マスクをお友達におすそ分け

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手作りマスクを手渡すために、一ヵ月半ぶりに友達とリアルで会いました。

 なぜ自宅待機開始から1ヶ月半も経ってからになってしまったのだろう。自分用、家族用は1ヶ月前に作っていたのに。彼女とはスマートフォン越しにメッセージを送りあって連絡は取りあっていたのに…

カリフォルニア州某ハイテクエリア在住です。

 ちょっとちょっと、今更ですか?と思うくらい急にアメリカでもマスクの着用指示が出ました。ほとんどのスーパーがマスクかフェイスガード(要は口、鼻を隠せ!とのこと)の着用が入店条件になっています。マスクが手に入った運のいい方もいるし、バンダナやネックウォーマーを使っている方もも見かけます。中には鳥山明先生か!というようなガスマスクを付けた人もいます。

なんでもアリな感じのマスク事情ですが、手作りマスクは少数派の模様です。余談ですが、家から出るのはほぼ週に1日。完全な主観です。

 もともとは、「マスクは病気の人が付けるもの」という考えの国だったので、マスクの一般への流通量は日本よりとても少ないのだと思います。2か月前でもマスクは買えませんでした。と、いうわけで自分用は1か月前にyou tubeを参考に作りました。

自分用が出来たら次は家族用。ここまでは何の疑問もなく作れます。ちゃちゃっと作って日本に郵送しました。配達にいつもの3倍くらい掛かってしまいましたけど。

家族以外の方に何かをあげたり、してあげるのってむつかしい。

出来るだけ高性能マスクをつけたい人には手作りマスクは有難迷惑になってしまうのかな? 顔だけに無地や、おとなしい色じゃなきゃ嫌かもしれない。あの人はどうかな?あの人意外と気にするかな?もう持ってるかな?などなどと考えていると、良かれと思う事でも躊躇してしまいます。

これってマスクに限った事ではないですよね。プレゼントも似たループ。あげる側はむつかしいのです。だからこそ学ばなきゃ。昭和の香りをまとう関西人がおせっかいと思われる事を恐れている場合ではないのですよ。

何かを人にしてあげる勇気は、自己アピールに似ていると思う。相手に押し付けを感じさせずにこちらの事を受け入れてもらう。

モノでもコトでも受け取ってもらえたら、それはプレゼンが成功したという事。

今回はマスクがないと言ってもらえて、手作りマスクをうけとってもらえました。次はこのコミュニケーションをもっと早くにできますように。

マスクを着けて距離をとっての、おそらく5分くらいの立ち話。最近あまりにも一人で家にこもりすぎていたようです。自分がちゃんと生きているんだなーと友達に会ってやっと再認識できたという変な感覚でした。

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