🚴‍♂️そろそろ、時代の舞台が廻る頃ーどんな社会かな🎯

大袈裟ではなく、ごく当たり前の現実として、「ひとつの時代」が過ぎ去って、次の時代へと変化の兆しが見えてきたのだか、しかし、それを「新時代の到来」と呼ぶには相応しくない気がする。何故なら、変わりつつある時代の姿が、あまりにも「貧相」だからである。

一言で言えば「襤褸(ボロ)を纏った姿」であり、「新調」された「新しさ」の見えない世界と社会への変化である。
AIがあるじゃないか、テクノロジーの進展だって凄いぜ・・・と持ち上げたいところだが、いや、無理だ。
どのように変化し、進展しようとも、AIテクノロジーは「世界の圧倒的多数を不幸にさせるだけの結果」へと導くことはあっても、「希望という概念」に結びつく現実へと結実させることはない。
なぜなら、現状の電子テクノロジーが「寡占形態に向かうためのアルゴリズム」であるからでもあり、救い難い格差の拡大を避けることができないからだ。

私自身も20世紀型・格差社会の最先端を突っ走ってきたのだが、まだ、社会格差の均衡を是正させるだけの余裕に恵まれていた。
しかし、21世紀の次世代が内設しているAI型システムテクノロジーは、一方通行の収奪構造であり、平均的な社会知能では手の届かないハイレベルのシステムに繋がっている。

既に、20世紀型の経済金融システムでも、デリバティブに組み込まれた投機システムプログラムの複雑さを即座に解読し、優先的に投機市場から確実な利益を掴むには、私たちが修得していた高度な数学的金融工学のノウハウが必要だった。
まだ、プログラミングスペックに厄介なアルゴリズムが必要でなかった時代でも、世界の株式市場を制し、金融為替の先物市場で有利な取引を勝ち取るには、どうしても高学歴の経験が不可欠だった。

だが、21世紀では、その関門が更に狭くなり、高度の上にも更なる高度を重ねたようなエリート条件が必要になる。
市場社会の再配分構造とは反対の硬直した寡占構造が経済体系を支配するとき、政治的財政は相対的に逼迫せざるをえない。

さらに社会構造の他方では、広い意味でのメディアが個人情報の細部までを拾い上げるので、世論や個人的な嗜好までが操作的に制御されやくなるだろう。
その結果、文化的価値体系の多様化それ自体が、「多様な画一化」という、20世紀の価値体系ではありえなかった「見えない手」で掬い上げられる危惧さえ現実味を帯びてきた。

ほとんど一般の人々では理解不可能だか、現代最先端の数学では、「多様なものが、多様化されながら、あるところでは画一的に収斂される」という魔術のようなシステムアルゴリズムさえ構築することができる時代に入っている。
「複雑系」という最先端の数学ベースでは、解析不可能な複雑性「だからこそ」、それを「高精度の高速コンピュータに学ばせることのできる仕様スペックに変換し、アルゴリズムとして組み込むこともできるようになってきた。私が手作業で100日かかった1970年代の作業が、今では「3秒」もかからない。

しかし、これが科学テクノロジーの新しい進化だと自讃するなら、「おい、待てよ」、ちょいと違うのじゃないのかな、と諭したい。
新しい科学テクノロジーの進化が社会を変える。それは確かだ。
だが同時に、利益と富が一方的に特定層に集まり貯まるというのでは、社会の形は「かつての古い時代ー特権的封建制度ーへの逆戻り」なのではないのかな!?
私が、来たるべき次世代を「貧相だ」と推したのは、精神の相でもあり、思想の相でもある。

短文では、その要点しか挙げることができないが、誰もが考えてみるには価する問題ではないだろうか。

  かつては複雑系と格闘した 白雲斎

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