部活引退、普通の高校生が12年間で感じた同世代のスター"久保建英"との差
初めまして。東京サポのひろアきです。このアカウントの今後のことなどは最後に書いてあるのでもしよろしければご覧下さい。
今回のnoteはかなり私情が入っていますので「何こいつ…」と感じる方が少なくないと思います。もしそう感じたのであれば「そういう人もいるんだな」と思ってくれれば幸いです。
僕は小学生の時から続けてきたサッカーにおいて"プレーヤー"としての現役をあと少し(9月くらい)で引退する。選手としては地域やその上のブロック選抜などに選ばれたこともあったが、その上の県選抜などには到底及ぶレベルではない。現に今在学している高校はサッカー進学ではなく学業のことを考えて選んだ。傍から見れば少しサッカーが得意な高校生なのだろう。そんな僕に多大なる影響を与えたのが皆さんもご存知の久保建英(年齢は久保が1つ先輩)なのだ。このnote初回は色々な話を交えて心の中で秘めていた彼への気持ちを書いていこうと思う。
久保建英との出会い
出会いと言っては大袈裟かもしれないが僕が久保建英という人間を初めて知ったのは彼が川崎フロンターレの下部組織からバルセロナのカンテラ(下部組織)に入団が決まった時だった。
小学校低学年の僕にはそれが具体的にどれくらい凄いかがピンとこなかったが、当時の僕の憧れの的だったメッシと同じチームの下部組織に行くのかくらいの認識だったと思う。
しかし1年後、彼が成し遂げたバルセロナ入団の難しさを肌で感じることになる。
久保建英にライバル心を抱いた瞬間
ある日母親が久保くんが合格したバルセロナのセレクションが近場で開催されるらしいから行ってみない?と提案してきてくれた。僕は興味本位で参加してみた。
このイベントはスペインから来日したバルセロナのコーチが全国数カ所で行われる会場に赴き、子ども達を指導しながら選考するというものだった。
僕はその中の1つに参加した。参加者はその日だけでざっと150人以上は居たと思う。そして選考会が始まりすぐに感じた。
「これは絶対に選ばれない…」
それなりに自信はあった。当時のチームでも活躍はしていたし、ボールを扱うことに関しては負ける気がしなかった。それに奇しくもメッシ、久保建英と同じ左利きということが武器になることもわかっていた。けれどそれは井の中の蛙。上には上がいた。その瞬間久保建英のレベルを肌で痛感したと同時に将来の夢が「代表で久保建英とプレーする」ことに変わった。
久保建英、Jリーグ最年少得点。その時…
ジェフユナイテッド千葉のジュニアユースのセレクションにまたしても落選した僕は中学の部活ではなく自宅から少し離れたクラブチームでプレーすることに決めた。そのチームは県優勝を成し遂げたり現在もJ1で活躍する選手を輩出したりするなど実績十分で、コーチ陣も熱意と愛情を持って接してくれた。今改めて思うが自分の努力次第ではプロになる可能性を大きく広げることができる環境だったと思う。
余談だがそのチームは監督の印象によって選手に背番号が与えられる。そこで僕が与えられた番号は3年間15番だった。これは久保建英がFC東京在籍時に着用していた番号と同じだなのだ。運命なのか…。(たまたまです(笑))
話を戻すと僕はAチームでコンスタントに試合に出ることはできず、出場できてもサイドのポジションで主戦場のボランチ、トップ下にいる絶対的な選手たちの牙城を崩すことはできなかった。
時を同じくして久保建英は例の移籍のトラブルで日本に帰国しFC東京u15むさしに加入していた。
そして時は来た。
忘れもしない。2017年4月15日。遠征帰りのバスの中で誰かが「久保決めたってよ」と呟いた。久保建英は15歳10カ月11日でJリーグ最年少得点を決め、僕はその動画を何回も繰り返し見た。そしてその瞬間から僕の中で久保建英という男に振り切られてしまったように感じた。
久保建英と初めての対面
私立の高校などでサッカーを続ける選択肢もあったが、学業を優先して地元の公立高校に通うことにした。部活でサッカーをすることに決めた僕は兄の影響(これは本当に久保建英は関係ない)でFC東京のファンになっていた。
高校2年生になり部活のオフや時にはサボったりしながら(先生ごめんなさい)本格的に味スタに通い始めた。と言っても毎節行けるわけではなく、往復の電車賃4000円(住んでる場所が田舎すぎて…)が入ったSuicaとチケット、ユニフォームだけを持ってここぞ!というタイミングで足を運んだ。
何を隠そうこの2019シーズンは我らが東京が飛躍を遂げ、建英自身もシーズン序盤から先発で活躍してくれた。
ホーム山雅戦を観戦した僕は都内に住んでいる兄の家に泊まり翌日小平(FC東京の練習場)に行くことにした。
そして当日、調子の良いチーム、建英を一目見ようと多くの人が駆けつけた。昨日の出場組は軽いランニングのみでトレーニングを切り上げサインや撮影に応じてくれた。森重、高萩、ディエゴ、剛と主力選手のサインを貰え舞い上がってるところにあの男が来た。久保建英だ。あまりの人気から彼だけサインか撮影のどちらかにするようスタッフから指示が出ていた。僕は悩んだ末、サインをしてもらうことにした。ついに僕の目の前に来た。そこで先日購入した15番のユニフォームを広げ
「背番号のところにお願いします」
とお願いすると
「ここでいいですか?」
と気前よく応じてくれた。これが初めての対面、会話だった。少し忘れかけていた今までの気持ちが込み上げてきた。もし小学生の時の夢を叶えていれば僕と彼は世代別の代表か何かで会話なんかとっくに済んでるはずだったのだから。
僕と彼は腰の下くらいまでの高さのネットで「プレーヤーとサポーター」に仕切られていた。
しかしそのネットが示す意味はそんな簡単なものじゃなかった。
同年の夏、久保建英は世界有数のメガクラブであるレアル・マドリードに移籍していった。
最後に
ここまで読んでくれた方は本当にありがとうございました。初投稿ということもあり使い慣れておらず、また文章力もないのでストレスを感じたと思います…。申し訳ございません。
僕はこの回で普通の高校生目線から見た久保建英を書いてみました。
色々と私情が入っていて伝わりにくかったと思いますが、彼は今でも僕にとって目標です。プレーヤーとしては退きますが、サッカーという大きな舞台で別の立場から彼と共演することを今は夢見ています。そして久保建英選手の活躍を1人の日本人としてこれからも応援しています。
このアカウントの方向性ですが、今回はお試し投稿という感じで、大学受験が終わり落ち着き次第我らが青赤東京の戦術分析を中心にやれたらなと考えています。
画像提供者 ミニマウ様 twitter→@minim4l_tokyo
画像引用元
https://twitter.com/minim4l_tokyo/status/1139520467226652673?s=21
ひろアき twitter→@Vet5p1ud35PGik2
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