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自分らしく生きるって難しすぎん…??

今日は上野でゲイ友達5人で飲んできました。
友達5人といってもそのうち2人は初めまして。
合コンとかではなく、単純に友達の輪を広げようぜー的な飲み会でした。


いや〜楽しかった
明日も仕事なのに飲みすぎた〜


三人は秋葉原で別れて
一人は神田で別れて

そこからは一人
帰りの電車に揺られながら色々と考えながら
noteの記事を書いている


なんか、いろんなものを手放せてしまえれば
楽になれるのかななんてポヤポヤと考える瞬間があります。


僕は幸せになりたい。

幸せになるために日々、悩んで、考えて
正しいのか正しくないのかなんて分からないけど
とにかく一生懸命に毎日を生きている

時々、頑張れない日があったりもするけど
それはそれで僕らしい生き方なんだと自分に言い聞かせたりもする


35歳


年齢を重ねるごとに
僕は欲張りになっている気がする


恋愛に求める理想も高くなった気がする
10代の僕は、なんとなく好き
それだけでよかった
好きになることに理由なんて必要なかったけど

30代の僕は、誰かを好きになることに理由を求めるようになった。
それに好きだけでは恋愛はできないとまで思っている。
好きだけど、でも一緒にいるときっと合わないところが多くてお互いが苦しくなるから
そんな未来が容易く予測できるのに恋愛なんてはじめられない。

そんなふうに考えてしまうのです。


普段身につけるものや
休日の過ごし方
日々の時間の費やし方も変わりました


10代、20代前半の僕は
オシャレに無頓着でした

すごくダサくて、芋っぽい田舎者でした。
だけど30代になった僕は身に付けるものにもそれなりに気をつかうようになりました。

アクセサリー類なんて、苦手なのに
左手の小指に指輪をつけてみたり
数種類の香水をその日の気分に合わせて使い分けたり

髪だって月に一回は美容室にも行くし
季節ごとに髪型もちょっとずつ変えて
冬場はパーマなんてあてちゃったりして

昔の僕はオシャレなんてとても苦手で
いや、今も正直オシャレって苦手なんです。

いつも友達と出かけるときとか
不安になります。

この服装でいいのか
変じゃないか
横を並んで歩いて嫌な気持ちにならないか

本当は安っい無地のダボダボの白Tに短パンにビーサンなんかで過ごしてるのが
自分らしいんじゃないかな、なんて思ったりもします。


だけど、僕は自分の理想を叶えようと思ったときに
僕は僕のままでいられなかった。


自分が好きになった人に
好きになってもらうためには
僕が一緒にいたいと思う人たちと
一緒にいるためには
僕は僕をアップデートしていくしかなかった

僕はなんでも美味しく食べるし
好き嫌いもほとんどなくて
お店のこだわりもない

僕は何を食べるか、どこに行くかという視点よりも
誰と一緒にいるかが大事で
僕は僕の好きな人と一緒なら基本的に大抵のことは楽しめる自信がある

だから僕は、何か選択を迫られたときに
「なんでもいい」
といつも答えていました

だけど30代にもなると
そうもいかないんじゃないかなって
思うようになり

本当はなんでもいいんだけど
だけど、自分からも積極的にお店選びだったり
遊びだったりを提案するようになりました。


だけど、それは僕が行きたいお店というよりは
きっと相手が行きたいと思っているだろうお店を予測して
相手の意向に近い提案ができるように
考えているような気がします。

本当の僕はなんでもいいんだけど
だけど、なんでもいいって
捉え方次第ではめちゃくちゃ無責任だったり
主体性がないって思われたり

結果的に相手にばっかり委ねてしまって
相手の負担になりかねないよな
なんて考えたりして

なので30代になった僕は
10代、20代に比べると「なんでもいい」を
だいぶ封印しているように感じます。


10代、20代、30代と
僕自身あまり変わってないよな〜なんて
思ったりもしてたけど


でもよくよく考えると
歳を重ねていくごとに
僕はちゃんと変わっていっているんだなと
思いました。


10代の頃から僕のことを知る友人からも
確かに変わったと言われるし
上京して間もない頃に知り合った友達にも
ひろトは変わったよねと言われることが多いです。

きっと僕の中で
僕の中枢的な部分はなんら変わっていないんだけれども

僕は僕が経験してきた様々な出来事から
色々なことを学び、学習して
その都度、環境に適応するために
変わる努力をしてきたんだなあと

なんとなくそう考えさせられます。


僕は人一倍不器用で
昔から要領が悪くて
みんなが簡単にできることが
できないなんて体験をたくさんしてきました。

僕が思う普通の人が
普通にやっていることを
普通にやることは
僕にとってはとても努力が必要なことで

毎日、毎日、毎日
僕は一生懸命頑張らないと
僕が思い描く僕でいられないんだと

立ち止まって考えたときに
そう思い知らされる瞬間が多々あります。


でもこれって
きっと僕自身が色んなことを欲張って
手放せなくなっているから
こんな状況になっているのかもしれないのかもしれないなんて
思ったりもするんですよね。


別に誰かの目なんて気にする必要なんてないし
僕は僕らしく生きて
ありのままの僕を好きになってくれる人と
一緒にいればいいじゃないか

ありのままの僕を見て
軽蔑して
離れていく人なんて
追いかける理由なんてないじゃないか


そんなふうに思えて
僕は僕らしく
生きればいいんじゃないかと

そう思うこともあるけど

だけどそれはある意味僕らしくないんじゃないかなとも思うんですよね。


僕は僕が大好きな人と一緒にいたい

僕が好きになる人は
いつだって素敵な人ばかりで

僕が好きになる人は
みんなキラキラしている

そんな人と一緒にいたい
それが僕の願いであり希望であり欲であり
僕が僕らしくいるための一つの手段なのだとも思う

だからこそ
僕は僕らしくいるためには
頑張り続けるしかないのだと

最終的には諦めにも似たような
結論は何も変わらない答え合わせをして

また僕は、頑張ることを決意するしかなくて


だけどこれが
これからあと何十年と続くと思うと
少し怖くなるときがある


僕は何になりたいのか

誰になりたいのか

誰のために生きたいのか

何のために生きたいのか


考えてもしっくりくる答えは出ないけど


だけど今、この瞬間に
ふと思い浮かぶのは大好きな彼氏の顔で
大好きな友人や家族の顔なのは

きっと僕が間違っていないという証拠なのかなって
思わせてくれるんです。


僕は幸せになりたい。

色々、悩むけど
この悩む時間が将来の自分にとって必要な時間だったと思えるように

毎日、一生懸命に生きていきたいと思います。

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