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過去の自分に言いたいこと

サラリーマンという稼業を早々に諦めた自分です。なぜサラリーマンとしての未来にあまり希望が持てなかったかと言えば、おそらく自分よりサラリーマンとして成功を収めた人(例えば同期入社の中で自分と比べて)と比べて自分はここが足りなかったんだと思うところが多くあったからだと思います。それから、自分には、人を引っ張っていくリーダーシップはないと思っていました。これについては、あまり後悔はありません。しかし、整理整頓が不得意であった(今もある)ことについては、大いに反省しています。

もし戻れるなら大学時代の自分に戻って、「君、サラリーマンとして成功したいなら、〇〇を今からやっておいたらいいよ」と伝える。今できることはそういうことかなと思います。教師としても、そういうことの方が、学生諸君にとってはいい話なんじゃないでしょうか。そんなことを、思いつく都度、今後書いていければいいかなと思います。100個くらい貯まったら、書籍にしたいと思います。「出世できなかったオヤジの後悔録」とかなんとかタイトルつけて(笑)

まず初回は、身の回りに整理です。この問題には、いまだに苦しんでいますが、書類探しについては、コンピューターにほとんどのデータが収納されていて紙がなくなっている今は、ずいぶん改善しているとは思いますが。

職場にいた頃を思い出すと、机の周りがきれいな人、書類の整理がいい人は、やはり仕事ができて、上司からも頼られる人である確率が高かったかなと思います。考えてみれば、公私いずれの生活においても、今まで生きてきた時間のうち、どれほど多くの時間を物探しに当ててきたんだろうと思います。無くしてしまって買い替えたことなどを考えると、損失は多面に渡っているように思います。必要なものを、さっと取り出せる体制でいること、これは、仕事を前に進める上で、時には競争に勝つ上で、非常に大切なことであろうと思います。

整理整頓に関する本はたくさん読みました。古くは、野口悠紀雄先生の「超整理法」に一時ハマりました。とても机の中が整理されました。コンピューター時代以前の時代の話です。コンマリさんの本も読みましたが、ほとんど手付かず。未だに身の回りは混乱状態です。

周りを見渡して、僕より「出世」した人は、これが上手だった。これが結論です。もちろん例外もあります。机の上は、超汚いが、めちゃめちゃ仕事ができる先輩がいましたが、そういう人がいることを言い訳に、自分の整理整頓が行き届かないのを正当化すると、自分に跳ね返ってくるということだと思います。


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