人の行動は環境に影響を与えられている
僕:行動はパッションやねん!お前は考えて動いてるんやない。パッションに突き動かされてんねん。
友人:えっ、いきなり何?そして中途半端な関西弁が気持ち悪いぞ。さてはお前やばいもんでも吸ってんな。
僕:いいからちょっと妄想しろ。今、お前は砂漠をさまよっている。喉がカラカラで死にそうだ。その時、目の前に冷たいお水が現れた。さあ、どうするよ?
友人:すかさず飲むわな。
僕:そうだろ。それをな、
・あっ、目の前に水が置いてあるぞ(目で認知)。
・僕はのどが渇いているからこの水を飲もう(脳で判断)。
・水を飲むから、歩いて近づいて手を伸ばしてコップをつかもう(脳が体に指令して行動)。
こんなこと考えるか?
友人:考える前に自然とコップに手が伸びるな。
僕:そう、自然とだろ?つまり考えるより先に身体が動く。
友人:まあ、そうだな。
僕:お前には水が飲みたいという欲求(言い換えると意図)がある。だから水を求めて動く。動くから水があると知覚する。そして手の届く場所に水がある(状況つまり環境)から思わず手を伸ばして水を飲むと。意図によってお前は身体を動かし、その動きは環境に導かれているわけだ。
友人:まあ、そう聞けばそうかもしれん。
僕:この環境の導きを、ジェームス・J・ギブソンという先生はアフォーダンスと名付けた。さっきの話に当てはめると水はお前に飲むというアフォーダンスを与えているし、お前は水のアフォーダンスによって飲むという行動を起こさせられている。
友人:難しい話になりそうだな。
僕:そうでもない。大事なのは、人の知覚と行動は、認知→判断→行動のような順番で起きてるわけではない。まず意図がある。そして環境が人に影響を与えて行動が起きる。そしてその行動の中で物事が知覚されるということだ。
友人:わかったような、わからんような。
僕:まあいい。この話を運動に当てはめたのが今はやりのエコロジカルアプローチだな。
友人:聞いたことあるな。
僕:運動も人の行動だ。だから正しいと思われる動き方を繰り返し練習しても上手くならない。なぜなら試合も行動と同じで、「こう動こう!」といちいち動き方を考えながらプレーしていないし、動き方も状況に合わせて変化するからだ。試合でやらないことを練習しても上手くならない。
友人:まあ、それが自然な考えだな
僕:試合では、意図(ゴールしたい、ゴールを守りたい)があって、環境(味方や相手の状況、ボールの動き、天候、体力の推移など)に影響されてプレーが行われる。ということは、練習すべきは環境への適応の仕方となるはずで、これがエコロジカルアプローチの考えだ。
友人:なるほど。で、どうやるんだ。
僕:まず目的を決めるだろ。例えばゴールだ。そして練習したいプレーが出現しやすいよう環境を設定する。この環境設定を制約とも言う。あとは選手がその環境下でゴールを目指してプレーすればそれがイコール環境への適応を探っていることになる。上手いというのは、このような環境と関わり適応する力のことをいうんだ。
友人:では、制約を設定してあとは自由にやらせれば上手くなるのか。ドリルみたいに型を教えるのには意味がないの?
僕:原理主義的にはそうなるみたいだけど。俺は意味ないとは思わない。ギブソンの考え的には、行動の主役は身体そのもので脳は司令塔でなく調整機能を担っているらしいんだ。
友人:ほう。
僕:型を覚えるトレーニングは運動学習の本筋ではないけど、脳に望ましい調整の仕方をインプットする働きがあるんじゃないかな。そうしたインプットがあれば自然と望ましい環境への適応が図られるのではないかと。これは俺のオリジナルだけどな。
友人:まあ、薄らはわかったぞ。ところでなぜいきなりのテンションでこんな話をし始めたんだ。
僕:いや、最近お前と会話してなかったから、、、。
友人:若干きもい。
僕:俺はお前と話たいという意図がある。このnoteの場、そしてサッカーの話題からアフォーダンスを与えられて、こんな話になったのだ。
友人:あっ、そうか。今年は何故かアビスパとエスパルスの試合がないからな。試合で話すネタないよね。
僕:うっ。これはエスパルスの弱さのアフォーダンスなのか、、、。(←用法が違う)
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