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前科者と呼ばれても、政治家として闘うワケ

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ー私を誰が嵌めたのかー 市長当選、逮捕、無罪判決、逆転有罪判決、そして、これから。 新聞やテレビでは報じられない事実を、私の目線から綴ります。
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#留置場

#51 40日ぶりの外の人

逮捕後から"接見禁止"。 弁護士以外の人とは面会も手紙のやり取りも許されていませんでした。 起訴が決まり、捜査が終わった後も変わらず続く接見禁止。一体いつになったら解かれるのか、全く検討がつきませんでした。 そんな中、二人だけ接見禁止が解除されました。 "市政運営のための情報交換"。要は仕事のために解除されました。 仕事と言えど40日ぶりに会う外部の人でした。 >>>>>>>>>> 8月7日、接見禁止の一部解除が認められました。 勾留状態を少しでも解くために、保釈申

#48 獄中バースデー

取調べが終わった勾留生活。 何もしないで、じっとしていることはできませんでした。 時間の限り、美濃加茂市の資料や、裁判に関わる本を読み漁りました。 そして、気がつけば30歳になりました。 留置場で30歳の誕生日を迎えるなんて、誰が想像していたのでしょうか。 >>>>>>>>>> 毎朝掃除の時間が終わると、本を三冊持っていけます。その際には、留置場の本棚に並んだ古い本から選ぶか、差し入れられた本を読むことができました。途中で交換はできないので、消灯までに読む本を選びま

#47 父からの手紙、母からのジャージ

取調べの20日間、それから先が見えない勾留期間。 「よく頑張ることができたね」と言われますが、多くの人たちのおかげで、私は乗り越えることができました。 市長として、政治家として、多くの人からのメッセージに救われました。 家族や大切な人からの励ましが、個人としての弱い私を支えてくれました。 >>>>>>>>>> 多くのお手紙や応援メッセージ、寄せ書き。 市民の皆さん、市役所職員さん、ご縁のある方々。本当に多くの方からいただきました。 これらの内容を弁護士の先生から伝えてい

#46 本当にあった留置場エピソード

留置場での生活については、前話で紹介しましたが、その他の... ・入って早々に"市長"と呼ばれたこと ・被疑者として警察官が来たエピソード ・護送車に乗った時のエピソード ・担当さんたちの話 私にとって印象深かったことをいくつか紹介したいと思います。 >>>>>>>>>> 留置場では、今でも忘れられない出来事がいくつもありました。 まずは留置場に入って間もなく、数名から"市長"と呼ばれたことについて。 取調べが終わっても続いた接見禁止。外部からの情報は、弁護士との面会

#45 留置場での一日

留置場生活は、経験することはもちろんのこと、これまでの生活では知ることもなかったことばかりでした。 お風呂は5日に1回。 お金を払えば頼める冷めたメニュー。 菓子やパン。 平然を保ち、過ごそうとしましたが、その一つ一つのことが、留置場にいることを痛感させる日々でした。 "102番"こと、藤井浩人の留置場でのスケジュールをご紹介します。 >>>>>>>>>> 8:00 お風呂は、まさかの午前中。5日に1回だったと記憶しています。 はじめは、その回数の少なさに驚きました。

#44 私の名前は、102番

逮捕からの取調べが終わり、ようやく身柄が解放されるのかと思いきや、裁判所からの許可は無く、勾留は続きました。取調べが無いことで、朝から晩まで留置場で生活をすることになりました。 2012年に一世を風靡した映画『レ・ミゼラブル(日本語版)』。主人公のジャン・バルジャンは窃盗により収監され、"24653"と呼ばれていました。 まさか自分が番号で呼ばれる日が来るとは... >>>>>>>>>>> 留置場での生活について紹介します。 私の名前は"102番"。名前では呼ばれません

#31 全身ジャージ、手錠に車いすの男

留置場生活、車内での不便な食事。 まだ起訴もされていない私でしたが、その扱いは犯罪者そのものでした。 接見禁止の中、弁護士以外の人と連絡を取り合うことができない状態でしたが、思いがけず、外の世界に出ることになりました。 その時の私の姿は、思い出したくもない程に恥ずかしいものでした。 >>>>>>>>>> 取調べは事前予告なし。 毎日、突然声がかかり、そこから刑事または検事のペースで行われます。午前は刑事、午後は検事と言ったような日もありました。 そんな取調べが連日連

