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忠実屋の店員とダンシング・クイーン

昭和50年代、俺がまだ小学生の頃、近所に「忠実屋」というスーパーがあった。3階建てで食品だけでなく、衣類や玩具、電気製品などもあり、いまでいうなら西友みたいな存在の店だった。

学校が終わって家に帰ったあと、忠実屋に遊びに行くということがよくあった。遊びに行くといっても、ただ売っているおもちゃを眺めたりするぐらいで、それに飽きると店を出て自転車を漕いでどこかに行くといった日常だ。

俺はおもちゃを見るよりも、隣にあった電化製品、特にオーディオ機器を見るのが好きだった。
我が家には父が人から譲り受けたSONYのステレオコンポーネントが鎮座していて、俺は小学2年生ぐらいからFM放送のエアチェックをしていた。
そんなこともあり、売り場のオーディオ機器を見たり、いじったりしていた。

ある日、いつものように忠実屋に行き、オーディオ機器を見に行くと、1台のステレオから曲が流れていた。
小学生だった俺には分からない言葉、英語で歌われているもので、だけどその曲が俺の琴線に響いて聴き入ってしまった。
カセットテープから流れているものだったので、曲が終わると俺は勝手に巻き戻して再生していた。

何日かそんなことをしていたら店員さんがやってきた。
小柄で、小学生の俺から見ても幼い表情をした人だなと思った。いま思うと新卒とかで入った人だったのだろうか。

勝手にテープを操作していたから怒られるのかと思ったが、店員さんはテープを取り出した。子供がいたずらしているからこれ以上触らせないためなのかと思ったが、店員さんはテープを俺に差し出し「あげるよ」と言った。

突然のことで俺はびっくりした。
どうやらテープは店員さんの私物だったようで、俺が何度も聴いているのを見てそのように言ってくれたようだ。俺はもごもごとしたお礼を言ってテープをもらった。だけどそれがなんとなく後ろめたい気持ちになってしまい、親にはテープをもらったとはいえなかった。

もらった46分テープにはその曲のあとに、何曲かの歌謡曲が入っていた。俺が家でエアチェックしていたのは、主に流行りの歌謡曲だったので、後にそのテープの続きに録音していった。
そしてあの日初めて俺のコレクションに「英語の歌」が加わった。後にそれが「ダンシング・クイーン」というタイトルだと知ったのは、寝る前に聴いていたTBSラジオの番組でだったかもしれない。

テープをくれた店員さんとは、その後いちどだけオーディオ機器売り場の近くで目が合ったが、俺はいまでいうならコミュ障的なところもあって、逃げるようにその場から離れてしまった。

その時を最後に店員さんの姿を見ることはなかった。

当時は子供ながらもテープをあげたことで偉い人に怒られてしまったのかとしばらくは気にしていた。そしてちゃんとお礼を言えず、避けるようにしてしまったことを後悔した。

テープはその後、何度も上書きして使わせてもらっていた。TDKのテープを愛用するようになったのは、これがきっかけだったのかもしれない。それまでは忠実屋のプライベートブランドの安いテープを買ってもらっていたから。

俺の洋楽原体験はアバの「ダンシング・クイーン」であり、この曲を聴くたびに、いまでもあの時の光景と店員さんのことを思い出す。

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