【オリジナル小説】令和な日々

令和2年2月8日(土)「ヒナの告白」日々木華菜


「ちょっと無理しているんじゃないかって心配なんだ」

 わたしが不安を口にすると、ゆえは「分かる」と共感してくれた。
 今日もゆえの家に集まって、ゴールデンウィークに開催予定のファッションショーの話し合いをしている。
 他はハツミとアケミのふたりで、気心の知れたメンバーということもあり、合間合間に雑談が混じる。
 そこでわたしが話題にしたのが妹のヒナのことだった。

「やっぱりさ、可恋ちゃんの側にいると煽られているっていうか、自分も負けないように頑張らないとって思っちゃうじゃない」

 そう言葉にするゆえは思い至ることがあるのだろう。
 その声には実感が籠もっていた。

「ヒナちゃんは可恋ちゃんのいちばん近くにいるのだから、いちばん影響を受けやすいよね」

 ゆえの意見にハツミやアケミも頷いている。
 わたしもその意見に同感だ。

 可恋ちゃんがこの冬二度目となる入院をした。
 インフルエンザによるものだが、彼女は体質の問題があって普通の人よりリスクが高い。
 彼女を心配する気持ちはもちろんわたしにもある。

 ヒナは前回の入院の時はずっと塞ぎ込み、勉強など手がつかなかった。
 仕方ないことだと思いながら、わたしは妹を見守っていた。
 それが今回はわたしに対しても不安な顔を見せないように過ごしている。

「可恋がいなくても頑張らないと」とファッションの勉強に精を出す姿は悲壮感さえ漂っていた。

 そんなヒナの姿を見ると、寂しくもあり、心配でもあり、姉として何ができるのかと思ってしまう。
 そんな心情を友だちの前で吐露してしまった。

「妹が離れていくような気持ちになるよね……」と同じ妹を持つアケミが呟いた。

「うちは歳の離れた兄がいるけど、構われるとウザかった思い出しかないわ」とハツミが笑う。

 兄弟姉妹の形は家族ごとに違うものなのだろう。
 ひとりっ子であるゆえはそんなわたしたちの様子を微笑みを浮かべながら眺めていた。
 いつもなら「カナはシスコンだから」と混ぜっ返しそうなのに。

「ゆえは兄弟が欲しかったりしない?」と、そんなゆえを見ていたらつい聞いてしまった。

「そうだねえ……、上がいたら人脈を作るのがもっと楽だったかもね」

 帰宅したらもう夕刻で、すぐに夕食作りに取りかかる。
 土曜日の夜にヒナが家にいることは稀だ。
 週末は可恋ちゃんの家に泊まりに行くことが習慣となっている。

 わたしが準備を始めているとヒナがやって来た。
 最近、顔付きが大人っぽくなり、ハッとさせられることがある。
 もうすぐヒナは14歳を迎える。
 いつの間にかヒナの顔から幼さが消えていた。

「手伝うよ」と微笑むヒナにサポート役を任せる。

 今日はヒナもいるし、お母さんも早く帰ると言っていたので鍋ものにするつもりだった。
 一部の食材は昼に出掛ける前に下ごしらえを済ませているから、もうそれほど手間は掛からない。
 使い終わったボウルなどを洗ってもらったり、皿を出してもらったり……。

 その時、ガシャン! と大きな音が鳴った。
 振り返ると、ヒナが立ち竦んでいる。
 その足下にはわたしの茶碗が転がっていた。

「ヒナ、大丈夫?」とわたしが声を掛けると、「……ごめんなさい」とヒナが青ざめた表情で謝る。

 慌てて、ヒナはしゃがんで茶碗を拾おうとした。
 わたしは「いいから」と大声でそれを制す。
 茶碗は欠けていて危なかったし、それ以上にヒナが心配だった。

 人間だからミスは起きる。
 わたしも毎日料理をしていると皿を割ったりすることはある。
 ヒナは夏頃から料理に取り組むようになったが、当然こうした失敗はあった。
 しかし、ここまでショックを受けていた記憶はない。
 わたしは「お父さんを呼んできてくれる?」とヒナに頼んで、彼女をキッチンから遠ざけた。

