【オリジナル小説】令和な日々
令和2年8月21日(金)「後悔」澤田愛梨
「澤田さん、ちょっといいかな?」
休み時間、いつものように廊下に出ようとしていたら日々木さんに声を掛けられた。
否応はない。
彼女の周りだけ清々しい空気に包まれている、そんな少女に呼び止められて立ち止まらない人間がいるはずがない。
「どうしたの?」とボクは平静を装って返答する。
ボクも容姿には自信がある。
少しでも良く見られようと背筋を伸ばし、真っ正面ではなくほんの少し斜めを向いて応対する。
「実はね……」と彼女がボクを見上げる。
その鳶色の瞳がキラキラして眩しい。
透き通る白い肌。
神が造り上げた最高傑作と言える整った顔立ち。
マスクで隠されていてもその美しさは微塵も揺るがない。
ボク同様、こんな場所には相応しくない芸術品だ。
見とれるボクに、「運動会の実行委員をやって欲しいの」と彼女はお願いしてきた。
その内容に思わず顔をしかめてしまう。
それに気づき、「今年は3年生の参加種目が削減されているから、負担は大きくないと思うの」と日々木さんは訴えかけてくる。
いままでのボクなら面倒だと断っていただろう。
だが、ボクが実行委員になれば、学級委員の日々木さんと話す機会は増えるかもしれない。
ハイキングでは碌に話ができなかったが、これはチャンスだ。
何といっても、学校には日野さんはいないのだ。
「分かった。やるよ」と答えると、彼女は満面の笑みを浮かべた。
せっかくボクに天使のような笑顔を向けてくれたのに、その大半を見えなくするマスクの存在をこの時ほど呪ったことはなかった。
彼女は「ありがとう!」と弾む声で言って、今度は津野さんたちの方へ向かって行く。
日々木さん以外視野に入っていなかったが、よく見ると宇野が一緒だった。
ボクも宇野の後ろをついて行く。
「ちょっとお話いいかな?」と声を掛けた日々木さんは、その場にいた津野さん、川端さん、高月の3人を相手に話を始めた。
「3人のうちのひとりに文化祭の実行委員を引き受けて欲しいの」
3人は黙って互いの顔を見合わせる。
日々木さんのお願いなのだからもっと真剣に応対しろよと思うが、さすがに口には出さない。
「何をするかは考えているの。わたしや可恋が中心となって動くつもりだけど、実行委員は津野さんたちにお願いしたいなって」
日々木さんは胸元で手を組み、懇願するように頼んだ。
しかし、誰も引き受けようとしない。
「高月、やれば」とたまらずボクは口を開いた。
高月は余計なことをといった感じでボクを睨みつける。
それから取り澄ました顔で「忙しいから無理かな」と日々木さんに向かって告げた。
「そっか。仕方ないね」と諦めて日々木さんが去ろうとした時、「わたしが……」とそれまで俯いていた川端さんが声を上げた。
「ホント! やってくれるの?」と日々木さんは大喜びだ。
その勢いに押されるように、「ちゃんとできるか分からないけど……」と川端さんは言葉を濁す。
だが、日々木さんは彼女の両手を取り、「大丈夫だよ! 協力するから」と自分の胸元にその手を寄せた。
しまった!
ボクももっとOKを渋るべきだった。
激しい後悔がボクを襲う。
手を握ってもらうチャンスだったのに!
ボクが愕然としている間に、「今日のホームルームで発表するね」と日々木さんは笑顔で自分の席へと戻って行った。
ボクが慌ててついて行こうとしたら、ブラウスの後ろをつかまれた。
「何?」と振り向くと、高月に強引に廊下へ誘い出された。
休み時間はもうすぐ終わるのに。
いつもなら廊下から戻るタイミングだ。
「鼻の下が伸びているわよ」
「は? どういう意味だよ」とボクが声を荒らげると、高月はプイと横を向いて「まだ諦めてないのね」と聞いてきた。
「諦めるも何もないよ」
ボクは答える。
ハイキングでは日野の妨害にあったが、それだけのことだ。
今日は日々木さんから声を掛けてくれた。
何を諦める必要があるのか。
「意外とタフね」と笑った高月はこちらに向き直り、「聞いた? 今年もファッションショーをやるらしいよ」とボクに教えた。
ファッションショー。
昨年の文化祭で日々木さんが中心となって開催したと聞いている。
当時は彼女のことにそれほど興味がなかった。
だから見に行かなかった。
いまになってその判断を激しく後悔している。
興味を示したボクに高月は「2年中心でやるみたいだけど日々木さんも関わるようよ。モデルに立候補したら?」と唆す。
ボクならモデルに相応しいだろうが、さすがに立候補は……。
「去年、評判だったから2日目に見たけど、予想以上だった。中学の文化祭であれだけのものができるなんてって驚いたもの」
ボクが羨ましそうな視線を送ると、「なんだ、見てないの?」と高月は嗤う。
そして、「映像とか残っているんじゃないなか。日々木さんと仲良くなったら見せてくれるかもよ」とボクの心を翻弄する。
「なんでそんな情報をくれるんだ?」と尋ねると、「貴女を見ていると愉しいもの」と愉快そうに高月は答えた。
ボクはムッとして彼女を置いて教室に戻った。
すぐにチャイムが鳴り、席に着く。
「見世物じゃないぞ」と独りごちる。
ボクは天才だ。
これまでは実力を隠して過ごしてきた。
これからは違う。
日々木さんに認められるために真の姿を見せつけよう。
周りからは妬みややっかみの視線や言葉が投げかけられるだろう。
だが、ボクはもう逃げない。
高月もそんな輩のひとりだと思えばいい。
……いいさ。
……天才のボクの華麗な勇姿をその眼に焼き付けさせればいいのだ。
……まずは運動会で、陸上で鍛えた足を華々しく披露しよう。
あっ。
今年の運動会は、3年はひとり1種目の出場に制限されるって言っていたっけ。
リレーのアンカーは宇野が譲りそうにないし……。
どうしよう、ボクの見せ場……。
††††† 登場人物紹介 †††††
澤田愛梨・・・3年1組。陸上部。自称天才の名に恥じないレベルの学習能力や身体能力を見せている。
日々木陽稲・・・3年1組。学級委員。ロシア系の血を引く日本人離れした美少女。将来の目標はファッションデザイナー。
高月怜南・・・3年1組。心花グループの中心メンバー。退屈しのぎに周囲にちょっかいを出すタイプ。
津野心花《みはな》・・・3年1組。心花グループのトップ。ただしリーダーシップはなく、象徴的存在。実行委員のようなものを引き受ける気はさらさらない。
川端さくら・・・3年1組。心花グループの中心メンバー。周囲の空気を読むのに長けている。
宇野都古・・・3年1組。陸上部の絶対的エース。リレーのアンカーをやりたいなんて、この都古に勝ってから言え。
日野可恋・・・3年1組。足には自信がある。昨年のクラス対抗リレーで勝てなかったことをいまも引きずっているほどの負けず嫌い。
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