私ではない誰かになるために
頑張れば誰かになれると思って、新しいことをすれば私であることを辞められると思って、だけど結局私は私でしかいられないってことを突き付けられて、だから頑張ることを辞めてしまう。
常に私は私じゃない誰かになりたかった。私の人生から抜け出して他の誰かの人生を歩んでみたかった。私は私のことが嫌いだけれどそれに具体的な理由はなくて、あるとしたらそれは私が私であるからに他ならない。私は私のことが嫌いだから私のために頑張り続けることはできなかった。私が何かを為しえて名声を手に入れるよりも他の誰かに成り代わってしまいたかった。
知らない世界に惹かれるのはその世界を知れば別の誰かになれるのだと錯覚しているからで、もがき続けるのはそうすれば私であることから脱却できると希望を抱いているからで、それが叶わないと突き付けられた瞬間にその世界から興味を失うし、苦しい思いをしてまで足掻こうという意欲は消えてしまう。私は私の人生しか生きられないというこの世界のシステムがある限り頂点に上り詰めることはできない。
世界のすべてを知ることができないということはひどく残酷だ。モンマルトルの丘から見下ろすパリの市街は永遠に続いているようだけれど結局のところそれは個の集合体でしかない。誰もが自分の人生しか生きられないという制約がある限り永遠に続くパリの姿を外から眺めることしかできない。そこに蠢く何十万何百万という営みが生み出す断続的な時の欠片をすべてこの身に取り込むことはできない。私は私が見ることのできる180度の視界がすべてなのであって、私の手に届く半径1メートルの距離がすべてなのであって、それ以外の営みからは弾き出されたままこの手に触れることすらできない。世界のすべてを知ることができないのはひどく残酷だ。
私は私ではない誰かになるために生きている。私であるまま人生を終えることはひどく空虚なことだ。当然のことながら私は世界のすべてをまだ知ってはいない。世界のすべてを知っていないからこそ世界のどこかに私が別の誰かになる方法が存在するのではないかという希望を捨てきれない。この希望だけにすがって私は今日も生きている。