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前科者と呼ばれても、政治家として闘うワケ

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ー私を誰が嵌めたのかー 市長当選、逮捕、無罪判決、逆転有罪判決、そして、これから。 新聞やテレビでは報じられない事実を、私の目線から綴ります。
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#拘置所

#68 詐欺師と検事の結託

中森氏の証人尋問が始まりました。 真実を語ってくれるのではないかという淡い期待は、拘置所から届いた手紙によりほとんど消えかけました。それでも、対面で感じた印象から、中林氏に最後の望みの気持ちがなかったわけではありませんでした。 しかし、やはり詐欺師。彼の口から語られる言葉は、私の予想をはるかに超えていきました。 >>>>>>>>>>> 10月1日。 証人尋問の主尋問が始まりました。 この日は、中森氏に対して検事が質問をする日です。 私は弁護団から 「検察にとって唯一

#67 拘置所からの手紙

起訴されてしまえば99.9%の有罪を誇る刑事裁判。 本来であれば、確固たる犯罪事実により、有罪となるのが原則ですが、現在の我が国の現実は大きく異なります。 不可能に近い"悪魔の証明"。 <34話参照> 無実を証明するためには、何らかの奇跡が必要でした。 >>>>>>>>>> 9月17日の初公判が終わり、 第二回公判期日は、10月1日に決定。 贈賄者とされる中森氏の証人尋問が2日間にわたって行われることになりました。 1日目は検察側からの主尋問、2日目は被告人側からの反

#60 問責決議

保釈が決まる4日前、 市議会は、市長である私に対して"問責決議"を行いました。 その内容は、全員賛成ではなく、賛否が大きく割れました。 賛成する議員の多くは、新聞の断片的な情報を前提にしているようでした。裁判所に足を運んで、事実を確認しようとされる議員は限られていました。 >>>>>>>>>> "藤井浩人市長の進退に係る真意について" 議会から届いた書面に対して私は、留置場の牢屋の中で、膝を突き、ノートを床に置きながら返信を書きました。(以下全文、長いので読み飛ばしてい

#59 62日ぶりの市長室

最後に会見を行ったのは、逮捕当日の市役所でした。 拘置所の外でのぶら下がり会見を除けば、久しぶりの会見でした。 有罪視報道を散々やってきているテレビや新聞が、私の発言の一言一言を切り取り、印象の悪い表情を狙ってくることは明らかでした。 100名近くの人が集まる記者会見は初めてでしたが、私は事実に基づいて、堂々と話をすることを心がけました。 >>>>>>>>>>> 午後3時からの記者会見。 会場には、100人近い人が集まっていました。 私の逮捕直後に、"兵庫県議の号泣

#58 一周忌。蘇る生前の言葉。

62日ぶりの美濃加茂市。 市長として、一人の人間として、 会いたい人、やりたいこと、行きたい場所は、数え切れないほどありました。 私の背中を押してくれた、渡辺前市長。 恩人から生前、すべて見透かされているかのような言葉を頂いたことを思い出していました。 >>>>>>>>>> 8月25日。保釈当日の朝。 前日に荷物の整理は終わっており、呼ばれるのを待つばかりでした。 書籍、裁判資料、残った食料、衣服を詰め、大きな紙袋3つをドアの前に並べました。 朝食を食べ終わると、拘置

#53 1,000万円払えば保釈

勾留から60日。 検察が主張している証拠すべてに同意しているにも関わらず、"罪証隠滅の恐れ"という理由で却下され続けていた保釈が、ようやく認められました。 しかし、会えない人やしてはいけないことなど、様々な条件がありました。 そして、そもそも保釈金が払えないと勝ち取った保釈請求も意味がありませんでした。 >>>>>>>>>> 8月23日の深夜、 保釈が認められたとの連絡がありました。 6月24日から始まった勾留は、60日目になっていました。 その日に保釈されることは手

#52 13回の保釈請求バトル

依然として続く、"人質司法"との戦い。 起訴前、弁護団は勾留取消の何度も手続きを行いました。 起訴後には、保釈と接見禁止の解除をするために多くの書類を提出し、更には、裁判の準備段階である公判前整理手続において、検察側の主張に最大限応じました。 そして、ようやく私の勾留が解けることになりますが、これには13回にわたる弁護士の奮闘がありました。 >>>>>>>>>> 少し時を戻します。 拘留所へ移った時のこと。 拘置所に移ると、身体測定がありました。 定期的なものなの

#51 40日ぶりの外の人

逮捕後から"接見禁止"。 弁護士以外の人とは面会も手紙のやり取りも許されていませんでした。 起訴が決まり、捜査が終わった後も変わらず続く接見禁止。一体いつになったら解かれるのか、全く検討がつきませんでした。 そんな中、二人だけ接見禁止が解除されました。 "市政運営のための情報交換"。要は仕事のために解除されました。 仕事と言えど40日ぶりに会う外部の人でした。 >>>>>>>>>> 8月7日、接見禁止の一部解除が認められました。 勾留状態を少しでも解くために、保釈申

#50 しるこサンドinココア

拘置所は法務省の管轄、留置場は警察の管轄。 同じような二つの施設ですが、多くの点で異なっていました。 留置場があまりに過酷だったためか、多少の自由度の広がりに喜ぶのも束の間。 よく考えれば、推定無罪の状態。 今までいかに行動が制限され、与えられた自由がいかにわずかであるかを痛感しました。 >>>>>>>>>> 留置場と比較して、いくつか自由になった点がありました。 まずは、書籍や机の環境。 本は棚に乗る分だけ部屋の中に入れることができ、机を使って物を書くことができました。

#49 いざ、拘置所へ

逮捕直後から勾留されていた留置場から、名古屋拘置所に移送されることになりました。 留置場、拘置所、刑務所、この違いがはっきり分かりますか? この3つの意味は全く異なるのですが、普通の生活をしていれば関わることも、知ることもないでしょう。 そして何より、こんな名古屋の真ん真ん中に拘置所があろうとは、知る由もありません。 >>>>>>>>>> 2014年8月6日、勾留から44日目。 拘置所へ移送されることが伝えられました。 起訴された直後に、移送されることは聞いていまし

#45 留置場での一日

留置場生活は、経験することはもちろんのこと、これまでの生活では知ることもなかったことばかりでした。 お風呂は5日に1回。 お金を払えば頼める冷めたメニュー。 菓子やパン。 平然を保ち、過ごそうとしましたが、その一つ一つのことが、留置場にいることを痛感させる日々でした。 "102番"こと、藤井浩人の留置場でのスケジュールをご紹介します。 >>>>>>>>>> 8:00 お風呂は、まさかの午前中。5日に1回だったと記憶しています。 はじめは、その回数の少なさに驚きました。