Will not は Can not を含意する 諦めていたものの発見 2024年6月28日

先日、益田祐介と言う精神科医のユーチューブを見ていると、Will not=Can not であると、精神科界隈では言われている、という話をしていた。
つまり、したくない、は、出来ない、の言い換えである、という意味だ。
もう身もふたもない話だが、その通りだと思う。

出来ない、とは言いにくいので、したくない、ということにしている。自尊心が傷つくからである。これは人に言い訳をするときだけでなく、自分に対しても意識せずに使っている可能性がある。

自分を守るために、認めたくないことを意識に上げないようにしている、つまり抑圧している。ディフェンス メカニズムの一つである。認知の歪みが生じているのだ。

これは、以下の集合で表示できる。

左の円はwill not の集合、右の円はcan not の集合
つまり
Aは、出来るけどしたくない。
Bは、出来ないし、したくない。
Cは、したいけどできない。

さて、Cの、「したいけどできない」、は、自尊心に関わるので、そもそも意識に上げたくない。

すると集合Cは、Bの「出来ないし、したくないこと」に吸収されるので、
結果、A⊃Bになり、BはAの部分集合になる。

Aは、「したくない」集合で、Bは、「出来ないし、したくない」集合。

ところが、「出来ないし、したくない」というのも心に引っかかる可能性がある。どのみちしたくないのだから、出来ない、ことを意識に上げる必要がない。

となると、Bも消滅して、残るはAの「したくない」集合だけになる。

これが私たちが意識する「したくない」の実態ではないか、と思う。

ということが分かれば、逆に辿って、「したくない」ことのなかから「出来ないから、したくない」を探し出し、その中から更に「出来ないけど、したい」をより分け、「出来ないかも知れないが、やってみよう」と意識的に書き換えることが出来ると思う。
自己肯定感が高くなれば、もちろんそれに挑戦できるが、たとえ低くても、挑戦すること自体が自己肯定感を高めていく、という相乗効果が期待できる、と思う。

実際、「できるから、する」、と言うのでは当たり前すぎて全くつまらない。人生から見れば、意味不明である。「出来ないかも知れない」からこそ、ワクワクして楽しいのだと思う。

もっといえば、「出来ないけど、やりたいからやってみる」というのでも良いのだと思う。出来なくて、時間とお金を大量に使ったとしても、挑戦している間は、ワクワクしぱなしであろう。

更に言えば、人生、他に何をするのか、とも思う。人生、どれだけ成功しても、どれだけ思い通りになったとしても、どのみち大したことはない。ただ生きて、死ぬだけである。人生など、楽しんだもの勝ちである。

追記

以上の考察から、本当にしたいことは、”したくないこと"、実は、諦めていることの中にあると思う。
例えば私は、若い頃、トライアスロンに出場してみたかったが、泳ぐのが苦手なので、結局何の努力もしないまま年を取り、終わってしまった。今でもやり残した感がくすぶっている。本気を出せば、スタートラインに立てたと思う。


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