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My name is ...は「余の名前は。。。なり」

たまに読むデイビッド・セインさんの本。
納得できるところも多いけど、「そう言われても。。。」と困ることも多い。

例えば、”My name is Kengo Takahashi."というと、侍が「余の名前は”けんごたかはし”なり」と言っているように聞こえるそうです。

そして、"How are you?"も、"Fine, thank you."も、もうネイティブにとっては死語なんだそうです。

この限界、どうやって超えたら良いの?答えは。。。。。

突っ込みをひとつ入れると、侍なら「余の名前は。。。」ではなく「拙者の名は」だろうと!「でもいいじゃない、お互い様だもの」ではだめなんだろうか?

いちいちネイティブチェック入れながら会話もできないし。この限界を越えるには...

一つの考え方として欧州を中心に言われているのが、ELFという考え方です。English as a Lingua Franca(Lingua Francaは「世界共通語」という意味)の略です。ある英国の大学の先生が、留学生に英語を教え始めてしばらくして気がついたこと。それは、世界各国から来ている彼女の学生たちが、その教室内で通用する「英語」を話し始めていたということです。英国人の話す英語でも、アメリカ人の話す英語でもない、文法もなんだかそこで通用する独特のものも含まれる。英語には違いないのだが、そこにはいわゆるネイティブ英語ではない要素がたくさん含まれた。こういう経緯で、もはやネイティブスピーカーを所有者とする、彼らの文化的背景を基にしたものではない異質の英語があるのではないか。それをEnglish as a Lingua Francaと呼ぶようになったようです。

ネイティブ英語に比べると、それを使っている学生たちのさまざまなアクセント、母語体系の影響などを含んだものに変質し、それらはもはや誰のものでもない、そこでその「英語」を使っているすべての人の持ち物である「英語」が存在するという考えに至ったようです。論文をさらって読んでの私の解釈なので、間違っているところがあるかもしれません。

でも、こう考えると、いわゆる「ネイティブ志向」から抜け出せるかもしれないと思います。


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