【オリジナル小説】令和な日々

令和2年4月20日(月)「オンラインホームルーム」藤原みどり


「おはようございます」

 私の挨拶に対し、生徒たちが一斉に元気な挨拶を返す……という思い描いていた光景にはならなかった。
 画面上に映し出された生徒たちは軽い会釈をしたり、小声でボソボソとおはようございますと言ったりするだけで、綺麗に揃った返事が来ない。
 慣れていないから仕方ない。
 そう思って、残念な顔にならないように気をつけながら私は生徒たちに笑顔を向けた。

 今日は朝9時からオンラインホームルームを行っている。
 ビデオ会議システムを利用したもので、なんとか実現にこぎつけることができた。
 参加する3年1組の生徒は半分を少し超えた程度。
 何も準備がないところからスタートした割にはよく集まったと言うべきだろうか。

 今回の試みはあくまでも「実験」である。
 公平性の観点から、そういう体裁で校長が許可を出してくれた。
 休校が予定通りに5月6日で終了し学校が再開できれば問題ないが、更に長引くようだとこうした取り組みは否応なく進めていかなければならない。
 理由を持ち出してできないと言っていても何も変わらない。
 とにかくやってみないと前に進んでいかないものだ。

 生徒側の準備に関しては日野さんに一任してしまった。
 彼女に相談したのは先々週の金曜日だったが、続く土日でクラスのほぼ全員と連絡を取り、各家庭の利用可能状況を調べてくれた。
 スマホの所持率はほぼ100パーセントに近かったが、インターネット回線の有無やパソコン、タブレットの所有率、そしてそれらを扱う能力には家庭ごとに大きな差があった。
 オンラインホームルームは10分程度を見越しているが、オンライン授業となると長時間の回線接続が必要となる。
 更にスマホでは黒板が見づらいなども予想される。
 家庭にパソコンがあっても親がリモートワークで使用していたり、兄弟がオンライン学習で利用していたりすると対応が難しい。
 課題山積ではあるが、それでも今日ここに第一歩を踏み出すことができた。

 PC教室には多くの先生方が見学に訪れている。
 完全に三密の状態だ。
 この「実験」は金曜日まで毎日行うので人数制限をしたのに、ひと目だけでも見たいという声が多かった。
 私はまだ新米のようなものなので、押しとどめることができなかった。

 簡単な挨拶の言葉のあとに、ひとりひとりの名前を呼んでいく。
 こちらは元気な「はい」の声が返ってきた。
 初めての試みなので戸惑う表情も見られたが、興味津々というかワクワクというか、そんな顔が目立つ。
 時間があまりないので、点呼のあとは連絡事項を簡単に述べて、あとはちょっとした雑談でリラックスさせることを心がけた。
 受験生だから勉強して欲しいという気持ちは強くあるが、3年生になりそういうプレッシャーは本人がいちばん感じているだろう。
 それに、こんな誰もが経験したことがないような非常事態の中では気持ちを明るく保つことが大切だと思う。
 厳しい言葉を並べそうな人がすぐ隣りにいるから……。
 私は優しい言葉を使って好感度を上げるチャンスだと捉えていた。

「副担任の君塚先生からも一言お願いします」

 先週の月曜日に君塚先生が「校長先生から藤原先生を手伝うように指示がありました」ともの凄く迷惑そうな顔をして私のところに来た。
 協力するためというより、あからさまに監視するためといった感じだ。
 とはいえ私も手探りの状況だ。
 手伝えるものなら手伝って欲しい。
 ただベテランの君塚先生がどこまで情報機器の扱いができるか疑問に思っていたのだが……。

「とりあえずセキュリティの問題についてまとめてあります」と手渡してくれた資料はビデオ会議システムのセキュリティ問題についてまとめた分厚い紙の束だった。

 パラパラと見てみるがかなり専門用語が多い。
 私が「君塚先生はこれを理解しているのですか?」と尋ねると、さも当然といった顔で頷いた。

「この前、オンライン授業は無理だと仰っていましたよね?」と確認すると、「各家庭の状況を鑑みると公平性を持って行うことは無理でしょう。オンラインホームルームであれば、参加できなくてもそこまで不利益は生じないでしょうが」と冷めた表情で君塚先生は答えた。

 それから1週間、私たちは準備を重ねた。
 使うパソコンは私のノートパソコンということになった。
 君塚先生によると、あくまでも私の責任において行う実験で、何か起きても学校側は責任を取らないということらしい。
 君塚先生との間で何度もオンライン会議を使ってみて、慣れるとともにトラブルにも備えた。

 この週末はオンライン授業の研究をしましょうと言われ、それぞれの自宅から授業を行い感想を言い合った。
 スマホやタブレットで見た場合の使い勝手や、オンライン授業を受けている時の集中力の持続度合い、板書の見やすさや代わりにツールを使って文字を表示したときの分かりやすさ、ノートを取るタイミングなど事細かに検証した。
 そのせいで土日の休日は丸つぶれとなってしまった。
 誰よ、君塚先生が口やかましいだけの教師だなんて言ったのは……。

 勉強しろと厳しく言うかと思っていたが、君塚先生は生徒たちに「気が緩むことがないよう一日一日自覚をもって生活してください」と注意するだけだった。
 最後に、日野さんを暫定の学級委員に指名し、初めてのオンラインホームルームを終えた。

 私はホッとして椅子に座ったまま天井を向く。
 トラブルなく1日目を乗り越えた。
 生徒たちの顔も見ることができた。

 見学に来た先生方が「御苦労様」「興味深かった」などと声を掛けてくれる中、君塚先生は「校長先生に報告してきます」とPC教室を出て行った。
 肩の荷が下りたと悠長にしてはいられない。
 今回のホームルームの報告書を書く前に、参加できなかった生徒に電話連絡をする約束となっている。
 これも公平性を保つためだ。

 職員室に戻り、電話を確保する。
 大勢の生徒がいるのに学校の電話回線は3本しかない。
 原則として生徒への連絡はこの学校の電話を使わなければならない。
 前校長はその辺りを臨機応変に対処していたが、新しい校長はそういったところには厳しかった。
 日野さんに関しては例外で、保護者と離れて暮らしていることや体質的な問題があることなどから前校長の権限で私用電話からの連絡が許され、現校長の下でも引き継がれている。
 それをオンラインホームルームへの協力依頼に使うのは厳密に言えばルール違反なのだが……。

 生徒へ電話する傍ら、日野さんが作ってくれたクラスのLINEグループを確認する。
 日野さんがオンラインホームルームの感想を問う発言をしていて、それに返答が送られていた。
 起きるのが大変だったなんて感想もあるが、概ね好評のようだ。
 私は『明日からはホームルームで自己紹介をしてもらうから考えておいてね』と書き込んだ。

 手応えを実感した私に日野さんからメールが届いていた。
 そこには『高くつきますよ』とだけ書かれていた。
 いや、あくまで暫定だから!
 私が慌ててそれを力説するメールを返信したのは言うまでもない。


††††† 登場人物紹介 †††††

藤原みどり・・・新卒4年目となる中学校教諭。3年1組担任。国語担当。昨年度は可恋のクラスの副担任だった。

君塚紅葉・・・教師歴20年を越える3年1組副担任。英語担当。新任の校長と同じ中学校から転任してきたばかり。

日野可恋・・・3年1組。母親は著名な大学教授で、現在は支援活動の真っ只中のため可恋とは離れて暮らしている。

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