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この年末年始休暇は、昨年夏に亡くなった両親と自分の古いアルバムを整理。年始、片付けのプロにも依頼して大幅な断捨離をしたのだけど、その際、両親と私のアルバムも、大部分を処分してもらった。大切な一部の写真だけを残して。

手放す意味

基本的に使わないもの(一年以上触ってないもの)は、定期的に手放すようにしてる。かつてものを手放せなくて、そのために自分の行動範囲を自分で制限してきた経験があるので。

中でも手放しづらかったのが、
大切な人との思い出が詰まっている「もの」。

嫁入り道具の家具、何年も前に母から買ってもらった服、
祖母の代から受け継いだ着物、昔母からもらった少し流行遅れの指輪。

手放すとなんとなく罪悪感を覚えやすいもの。
まるで両親や祖母を捨て去るような、そんな気にさせられるもの。
私もこれはなかなか手放せない時期があって。

でも、これらのために住む家の間取りやレイアウトが限られたり、使わないものをきれいに格納するため、新たに収納ケースを買わなきゃならなかったり。もうやめよーと。

もちろん手にした当時は、とても大切なものだった。
だけど今の自分には必要ないものをずっと持ってるってこれ、大事にしてる、というよりも、ただ手放しづらいから問題先送りしているだけなんじゃないの、と。

現在48歳、もうすぐ50歳。自分のためにも、私の死後、私の遺品を片付けるであろう息子のためにも、とにかく残りの人生は「もの」を手放して、身軽でいたいと思っている。つまり早めの終活w

選んだ写真に通ずるもの

写真は感覚で選んだ。なんというか手にとった瞬間、「ああ!これこれ!」と、心が浮き立ったものは残す、という感じ。

ただ、残すと決めた写真はよく見ると、私と写っていないものの方が多かった。特に父の写真。

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野球をする父。無類の野球好きの巨人軍好きで、プロ野球中継で巨人の試合は欠かさずみてた。

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たくさんの仲間に囲まれて歌う父。背景には「1970年忘年会」とおぼしき文字。私の生まれる数年前だな。父の歌声は昔から、とても力強くて大きな声だった。

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仲間と酒を酌み交わす父。おそらく40代で、バリバリに仕事してた頃。


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若かりし父の写真もでてきた。ひとりで机に向かう父。社会人になってから通信制の高校に通っていたらしい。母はしょっちゅう父の悪口を娘にぼやいていたのに、父の勤勉さだけは常に褒めていた。
そういえば晩年になっても毎日毎日、日記や写経を続けていたっけ。

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会社の人との集合写真。これは確か、大阪で工場長やってた頃?かな。自宅にしょっちゅう会社の人が来て、母は手料理を振る舞っていた。
たくさんの人に囲まれて仕事をする父を、子どもながらに尊敬していた。

確か私が中学生の頃だったかな、父の職場に見学にいったこともある、しかも勝手に。今考えると迷惑な話だけど、父も職場の人も工場内をあたたかくむかえいれてくれた。

父の働く姿、勤勉な姿、仲間と楽しそうにしている姿。それらの写真は自分のために、そして息子のためにも残しておきたい、という感覚で選んでいた。ちょっと大げさに言えば、ルーツを残すという感覚だ。

過去を伝える意味

父は晩年、認知症気味になり、ずいぶん手間のかかる人になった。
正直、父の変化は辛かった。かつて紳士的で、頼りがいのある男性だった父が変わっていく現実。
もちろん老いは当然の変化。なにも悲しいことじゃない。だけど、かつての父を知らない息子が、晩年の父だけを記憶に残して大人になるのは忍びない…、いやかなり忍びないと思ったのだ。

「あなたのじいちゃんはね、誠実な人だったんだよ。
人望も厚くてね。母さんが子供の時、憧れの人だったんだよ。
あなたが生まれた頃にはもう年老いてヨボヨボで、あなたにとってそれは頼りない人に見えたかもしれないけど、母さんはかつて爺ちゃんの背中をみて育って、『私もあんな大人になりたい、社会人になりたい』と思ったんだったよ」

息子にそんな思いを伝えたい。

大量に積み重なったアルバムたちが将来、息子にとってタンスの奥を占領する「重たい荷物」になる前に。
何ページものアルバムに埋もれた、大切で受け継ぐべき家族の事実を、息子が知ることなく処分される前に。

伝えたい、父のためにも。その父を影で支え続けた母のためにも。
ものは残さず、物語を残していきたい。これからも、私と家族のために。

さて。写真の断捨離もしたし、三連休もあけたし。
2022年、いよいよ本格稼働な感じです。

ではまた。




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