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前科者と呼ばれても、政治家として闘うワケ

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ー私を誰が嵌めたのかー 市長当選、逮捕、無罪判決、逆転有罪判決、そして、これから。 新聞やテレビでは報じられない事実を、私の目線から綴ります。
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#市長

#93 これから

本日、この後、再審請求を行います。 2020年12月27日に執行猶予満了。 公民権は既に復活し、選挙権、被選挙権を取り戻しました。 執行猶予が満期となった翌日、美濃加茂市内のスターバックスに立ち寄ると、10代か20代前半の店員さんから、 「良かったです。おめでとうございます。私も嬉しいです。これからも応援しています」 そんな言葉をかけてもらいました。 スタバの定員さんは、どんなお客が相手でも、的確な声かけをしてくれますが、流石にこの時は驚きました。当然、嬉しかった。

#92 冤罪との闘い

刑事裁判に続く、民事裁判。 一度判決が出ている刑事裁判。真実を勝ち取るための入り口は、固く閉ざされていました。 しかし、民事裁判を経て多くの証拠を得ることができました。 長かった執行猶予も終わり、新たな一歩へ。 >>>>>>>>>> 2020年8月6日。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となった判決日。 傍聴席には人数制限があるようでした。 判決は、"請求棄却"。 "本件での贈賄供述者の証言(供述)が虚偽であることが明白であるといえない" 中森氏に対する損害

#90 <全文>東京での記者会見

民事裁判は、場所を移して東京。 岐阜や名古屋では、この事件のことを知っている人はそれなりにいましたが、東京では全くと言っていいほど内容は知られていせんでした。知っていても"全国最年少市長が逮捕"、"よく分からないけど無罪が出た"その程度です。 このような事件を二度と起こさせないためにも、民事訴訟で事実を明らかにする。それと同時に、 「一人でも多くの人に、こんな現実があることを知ってもらいたい」 そう思うようになりました。 >>>>>>>>>> 民事訴訟は、原則として、

#89 法的に認められた真相究明

私が被告人として闘った裁判は終わりました。 しかし、真実を証明する道が閉ざされたわけではありません。 数多くのことが、刑事裁判では明らかになっていませんでした。 悪あがきと言われようが構いません。 今度は民事裁判において、私から訴訟を提起しました。 >>>>>>>>>> 最高裁の上告棄却への異議申立棄却。 一般の刑事事件であれば、これで終わり。 しかし、私は上告棄却の記者会見で、 贈賄供述者に対して、虚偽供述の不法行為の責任を問う民事訴訟を提起する方針を明らかにしまし

#88 私の爪痕

「市長をしながら裁判と向き合うことに何か意味はあったのか?」 意味があったのかは分かりません。 意味があったと信じたい。 理不尽がまかり通る世の中に、 私は一石を投じることができたのか。 >>>>>>>>>> 市長を辞職。判決が確定。 2014年6月24日から2017年12月26日にわたる"1,282 日"。 多くの人たちに支えられ、戦い続けました。 辞職の際、ある記者から、 「逮捕から3年半近く、市長をしながら裁判と向き合うことに何か意味はありましたか?」 そんな

#87 最後の抵抗、そびえ立つ高い壁。

上告棄却。 司法を信じたかった私の想い。 そして、真実は高い壁に跳ね返されてしまいました。 しかし、ここで終わるわけにはいきません。 最後の手続き、そして、その先の戦いへと進みます。 >>>>>>>>>> 市長を辞職し、私はただの被告人になりました。 職無し無一文。 だからといって、裁判を諦めたわけではありません。 可能性は極めて低くとも、最後の異議申し立てが残されていました。 2014年6月から、弁護団の先生にはお世話になりっぱなし。逮捕、勾留への異議申請、保釈請

#86 突然の連絡。市長辞職。

残された望みは最高裁。 憲法によって設置された我が国における、唯一かつ最高の裁判所。 判断を待つ間も、私は市長。 全力で市政運営に取り組みました。 しかし、いつも不安から解き放たれることはありません。 生きた心地がしないまま、ある日、結末を迎えました。 >>>>>>>>>> 2017年5月14日、無投票で3度目の当選。 その2日後、5月16日。 東京の最高裁判所第三小法廷に上告趣意書を提出しました。上告にあたって、元東京高等裁判所裁判長の原田國男弁護士、民事・刑事裁

