他人の評価は9割が雰囲気で適当だった。と知った高校1年のサッカー大会の話

『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』

錯覚資産という言葉を生み出したふろむださんの著書の話なのですが、

この本は大半が、人からの評価についての話で、要約すると下の2枚の図で表現することができます。

【人から見えている評価】

【実際の能力、スキル、経験値】

こんな感じの図があったかどうかは覚えていませんが、TwitterなどのSNSをよく利用している人はご存知の通り、だいたいの人がその人が本当に実力があるかどうかなんてわからず、表面的に見えている部分、雰囲気でしか評価できません。

私はこの本を読む以前から、ある2つの出来事によって気づいてはいました。

一つは今回お話する「高校1年の時のサッカー大会」です。

ここからずっとサッカー大会の話です。

1クラス2チーム、3学年全部で12チームのサッカー大会が開催された

確か5月頃だったと思いますが、入学から間もない頃、学校全体でサッカー大会が開催されました。

時期的におそらくクラスや学年、学校全体の親睦を込めてとか、そういう狙いでしょう。なぜサッカーなのか理由はわかりません。

私が通っていた学校は小さかったため、1学年2クラスしかなく、3学年でクラスは全部で6つ。それだけだと少なすぎるからなのか、1クラス2チーム編成で全部で12チームでの大会が開催されました。

他のクラスはどうだったのか知りませんが、私のクラスが目指すのは当然優勝で、運動部に所属する人中心に盛り上がっていました。

そこでチーム分けですが、運動部の「絶対勝ちたい」という意向を基に編成されたチームは、

・運動部中心のAチーム(別名一軍チーム)
・それ以外のBチーム(別名二軍チーム)

というのものでした。

当時部活に入っていなかった私は当然Bチームで、私と同様部活に所属していない人及び、漫研などの文化部で構成されたまさに二軍チームに入ることとなりました。

しかしやる気、勝つ気はあった

元々サッカーは好きですし、勝負ごとをするなら出来る限り勝ちたいと思っていた若き頃の私は、残り物で構成されたBチームでも、いけるところまでは頑張りたいという気持ちでいました。

幸い、小学校自体から知る友人も何人かいましたし、帰宅部という理由で評価されなかったけど、実は運動部並かそれ以上に運動神経バツグンの友人Y君もいました。

つまり勝機はなくはなかったのです。

そもそもここで構成されたAチーム(一軍チーム)はかなり表面的な評価によって決められました。

チーム編成を行ったのは当時サッカー部に所属していたリーダー的なA君(後にバスケ部に転身することになる)と、中学時代に野球部で坊主頭のキャプテンだったB君(高校でももちろん野球部で坊主頭)。

この二人が、野球部やバスケ部を中心に一軍チームを編成します。しかし特にやりたいことがない人が集まったような地元の学校だったので、運動部だけではメンバーを全員集めることはできません。

なのでそれ以外のメンバーは「なんとなく運動できそう(な気がする)」「クラスで目立っている(気がする)」という人が集められました。

実際の試合結果は意外なことに

そして当日、サッカー大会は行われました。

当日は第1ブロックと第2ブロックにわかれてトーナメント戦をし、第1の勝者と第2の勝者が試合して勝ったほうが優勝するというシステム。

私達Bチームもとい二軍チームは第2ブロックで、一軍チームはAブロックでトーナメント戦を行います。

第一回戦

・・・

・・・

・・・

・・・

勝った・・・

二軍チームと言えど、サッカーは特にディフェンスを頑張ればある程度失点は止めることができます。

文化部と帰宅部中心で構成された二軍チームでしたが、誰一人サボることなく、全力で食い止め、失点を防ぐことができました。文化部はとにかく真面目です。

相手チームにサッカー部はいなかったので、全力で止めれば素人でも食い止めることができたのです。

まさか上級生に勝てるとは・・・

第二回戦

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・また勝った。

何故かまた勝つことができました。

これは正直不思議でした。

いくら密かに運動神経が良い友人Y君がいるからといって、今でいうスクールカーストの下から半分を集めたようなチーム構成でよく勝ったもんだ。

ちなみにAブロックで争っている我がクラスの一軍チームは一回戦敗退。まじかよ・・・

ここで一軍チームを率いたサッカー部のA君はこう言います。

「どのクラスも考えることは同じで、Aブロックに強い人が集まった。Bブロックは全体的に弱いから勝てる」

私も同じように思いました。

そして迎えた3回戦。Bブロックの決勝、本大会の準決勝です。

第3回戦

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・また勝った。

これはもうまぐれではない。

「俺達は強い!」

たかだか小さい学校内のイベントでしたが、私達の中では全国大会の出場切符を持ち帰った気分でした。

ただやはり、

「Aブロックに強い人が集まった。Bブロックは全体的に弱いから勝てる」

この考え方は否定することができず、強い人達が集まったAブロックの勝者に勝つことはどう考えても不可能だろうと思いました。

実際、決勝での対戦相手は、我がクラスの一軍チームを3-0で破った紛れもなく強者のチームです。しかも3年。

しかしそれでも私は勝つ気でいました。

というのも上述した通り、この学校に入学してくる人のほぼすべてが「近いから」という理由で入学し、特に目的もやりたいこともなく生きている人達ばかり。

それはおそらく3年になっても変わらず、対戦相手の3年生は努力してきた人間ではない。

だから勝てるだろうと。

【決勝戦】

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

勝った。

まじかよ。

勝つんかい。

これはクラス中が驚きを隠せませんでした。

しかし対戦相手は別段強かったように感じませんでした。

というより、1~3回戦の相手とそれほど変わらなかった・・・

これは単純に「Aブロックに強い人が集まった」のではなく、単に他のクラスはAとBのチームをバランスよく編成していたのではないかと思います。

2、3年生はきっと大人でした。思ったより大人でした。

人の評価はだいたい適当だった

圧倒的に強いチームと思われた我がクラスの一軍チーム。

そのチームが3-0で破れた上級生チームに勝利した我々二軍チームは、結果的に一軍チームより強かったことを客観的に知らしめました。

もちろん実際にやってみないとわかりませんが、私の個人的な評価では、実力差はそれほどないと思っています。今でも。

これは一軍編成をしたチームリーダーの2人が、雰囲気で人を評価し、優秀だと勘違いしてチームを作ってしまった結果です。

今回、たかだか学校の一行事、イベントに過ぎませんが、こういったことは実際の部活でも、会社のチーム編成でも同じようなことはよく起きているはずです。

「人生は、運よりも実力よりも勘違いさせる力で決まっている」

著者のふろむださんがこの本で伝えたいことは2つ。

一つは他人の評価は実際の実力、ポテンシャルとほとんど関係がないということ。

そしてもう一つは、自分の勘違いによって他人の評価を見誤ってしまうことはよく起きる、ということです。

だから私達は、

「他人の評価はだいたい適当だから、悪く評価されても気にしないこと」

「自分が他人を評価する時は、雰囲気に騙されて評価を見誤らないように注意すること」

が大切ですね。

特にツイッターでは。

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