【オリジナル小説】令和な日々

令和2年7月6日(月)「天才のボク」澤田愛梨


 ボクの名は澤田愛梨。
 孤高の天才だ。

 小さい頃、親からは神童と呼ばれた。
 できないことはなかった。
 物覚えは抜群に良く、何でもすぐに理解した。
 運動神経も飛び抜けていて、ほかの子がもたもたしているところをボクだけが軽やかに動いてみせた。
 ピアノの発表会では先生に褒めちぎられ、学校の写生会で描いた絵は美術館に展示された。

 そんなボクに嫉妬の目が向けられるのは必然だったのだろう。
 小学校の低学年のうちから仲間外れにされたり、無理難題を押しつけられたりした。
 優秀なボクはこの面倒事を避ける方法を見出した。
 それが能ある鷹は爪を隠すの格言通りに自分の真の実力を見せないことだった。
 いつかボクを理解してくれる人が現れる。
 そう信じて力をセーブし、周囲に埋没することを選んだのだ。

「これ、今週の予定」と陸上部部長の阪本がプリントを突き出した。

 ボクが校内で唯一関わりを持つ相手だが、もちろん彼女にも天才であることは隠している。
 スケジュール表を「どうも」と言って受け取り、チラッと目を通す。
 それだけで内容を把握したが、それをわざわざ伝えることもない。

「愛梨も最上級生になったんだから、少しは後輩を指導してあげなよ」

 面倒見が良い阪本はそう話すが、ボクは他人と関わりたくないから陸上部を選択したのだ。
 ボクが肩をすくめて自分の教室へ退散しようとすると、「都古にも渡して」と阪本がもう1枚プリントを手渡した。
 宇野都古は同じクラスの陸上部員だ。

 ボクは休み時間、たいてい廊下をぶらついている。
 それは中学校に入学して以来ずっと――いや、天才を隠そうとし始めた小学校の高学年から続けている習慣だ。
 隣りのクラスの阪本はそれを知っていてボクを捕まえた。
 良いように彼女に使われた形だが、ボクにとっても望ましい依頼だった。

 自分の教室に戻る。
 現在クラスには女子のグループがふたつあり、いまも中心人物の周りにたむろしている。
 女子は群れるのが好きだ。
 ボクには理解できないが、ひとりだと不安なのだろう。
 ボクは見た目も良いのでこういう女子のグループにもよく誘われた。
 これまでは、つるむ気がなくて丁重にお断りしていた。
 このクラスでも津野のグループから誘われたが同様の対応をした。
 しかし……。

 もう一方のグループの方へ歩み寄る。
 そこに宇野がいるのだからと自然を装う。

「これ、阪本から」とプリントを渡すと、宇野は「ありがとな」と親しみを込めた笑顔を見せた。

 彼女は陸上部のエースだ。
 我が中学は伝統的に陸上部が強く、県下でもそこそこ知られている。
 ボクは力をセーブしているので現在陸上部女子の中でナンバースリーくらいの位置にいる。
 それで県下ではファイナルに残るレベルなのに対し、彼女は県内では無敵だ。
 強豪の高校に進学すれば全国区の選手になるかもしれない。
 彼女は中距離、ボクは短距離で種目は違う。
 ボクだって本気を出せばすぐに全国区だけどね。

 勉強だって県内トップの進学校に合格できるはずだ。
 しかし、中学受験を見送ったように、いまはまだ実力を発揮する時ではないと考えている。
 平均より少し上をキープしておけばいい。
 むしろ高得点を取らないように気をつける方が難しかった。
 中学の勉強は簡単すぎるから。
 そんな風に爪を隠したままの日常が続くと思っていた。

 宇野のすぐ横に椅子に座ったままの日々木さんがいた。
 日本人離れした容姿はとても目立つ。
 透き通るような白い肌はきめ細かく、印象的なダークブラウンの瞳は深淵を映すようだ。
 天才のボクすら魅了する美しい造形はまるで神が造り給うたもののようだった。

 それでも同じクラスになるまで、正確に言うと分散登校が終わり一緒に授業を受けるまでは、ただ外見が綺麗なだけの女の子だと思っていた。
 鑑賞するには良いが、それだけならボクには相応しくないと。
 ボクも化粧すればアイドル並の容姿を持つ。
 バレンタインデーには後輩の女子からチョコを渡され、断るのに苦労したほどだ。

