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「使える英語」は学校では教えてくれないと確信した瞬間

私は、広島にある中高一貫の学校を卒業した後、大学時代は仙台で過ごしました。その大学を卒業しましたが、4年生の時に1年間アメリカに留学することができたので、大学には通算5年間通ったことになります。

こう書くと、すんなりと留学できたように聞こえると思いますが、大学時代に留学できたのには伏線がありました。それは、高校時代2年生の時に受けた留学試験です。何故そう思ったのは、そう思い始めたのはいつ頃かについては、確かな記憶はありませんが、この留学試験は苦い思い出となりました。この留学試験は、American Field Service(AFS)という団体が行なっている留学制度でアメリカの高校に留学するためのものでした。

試験は、まず校内選考から始まりました。幸い、非常に英語の成績の良い同級生数人は留学に興味がなかったらしく、この選考を無事に通過することができました。次は県内の選考です。これも何とか通過。記憶が正しければ、ここまではすべて筆記試験のみでした。つまり、リスニング、スピーキング能力はテストされなかったのです。しかし、受験した時は、他所の学校から来ている周りの受験生を見ると、誰も自信に溢れた顔をしているようで、逆の自分の自信が砕かれるように思った記憶があります。

にもかかわらず、ここも何とか通過。「留学が現実味を帯びた」と思いました。(後で考えると、錯覚に過ぎませんでした!ー残念!ー)

次の関門(最終関門)は中国地区試験。島根県の松江で行われました。試験当日、予測していないことが起こりました。いくつかある試験科目の一つが、会話力を測る試験だったのです。(このことを、高校の英語の先生の誰一人として事前に教えてくれませんでした。単純な情報不足で、準備も何もできませんでした)英検で経験された方も多いと思いますが、試験内容は、名刺大のカードに英語で書かれた短い物語を読んで、その話のおち(punch line)がどう面白いのかを英語で口頭説明せよという内容でした。

しかし、悲しいことに、英語で説明された(であろう)この試験内容をまったく理解することができませんでした。リスニングに関する本格的教育は中高を通してほとんど行われておらず、聴き取りがまったくできなかったのです。

制限時間が経過しようとする頃、我慢の限界とばかりに試験官の先生が、問題の内容を教えてくれました。もちろん「日本語で」です。「戸田君、この問題はね...」と。この瞬間、試験失敗を確信しました。こうした、私の留学への挑戦は終わりました。

試験後、悔しい思いがムラムラと湧いてきました。何で学校では英語を聴いたり、話したりすべを教えてくれなかったのだろうか。進学校で受験を前提とした勉強に集中するのであれば、必要ないのかなという諦めも...しかし、英語を勉強するなら、聴けて話せなければ意味がないと強く思ったのです。

広島の家に帰りついて私がすぐに始めたのは、NHKのラジオ英語講座を聞くことでした。どうやって、英語のリスニング、スピーキング能力を伸ばすにに、ラジオ講座が役立つと知ったのか、もはや50年以上経った今、まったく記憶にないのですが、この判断は正しかったようです。

家族の応援を得て、高校を卒業するまで、ほぼ毎日ラジオで「基礎英語」「続基礎英語」という基礎講座を聴き、少し遅れて「英語会話」という、ちょっとレベルの高い講座を始めました。講師は、東後勝明先生、アシスタントはジョイス・グリーンウッドさん、そんなことまで覚えています。そのうちテレビの講座を見るようになりました。

この習慣は、大学に入って一人で暮らすようになっても続け(他の勉学は、テニス部でテニスに夢中になっていた関係で、極めておろそかでしたが)、リスニング、スピーキングを独学したおかげで、何とかある程度自信のつく水準に到達したと思います。こうして英語に親しむうちに、高校時代に実現できなかったアメリカ留学を、大学にいる間にどうしても実現したいと強く考えるようになったのです。(続く)

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