 家族で鍋を囲んでいる時ヒナは気丈に振る舞ってはいたが、わたしには痛々しく見えた。
 たぶん両親も気付いていたと思うが、誰もそれを口には出さなかった。

 わたしはお風呂から上がったあとで、ヒナの部屋に行った。
 先に入った彼女は長い髪を乾かしているところだった。
 彼女は顔を上げ、「ドライヤー、使う?」と聞いた。

 ヒナのドライヤーは祖父に買ってもらった高級品なのでわたしもよく借りている。
 わたしはヒナの背後に回ると、ふんわりした彼女の髪に触れた。

「貸して」と言って彼女の手から大きなブラシを受け取ると、わたしは繊細なヒナの髪を丁寧にブラッシングする。

 わたしはヒナの髪をいじるのが好きだ。
 いまも毎朝彼女の髪を整える手伝いをしている。
 クセの強い赤褐色の髪は腰まで届き、ヒナひとりではまとめられないからだ。

 いまはしっとりとしているので、髪は比較的素直だ。
 髪を梳いている時のヒナはいつも以上に従順でわたしに身を任せてくれる。

「お風呂に入って、少しは元気になった?」とできるだけ優しい口調で訊く。

「……あのね」

 そのあとの言葉がなかなか出て来ないようだが、わたしは気にせずにブラシをかけ続けた。

「……可恋に何か起きるんじゃないかって、不安になったの」

 こちらから顔は見えないが、鼻声になっていた。
 わたしはなんて言葉を掛けていいか迷い、「そう」とかすれた声を出す。

「さっき電話で話したら、可恋に笑われちゃった」

 手を止めたわたしに、ヒナが振り向いて笑顔を見せた。
 目は赤く充血している。
 わたしはそれに気付かない振りをして、微笑み返す。

「今度はわたしがやってあげる」と言ったヒナはわたしを後ろに向かせて、髪にドライヤーを当ててくれる。

 しばらくの間、部屋にはドライヤーの音だけが鳴り響いた。
 わたしは小さなヒナの手にすべてを委ねる。

「可恋も純ちゃんも短すぎるから、お姉ちゃんの髪の方がイジり甲斐があるね」

 わたしもそれほど長髪という訳ではないが、スポーツをしている可恋ちゃんや純ちゃんはかなり短い。
 ふたりとも髪型にバリエーションをつけられないので、そこがヒナには不満なのだろう。
 わたしも調理師を目指すなら衛生面を考えてもっと短くしないとと思っているが、もうしばらくはこの長さをキープしたい。

 乾かし終わってもヒナはブラッシングを続けた。
 わたしはされるがまま、ヒナの気が済むまでじっと待つ。

「……わたしね」

 少し浮上していたヒナの気分がまた沈んでいるような声になっていた。
 振り向きたかったが、我慢する。

「可恋に何かあったら、キャシーのことを許せなくなるんじゃないかって怖かったの」

 それはいままで聞いたことがないくらい冷たい声だった。

「……自分の中にこんな恐ろしい感情があるなんて」

 わたしは振り向いた。
 ヒナはどこか遠くをぼんやりと見ていた。
 その表情はわたしが知っているヒナではなく、もっと大人びたものだ。

「わたしがそう告白したら、可恋は『自分なんて子どもの頃からいろんなものを呪ってきたよ』と言っていたの。負の感情は誰にでもあるのだから、それにどう向き合うのかが重要だって」

「……ヒナ」

 わたしはヒナや可恋ちゃんより二歳年上だ。
 この年齢の1年2年は大きな差だと言うが、それは「普通」の生活をしていればという条件付きだろう。
 可恋ちゃんは苛酷な幼少期を過ごしているし、ヒナだって「普通」とは呼べない生活をしてきたと思う。
 可恋ちゃんがわたしより大人だと感じることは多いが、ヒナもまた急激に成長しているように思う。

「話を聞いてくれてありがとう」と微笑むヒナにわたしは頷くことしかできなかった。


††††† 登場人物紹介 †††††

日々木華菜・・・高校1年生。料理が好きで、調理師か栄養士を目指している。

日々木陽稲・・・中学2年生。華菜の妹。姉と異なりロシア系の外見をしていて幼い頃から周囲の注目を浴びていた。

野上月《ゆえ》・・・高校1年生。華菜の親友。人脈作りが趣味。ファッションショーを企画している。

久保初美・・・高校1年生。帰国子女の美女。ゆえの企画に乗り気。

矢野朱美・・・高校1年生。優等生で、小6の妹の面倒をよく見ている。

日野可恋・・・中学2年生。スーパー中学生だが、生まれつき免疫力が極度に低く、幼少期は入退院を繰り返していた。

安藤純・・・中学2年生。陽稲の幼なじみ。競泳選手。

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