 だが、近くで接してみると彼女は見掛けだけではないことに気づいた。
 高い知性があり、強い意志があり、包み込むような優しさがあった。
 普段はニコニコと微笑んでいるし、小学生のような幼い姿形だが、しっかりとした芯があると感じた。
 見れば見るほど彼女に惹きつけられ、天使のような外観と相まって神々しいと思うようになった。

 そう、彼女こそがボクを理解してくれる人だと直感したのだ。

 もっと彼女に近づきたいと願ったが、いまのところそれを果たせないでいる。
 もし彼女のグループに誘われていたら喜び勇んで入っていただろう。
 しかし、誘われなかった。
 ボクの方から望むというのは、プライドが許さない。

 せめて1対1で会話する機会があればと思うのに、日々木さんは常に誰かと行動を共にしている。
 声を掛けるチャンスが訪れることはなく、悶々とした思いでここしばらく過ごしている。
 いまも後ろ髪を引かれる思いでボクは彼女たちの元を去り、自分の席へと戻ったのだ。

 次の休み時間も廊下に出て、窓からポツポツ降り続く雨を眺めていた。
 右手で長くはない後ろ髪をイジっていると、後方に人の気配がした。
 慌てて振り向くと、目前に少女の顔があった。
 かなり近い。
 身長差がなければ顔同士が触れ合っていたような距離だ。
 いつもならこんな至近に人を近寄せないのに、少しボーッとしていたようだ。

 知った顔だっただけに尚更驚いた。
 2年の時に同じクラスだった高月だ。
 整った顔立ちで男子に人気があったが、おとなしそうな子という印象しか残っていない。
 こんな大胆な行動をするイメージはなかった。
 ましてゾクリとするほど挑発的な目つきをするなんて……。

「日々木さんのことが気になるの?」

 ボクは仰け反りながら「何のこと?」としらを切る。
 彼女の口元はマスクで見えない。
 それなのに不敵な笑みを浮かべているような気がした。

「2年の時には誰にも興味がないって顔をしていた貴女が、いつも目で追っているじゃない」

「2年の時には人畜無害なお嬢様って感じだった貴女が、コソコソ嗅ぎ回るハイエナのような目をしているよ」

 ボクの反撃の言葉にも彼女はたじろがない。
 抱きつくように身体を寄せてくる。
 振り払いたいが、彼女の目を見ているとヘビに睨まれたカエルのように硬直してしまう。

「からかったりしないわよ。協力してあげようって思っただけ」

 彼女は語尾の「だ」「け」を一音ずつ発音し、媚びるような言い方をした。
 男子なら顔を赤く染めていたかも知れない。

「必要ない」と突っぱねると、「日々木さんに関心があることは否定しないのね」と高月は含み笑いをする。

 ボクは動揺を隠し、「そういう意味じゃない」と冷たく言い放つ。
 彼女はそんなボクの威圧に怯むことなく、馬鹿にしたような目でこちらを見上げた。

「無理な話よね。日々木さんには日野さんという本物の天才がついているんだから。私や貴女のような凡人には手が届く訳がないわ」

 彼女はそう言うと、身を翻した。
 呆然と立ち尽くすボクを残し、軽い足取りで教室へ戻っていく。
 こちらを振り返ることはなかった。

 お前に何が分かると叫びたかった。
 ……天才のボクを凡人だって?
 ……お前の目は節穴だ。何を偉そうに……

 怒りの言葉が次々と湧き上がる。
 その一方で、あいつは何者なのかという思いが頭の中に渦巻いていた。
 ボクの何を知っているのか。
 何が目的なのか。
 ボクの天才的頭脳を持ってしてもその解答は見つけられなかった。


††††† 登場人物紹介 †††††

澤田愛梨・・・3年1組。陸上部。クラスの女子の中では可恋や早也佳に次ぐ高身長を誇る。

阪本千愛・・・3年2組。陸上部部長。

宇野都古・・・3年1組。陸上部。陽稲と仲が良い。

日々木陽稲・・・3年1組。ロシア系の血を引く美少女。

高月怜南・・・3年1組。川端さくらによると、小学生時代は最悪のトラブルメーカーだった。

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