は全然「会話に参加」はしてない。

「上から目線」じゃないのよ? これだけは勘違いしないで欲しい。
「そうとしか他人と接することが出来ない」だけなのさ。
この。毎日「note」で記事を上げるという行為が、「脳内麻薬」をドバドバ出してくれるから、助かってる。
でもね、少し心を削り過ぎたみたい。
少しの間、ふざけた話題を楽しく書かせてもらおうと思っています。
「心のリハビリ」ね。
それでは、みなさん。ごきげんよう。(マリみて)

――本当に、しんどいな。読まされる方が、しんどいだろうけどね。

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