ジョン・レノンって誰?からの「イエロー・サブマリン」でビートルズ
「ジョン・レノンって誰よ?」
あれは小学6年生の頃、12月9日の夕方のニュース番組。画面には多くの女の子たちが泣いてる映像が。どうやら誰かが死んだらしい。しかも殺人事件で。
しかしその映像を見た俺はこう思っていた。「何でこの人たちは泣いているんだ?」と。
ニューヨークで1980年12月8日の23:00過ぎ、元ビートルズのジョン・レノンが銃弾に倒れて亡くなった。日本ではすでに12月9日となっていて、俺は学校から帰ってきてからニュースでそれを見たということだ。
当時12歳の俺は「ジョン・レノン?誰?」という反応だった。そして、なぜこんなに多くの女の子たちが泣いているのかと、本当に不思議だった。
無知とは恐ろしいものだ。
その1年後、俺のカセットテープにはFM番組でエアチェックしたジョンの「ウーマン」が入っていた。
「イエロー・サブマリン」
それと前後して、これもラジオ番組だったが、なんだかほのぼのする曲が流れてきた。それがビートルズの「イエロー・サブマリン」であり、俺が最初にビートルズの曲と認識したのがこれだった。
一聴してすぐに気に入ったんだけど、その時はAMラジオだったから録音はしていないし、もう一度聴きたいと思っても聴くことができなかった。
中学1年で、同じクラスになった俺のことを好きな女がビートルズのレコードを持っていた。他の奴がその女からレコードを借りようとしてたので、俺も「イエロー・サブマリン」入ってるのある?と聞いて借りた。『A Collection Of Beatles Oldies』という、邦題が単純に『オールディーズ』という、ビートルズが活動していた時期に出た初期のコンピレーションだ。
「FMステーション」という雑誌でビートルズの人気投票をやっていて、この雑誌提供の深夜番組「マイ・サウンド・グラフィティ」で2週間ぐらいかけて100位から順番にオンエアしていた。さすがに90分テープを5本ぐらい用意して番組を全部録音するのはできなかったので、20位から11位、そしてトップ10を放送した回だけ録音した。「イエロー・サブマリン」は20位以内に入っていた。ただ、話はここも前後するのだが、この時の目的は「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」だったと思う(これは次回書く)。
そこからビートルズにのめり込むようになったのは間違いないが、「イエロー・サブマリン」がきっかけというのを話すと、ほぼ「珍しい入り方」と言われる。自分のことなので、いまいちそれがピンとこないが、確かに「グラス・オニオン」がきっかけですとか言われたら珍しいねと言うかもしれないし、きっとそういうことなのだろう。
そして中学2年か3年、どちらか忘れたけど、初めて買ったビートルズのレコードは『リボルバー』で、ここにも「イエロー・サブマリン」が入っている。それを意識して買ったのかどうか覚えていないが、じゃあ何で『リボルバー』だったのかを考えると「イエロー・サブマリン」がきっかけだったのかなと思う。
さて、先述した俺のことを好きな女だが、俺は特に何とも思っていなかったけど、好いてくれることについては悪い気はしなかった。しかし、後に嫌な思いをいくつかさせられたので鬱陶しくなった。もしいま会ったりしたら「なぜあの時ああいうことをしたのか」と小一時間ぐらい問い詰めてやりたいぐらい、いまでもクソほど腹が立つ。中学、高校と何の思い入れもなければ、実家のある地元にも思い入れがないのは、おそらくこいつのせいでもあると思っているが、この件についてはこれ以上語るつもりはない。
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