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私の2.26事件(続々)

私の2.26事件(続)という記事を書いたのが4月19日なので、ちょうど4ヵ月サボってしまいました。

前回は、テロに遭ったビルをやっと脱出して、階下にいた救急車に運び込まれたところまででした。

正確には覚えていないのですが、救急車に収容後30〜40分後に車は救急病院に向かうことになりました。着いたところはSt. Vincent Hospitalという病院でした。その時を彷彿とさせるような動画がありましたので、載せておきます。

病院の中は、大混乱。私も、ベッドに寝かされて状態は覚えているのですが、運び込まれた時がどんな様子だったかはまったく記憶にありません。隣のベッドには、World Trade Centerの警官だという人がいました。爆発の時、彼は1階にいたとのことでした。爆破の後、消火の水を大量に浴びて、2月の寒い中、ずぶ濡れになったという話をしていたと思います。彼の言葉で覚えているのは...

"I can't believe I'm still alive."

すぐ目の前で爆発があり、床に飛び込んで身を伏せて助かったのだそうです。自分も15分くらい早く1階に降りていたら(ちょうど昼食時だったので、通常は外出する時間だったのです)もうこの世にいなかったかもしれないと思ってゾッとしたことを覚えています。

ベッドに寝て周りを見ると、ニューヨーク中の医師と看護師がきているのではないかと思えるような光景がありました。皆があいさつし合っているのです。あいさつが終えると、寝ている僕たちのところに医師が回ってきます。どの医師も、発する言葉はほぼ同じです。

"Hey, what's your name?"

"Are you OK? "あるは" How are you doing?"

しばらくすると、自分の名前を名乗り、" I'm fine."と繰り返すことに草臥れてきました。

もう一つ...日本領事館の人がやってきたように思います。どこの会社に勤めている誰だという質問を受けたようです。その結果が新聞記事になったのだと思います。

医師たちの関心は、患者の血液中の一酸化炭素濃度だったようで(アップした動画に、医師のそのようなコメントがあり、当時の記憶と合致します)、何回も小さな注射を打たれました。いつ帰れるのだろうと、待っていると...おそらく(正確には記憶がありません)4〜5時間経過後に、帰っていいということになりました。

病院の出口で"Times!"と叫ぶ人に呼び止められました。女性記者でした。カメラマンも一緒だったと思います。インタビューを受けたのです。質問されるままに、覚えていることを喋った記憶があります。翌日、New York Timesを見てみましたが、残念ながら、私のインタビューはボツになったようです(笑)

この日は、ベルギーから転勤してきて間もない時でした。まだ家族とホテルに泊まっていました。

部屋に着いて家族と会いやっと落ち着きました。

直後に実家に電話。母親は「もうそんな危ないところにおらんと、すぐ帰ってきんさい!」と。私は、「まだ転勤して来たばっかりじゃけん、無理よ」と、トンチンカンなやり取りをしてしまいました。

翌朝早くに部屋の電話が鳴りました。出ると、東京の本部にいる同期のI君からでした。

「まだ生きてたか」

「ああ、生きてるよ」

「よかった。頭取が心配しておられる」

「ありがとう」と言った後、頭取から直接電話欲しかったなと(笑)

転勤前に勤めていたベルギーの支店の同僚からも電話があり、電話をくれたH君は、「戸田さんのお陰で、大迷惑ですよ!」と笑いながら伝えてきました。H君に私は仕事を引き継いでいたのですが、彼曰く「お客さんから、戸田はどうなったという電話が大量に掛かってきて、てんやわんやです。どうしてくれるんですか!」。僕に同情して、ご祝儀ディールもかなりあったとか。悪態をつきながらでも、心配してくれている気持ちが伝わってきて嬉しかった。

長らく中断しておりました「私の2.26事件」ですが、もう少し続きがあります。以下は次回に。


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