#85 M大学N教授

2017年1月の出直し総選挙で再選できた私は、 半年後の市長選挙を無投票で当選することができました。 最高裁の上告審を待ちながら、市民と共に将来へのビジョンに向かって再び歩み始めました。 そんな中、無罪判決から鳴りを潜めていたマスコミが再び、批判報道を始めたのでした。 >>>>>>>>>> 出直し選挙を終え、約1ヶ月半ぶりに市長に復帰。 残された任期はわずか半年でしたが、先を見据えた政策を確認しました。 そんな中、しばらく沈黙を保っていた幾つかの新聞社が、再び私の批

#84 出直し選挙

政治家の出処進退は自分自身で決めるもの。 私は辞職、”出直し選挙”を決断しました。 誰もが嫌う真冬の選挙。 雪がちらつく、長い一週間。 市民の皆さんの思いを聞ける選挙。 怖い思いもありながら、結果を待ちました。 >>>>>>>>>> 有罪判決から1週間経った、2016年12月7日。 美濃加茂市議会の冒頭。 「私が不当な控訴審判決と戦い続けながら市長職を続けることを市民の皆様がお認めいただけるかどうか。この点をはっきりさせるため、市長を辞任し、選挙によって市民の皆様の

#83 有罪市長、民意を問う。

市長は市民の代表。 市民の信頼が無ければ何もできません。 逮捕され、有罪視報道により大逆風にさらされながらも、多くの市民の皆さんの支えのもと市政を継続。そして無罪判決。 胸を張って市長職を続ける決断ができました。 しかし、一転した有罪判決。 私は深く悩みました。 >>>>>>>>>> 有罪判決の市長を市民はどう受け止めるのでしょうか。 市長は当選することで、"4年の任期"が与えられます。 自ら辞めたり、法的に剥奪されない限りは任期を全うできます。 ただし、想定を超

#82 祝賀会だったはずの判決説明会

"逆転有罪判決" 私を信じて、ずっと支えてくださった市民の皆さんは、どのように受け止めているのだろうか。 無罪確定を祝う会は、判決説明会に変わりました。 冬が近づき、寒さが増してきた会場。そこには、多くの市民が待っていました。 >>>>>>>>>> 判決直後に、マスコミには配られた判決書の要旨が、当事者である私と弁護人には配られない。 市議会議長が裁判所を訪れても、数日経っても、反応がありませんでした。 ここで少し、捜査機関と報道機関の関係について感じることを記します

#78 控訴審のはじまり

市政に邁進の毎日。 このまま何もなく終わることを願いましたが、検察は控訴。 法廷に引き戻され、私は引き続き"被告人"。 どんな新証拠を検察は用意しているのかと思いきや、事件の本質からは遠く離れた証人が請求されました。 途中、裁判長が交代しました。 これが一つの転換点になるとは... この時は思いもしませんでした。 >>>>>>>>>> 2015年8月25日。 市政運営に邁進している中、名古屋高等裁判所での控訴審。 第一回公判は無罪判決から半年近く経っていました。 公

#77 市長としてリスタート

市長の職務。 必死に走り回ってきたからわかります。これだけでも背負いきれないほどの重責でした。 そんな市長職と並行して獲得した無罪判決。大変なんて言葉では済ませられない日々がようやく終わりました。 私が担うのは美濃加茂市を大きく前に進める重大な仕事。検察の控訴は頭にありながらも、市民の皆さん、市役所の皆さんと共に、全力の市政運営のリスタートを切ったところでした。 >>>>>>>>>> 無罪判決により、美濃加茂市長としての活動が逮捕前の状態に少しずつ戻ってきました。市長

#72 叫ぶ検事。爆笑の傍聴席。

第2回公判で証言台に立った中森氏が、再度、証人尋問のために呼ばれました。 今回は、O氏との"対質形式"での証人尋問。 中森氏の裏の顔が暴かれる環境は整いました。 彼の証言、そして検察の主張は、常識から逸脱し過ぎている。 それは、傍聴席の反応からも明らかでした。 >>>>>>>>>> 11月19日、第7回公判。 中森氏への再度の証人尋問、O氏との"対質形式"での証人尋問です。 この日の公判には多くの注目が集まりました。 中森氏は、前回の証人尋問で手紙の内容やO氏について