💄パチンコで負けることの意味・その深淵な世界像💄

    深い・深い・意味の世界

ほとんどの人はパチンコ店には出入りしない。だから、パチンコ事業は完全な衰退期にあるのだが、しかし、今なお数百万人の日本人はパチンコを止めない。最近では、20代の男子たちの数が多い。スロットを含めてのことだが。

かく言うわたし86歳も30年間を越えるパチンコ通であり、退職後は1000万円を投じて、日本全国パチンコ打ちの旅をやってのけたくらいだから、相当の「狂い」だ。

しかし、依存症でもないし、借金まみれに喘いでいるわけでもない。トータルでの採算は200日通って150万くらいのマイナスだが、❎30年にすれば、5000万は擦ってるだろう。

だが、間違えちゃいけないよ!
50代過ぎの男が、何にせよ、趣味の領域で使う金なんてもんは、年間150万じゃすまない。
私にしてもパチンコ代は「端数」でしかないし、外車好きだと駐車場、保険、燃費、車代+買換損などで200万は超えるし、ゴルフ、酒の付き合い、書籍代なんかも加えれば「300万」で収まれば上出来だ。さらに、女性趣味なんてことになれば、パチンコの比じゃなくなる。

ただ、これからが問題だが、私の場合は上手くいってる優等生の例であって、不幸にも「負けがこむ」と、そこはパチンコも博打、ギャンブルだ。
1カ月100万なんてことも、ごく普通に起きる。50万は当たり前。1日に20万負け込んでるひとなんか、1000台クラスの大型店じぁ、結構おりますよ。だから、借金と依存症が問題になる。

問題ーその1は、「信用ること」だ。
パチンコに嵌る人の多くが、「善人」、何かを信じやすく、少しでも当たる日が続くと「パチンコ屋は楽しく勝たせてくれる娯楽場だ」と頼ってしまう。
冗談じゃありませんよ。

これでも私、30代には欧米のカジノを渡り歩き、一晩「億単位」の勝負に賭けてきたギャンブラーの生き残りなんでね、負けて自殺なんて例はゴマンと見てきたわけですよ。
博打にまける人の多くが、「勝ちを偶然だ」と思えず、「運やツキ」のように信じてしまいやすい。

予想外に勝った翌日、私は必ず「負けるため」のギャンブルに出てゆく。
その日も偶然に勝てば、負けて損が出るまで「ギャンブルで負けることは、どういうことなのか」を学ぶための真剣勝負に出かけるのである。

負けて知る。「何を」
ギャンブルでは「何が原因で負けるのか」ー偶然に儲けた金で、「必然的に負ける仕組み」を知り尽くし、ゲームやギャンブルは「娯楽ではなく、人が命懸けで、全く判断の根拠の無い勝負に打って出ることの意味」を私は名だたる西欧のカジノで学んだ。

命懸けのカジノ勝負となると賭け金も半端じゃない。常備、ドル💲で1000万=日本円換算15億円はミニマムだった。
当然、闇ルートから借財するわけだから命懸けだ。用心棒だが、同時に殺し屋でもある男たちが、いつも私のテーブルの背後には控えていた。
私は自己資金での蓄財ができた後でも、ギャンブルの賭け金を闇の業者で賄ったのは、その道ではベテランの用心棒がつくことで、大勝ちした時の安全も確保できたからである。
なにせ3000万ドル〜5000万ドルといえば帰りの身の安全も危ない。闇からの負債なら同時に私の勝ち金は彼らの金にも等しいので、万全の対策も彼らが用意した。
私は無償で世界的なギャンブラーたちと知り合い、「血の汗」の真の意味も味わうことができたのだった。勝負事の極意とでも言えばよいか。金のやり取りでもあるが、命を賭けたゲーム。
頭と知恵と経験と度胸、そして最後には、勘の勝負でしかないリスクとスリル。

このことも間違えないでほしいが、100万ドル単位でのカジノでも、万円単位のパチンコでも、ギャンブルである以上、当然「血の汗」は覚悟しなければならない。
つまり、命懸けであり、パチンコでも、事と場合によっては「借金→破産→自殺」、あるいは「依存症→廃人」へのリスクは避けられないのだ。

ギャンブルは、けっして「娯楽」にはなりえない・・・・・が、あなた次第では、人生という時間を最も「賢く生きるためのノウハウ」を学ぶことは、かならずしも、不可能ではない。   

深い、深い、とてつもなく深い意味の世界でもあるのた。

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