【オリジナル小説】令和な日々 女子高生編
令和3年10月14日(木)「チケット」麻生瑠菜
「はい、チケット。1枚でいいの?」
「わあ! ありがとう、いぶき」
あたしはちょっと大げさに喜んでいぶきの身体に抱きついた。
普段はパーソナルスペースに侵入すると困った顔を見せるいぶきだが、いまは苦笑程度で許してくれる。
「すっごく、楽しみだよ、臨玲祭」
離れるものかと抱きついたまま、あたしは嬉しさを精一杯声に乗せた。
いぶきの目は一瞬戸惑いを見せたあと、優しさを湛える。
そして、「これだけ感激してくれたら、わたしまで楽しみになるね」と微笑んだ。
「だって、プラチナチケットだよ。3校合同イベント実行委員の枠で配られると思っていたのに2年生の分しかないって言われて争奪戦になっているし……」
実は、臨玲側は委員全員に1枚ずつ用意していた。
しかし、仕切っていたうちの高校の委員が「友だちと行きたいからひとり2枚」と主張した。
そして2年生の委員でチケットを独占してしまった。
当然1年生の委員は納得できずに反発が広がっている。
今年の臨玲祭はあの初瀬紫苑が撮影した短編映画が上映されるとあって注目の的だ。
感染症対策で外部からの入場が認められないと思われていたし、後日ネット配信されると発表されたので、それなら仕方がないというムードが漂っていたのだが……。
ここにきて新規感染者数が減り緊急事態宣言も解除され、「ワクチン接種か陰性証明があれば入場可能」と公式にアナウンスされた。
もちろん臨玲の学園祭に入場するためには、大前提として入場チケットが必要になる。
お嬢様学校である臨玲のチケット管理は伝統的に厳しいと評判だ。
家族用のチケットを家族以外が利用したら、そのチケットは没収。
その生徒は在学中はおろかOGになっても二度とチケットを発行してもらえない。
もちろん反省文を書かされ、懲罰房行きなんて尾ひれの付いた噂もある。
超有名女優の初瀬紫苑が入学したことで例年の何十倍ものチケット申請があったらしい。
しかし、密になることを避けるために外部から人を入れるものの数は多くなり過ぎないように制限するようだ。
そういう事情はあたしが通う高女にも流れてきた。
だから、喉から手が出るほどチケットは欲しかったが、いぶきに負担を感じさせないように何も言わずにいたのだ。
「生徒会の映画上映はインターネットで予約ができるから。チケットナンバーでログインして、指定の場所と時間で決められるよ。上映場所はこっちのモニタールームの方が見やすいと思う」
「いぶきは一緒に見ないの?」と尋ねると、「在校生は臨玲祭の前にクラスで鑑賞するんだって」と教えてくれた。
「そっか……」と呟きながらあたしは悩む。
映画も見てみたいが、折角いぶきとずっと一緒にいられる機会だ。
1日彼女に学校全体を案内してもらい、様々な出し物を見て回りたいという気持ちもある。
「いぶきは当日どれくらい自由に行動できるの?」
「そうだね。出番の1時間くらい前に楽屋入りすると思うから、その前と出番が終わったあとは予定はないかな」
いぶきがあたしとつき合っていることは彼女のクラスメイトに広く知られているらしい。
そのため彼女の出演は学外の人への解放日となり、担当の仕事も前日の学内だけで行われる時に割り当てられたそうだ。
気が利いたクラスメイトが大勢いるようで羨ましい。
「だったら、いぶきとずっと一緒がいいな」
あたしは想いをストレートに口にした。
ほんの間近にあるいぶきの瞳にあたしの顔が映し出されている。
その瞳がわずかに揺れ、「……うん」という言葉とともに彼女は目を逸らした。
抱き締めていると彼女の温もりが伝わってくる。
ずっとこのままでいたい。
だけど、黙っていたら彼女はそっと身体を引き離そうとするだろう。
これ以上接近することを恐れるかのように。
「そういえば、なんでそんなに渋いものになったの?」
沈黙を破ってあたしが尋ねると、「ああ、なんでだろうね。今年は飲食が禁止で、演劇や合唱も枠が少なくて、クラスの第一希望はお化け屋敷だったんだけど抽選で外れて……」と顔を中空に向けながらいぶきが答えた。
展示だけで済ませるところも多いらしい。
しかし、彼女のクラスには臨玲祭に情熱を傾ける人がいて、ほかとかぶらない案をたくさん出してその中から決めたそうだ。
「その結果が、落語会なのね」
「ネタを一から作るなんて素人には無理だけど、落語なら覚えればいいって言われてね。クラス全員が一度は高座に上がるってことで決まっちゃったんだよ」
「初瀬さんも出るんだよね?」
「最初は嫌がっていたけど、日野さんから『4分33秒』という現代音楽の名曲を真似してもいいよと言われて渋々承諾したみたい」
「何それ?」と聞くと、「4分33秒間何も演奏しないという音楽」といぶきは笑って答えた。
「そんなのがあるの?」とあたしは素直に驚く。
「結構有名だよ。落語で真似ができるかどうかは分からないけど、初瀬さんならそこに座っているだけで5分くらいなら観客を見入らせてしまえるんじゃないかな」
あたしが興味を抱いて「初瀬さんはいつ出るの?」と勢い込むと、「それは秘密。事前に知られると大騒ぎになりそうだからね」といぶきは肩をすくめた。
初瀬紫苑が出るかもしれないとなれば、当然観客はいっぱいになるだろう。
そこに考えが及び心配そうな顔つきになったあたしに、「大丈夫だよ、席は確保しておくから」といぶきは安心させようとした。
「そうじゃないの。いぶきの魅力が多くの人に知られちゃうことが不安なの」
甘えるように囁くと、いぶきは目を大きく見開いた。
その表情が可愛くて、あたしは抱き締める手に力を籠める。
すると、突然彼女が真剣な面持ちとなった。
最近は穏やかな雰囲気だったのに、初めて会った頃のような重荷を背負わされた空気を身に纏う。
眉間には皺が刻まれ、激痛に苦しんでいるんじゃないかと思ってしまう。
「家族にもチケットを送ったんだ。妹が来るかも……」
許しを求めるようなその声にあたしは何も答えられなかった。
ただ震える彼女の身体を必死に抱き締め続ける。
彼女がくれる温もりと同じものをあたしは彼女に返しているだろうか。
心の中での問い掛けに答えるものは秋の虫の音だけだった。
††††† 登場人物紹介 †††††
麻生瑠菜・・・高校1年生。鎌倉三大女子高のひとつ高女に通う。いぶきとは同じ寮で部屋は隣り。よくいぶきの部屋に押しかけている。来春予定の3校合同イベント実行委員を務めている。
香椎いぶき・・・臨玲高校1年生。3校合同イベント実行委員のオンライン会議の場で瑠菜に告白され、その話はかなり広まっている。中学生までは障害のある妹の世話をずっとしてきたが精神的に追い詰められて家を出た。そのことはある程度瑠菜にも伝えているが……。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。超有名な映画女優であり、メディアへの露出が少ないことからカリスマ的人気を誇っている。臨玲祭では生徒会主導のもとで短編映画を撮影した。
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