#28 仕組まれた市長不在

私は市長就任から、 1人でも多くの市民と直接対話することに、力を注いできました。 信頼関係こそ、これからの政治に必要なものだと考えていました。 そんな矢先の逮捕。 新聞やテレビによる有罪視報道の中、市民の皆さんが私のことをどのように思っているのか。 不安は募るばかりでした。 >>>>>>>>>> 任意同行以来、ずっと美濃加茂市の状況が気がかりでした。 身柄が拘束され"接見禁止"の私には何もできないもどかしい状況でした。 【接見禁止】 接見とは、刑事事件で身柄を拘束さ

#27 美濃加茂市を焼け野原にしてやる。

毎日続く取調べ。 分かることや、思い出したことは積極的に話すようにしました。反対に記憶に無いこと、余計なことは話さないよう心掛けました。 なぜなら、刑事や検事は事件とは関係のないようなことを会話しながらも、引き出したい話や言葉を巧みに引き出そうとしてくるからです。 相手の作戦にまんまと乗らないように沈黙になる時間もしばしば訪れました。 それでも彼らは、集めた情報を小出しにしながら、家族や趣味、学生時代のことなど、話題を変えては、自分たちに有利な言葉を虎視眈々と狙っていまし

#26 いつ市長をやめるの?

逮捕後、勾留決定により10日間の取調べが始まりました。その後、更に10日間の延長は間違いないとのことでした。 1日だけでも大変辛い取調べ。 それを20日間も耐えられるのか、大きな不安でした。 取調べが続く中で、 「いつ市長を辞めるのか?」 取調べの目的とは到底かけ離れた発言が繰り返されました。 ■登場人物 私:藤井浩人 Y刑事:愛知県警刑事、任意同行から私を担当。逮捕前の取り調べから、積極的に恫喝。 >>>>>>>>>> 結局、あの塩対応の若い裁判官は勾留請求を認めた

#23 絶望の裁判所の始まり

手続き上、裁判所の許可、厳密には逮捕状(令状)の発付により、通常逮捕は行われます。 同様に、勾留も裁判所の許可により行われます。 当たり前のことですが、日本は法治国家です。 そう教わってきたし、今でもそうです。 その『法』を司る裁判官に人生で初めて会うことになりました。彼らの対応は、私の淡い期待を裏切るどころか 「他人の人生をなんだと思っているのか」 そんな怒りすら覚えるものでした。 絶望の1日の始まりでした。 >>>>>>>>>> 逮捕3日目、6月26日。 勾留質

#22 郷原信郎弁護士との邂逅

夜の名古屋地検。 あれから7年を過ぎた現在でも、理不尽な事件と戦い続けてくださっている郷原弁護士。 「藤井さん、どこで郷原弁護士と知り合ったのですか?」 「逮捕される前から、知り合いだったんですか?」 そんなことを時々聞かれますが、郷原弁護士との出会いは偶然のご縁でした。 >>>>>>>>>> 取調べが再開して間も無くして、K検事は、再び不満そうな顔で 「弁護士接見です。中断します」 そう告げました。 渡辺弁護士から、今日は誰も会いに来ないと聞いていたので、 (何か

#21 冷えた弁当、菓子パン2つに牛乳

検事取調べは、私の言い分が全く聞き入れられない、一方的に攻め続けられる辛い時間でした。 1日数十分の弁護士の先生との接見が私を救ってくれましたが、すぐに留置場、取調室に連れ戻されてしまいます。 本来、逮捕されたとしても、刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とする「推定無罪」の原則があります。 そんな原則を無視する環境は、取調室だけではありませんでした。 ■登場人物 私:藤井浩人
 
K検事:検察官取調べで私を担当した検事。

#20 唯一の救い、弁護士接見

期待していた検察官の取調べも、刑事同様に私が犯人である前提で話が進められ、私の気力はどんどん失われていきました。 (嘘でも認めてしまって、楽になろう) (...家に帰りたい) そんな囁きが頭をよぎることもありました。 そんな時に、弁護士の接見が私を絶望から救い上げてくれるのでした。 ■登場人物 私:藤井浩人 神谷弁護士:逮捕一週間前に相談した愛知県の弁護士の先生。 渡辺弁護士:神谷弁護士の事務所の弁護士。私と同じ歳。渡辺海太弁護士。 
山内弁護士:途中から加わっていただい