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3人目の和子さんが株ジョだった話

こないだ妻とふと「そういえば……」と盛り上がったのだが、僕の人生、大事な局面局面でなぜか「和子さん」という名の女性が必ずや現れる。そんな救世主のような和子さんは、いまのところ3人。最初に出現した和子さんは、他ならぬ自身の母なので、ここでは別格扱いとして、いずれ、またの機会にそのbig mamaぶりについてnoteしたい。

さて、いっとう最近、僕の前に現れた和子さんは、僕を株式投資の世界にいざなってくれた和子さん。株のセンセーの和子さんは、ぱっと見、年齢不詳の癒し系独身女子であるが、その実、30代でご両親を亡くされて以来、デイトレーダーとして今日まで30年近く、逞しく稼いでこられた筋金入りの相場師である。

株ジョの和子さんは、同時に、不動産ジョの和子さんでもある。ご両親亡きあと、相続した北海道大学そばの土地にお姉さんと二人で目一杯の借金をして全16戸の賃貸マンションを建設。土地柄もあって、もっぱら北大生御用達マンションとして常に満員御礼で来た、という。あるいは僕の現在や過去の学生の一人や二人、「大家の和子さん」のお世話になっているかもしれない。ここまでの人生、株や不動産投資と無縁で来たが、浅からぬご縁を感じる。

そもそもは妻の友人の、そのまた友人であった和子さんだが、その屈託のない笑顔もあって、気がつけば、妻の手料理で3人して食卓を囲む機会も増えた。互いの身の上話はたいがい語り尽くしたいまや、こちらはもっぱら株の講釈を無料で拝聴している。和子さんの教え上手もさることながら、ついこないだまで、

「投資? 興味ないない。興味あるのは自己投資だけ」

とうそぶいていた自身の変節ぶりがなんとも恥ずかしい。

投資といえば自己投資……という名の無駄遣いにしか関心のなかった僕が、曲がりなりにも株の板やチャートの見方が少し分かるようになったのも、それもこれも和子さんのお蔭である。時間に余裕が出て、それと反比例するように家計に余裕がなくなってみれば、このタイミングでの株ジョ降臨は有り難い。これも何かの——big mamaの?——思し召しとしか言いようがない。

ところで、すでにご両親、お姉さんを亡くしておられる和子さんにとって、肉親と呼べる人は、近所に暮らすお兄さんただひとり。お兄さんも、和子さんといずれ劣らぬ株の達人だとか。

お会いしたこととてない「お兄さん」であるが、僕とは緑内障という、根治困難な持病で繋がっている。

和子さんによれば、お兄さんの緑内障は視野の中心部分はわりとふつうに見えるものの、視野が極端に狭いらしく、

「左右はまったくの灰色の世界で、ほとんど見えていないらしいのさ」

とのこと。もっとも

「うちに来ると、床のチリひとつ見逃さないんだから、やんなっちゃう」

ということなので、見える部分と見えない部分との落差が大きいのだろう。残されたその中心視力をフル活用して、日々の株の値動きをノートに克明に記録することをいまも日課とされているという。

他方、僕の緑内障はといえば、視界は全体的に見えるには見える。ただ、緑内障を悪くしてからというもの、視野全体がなんだか薄くなってしまったような……。それこそ、先日も和子さんから——お兄さんのこともあってか——興味津々に「どんな風に見えるのさ?」と訊かれ、

「例えていえば、プリンタのカラーのトナーが4色とも切れかかっていて、印刷が全体的にかすれた感じ?」

と答えたような次第。

「かすれた視界」に由来する不都合には色々あるが、中でも,濃淡が見極めにくいがゆえに、駅の階段の最終段を踏み外したり、道路の縁石の高低差を見誤ったりはしょっちゅう。転倒こそはなんとかまぬかれているも、そのたびに、いまはまだ運動神経でなんとかカバーできているが、さーて10年後は……と漠とした不安がよぎる。

畢竟、株の作法も和子さんやそのお兄さんのような、日々売ったり買ったりとは真逆で、「買ったら売るな、売るなら買うな」(とある投資系YouTuber)を忠実に守っているのである(そもそも、株の値動きに合わせて、「買い」と「売り」を繰り返す作業には、この「かすれた視界」では限界がある)。

結果、僕のスマホを覗いては、

「うわ、重いよね、重い……」
「含み益も、リカクしなけりゃタダの幻さ」
※リカク:株を売ることで、含み益を利益確定すること

と、嘆息されるのであるが、年季の入った株ジョの和子さんは軽々に生徒を褒めたりはしない、と心得る。それが証拠に、生徒の成長に目を細めている風ではないか(知らんけど)。

というわけで、マイブームでひとしきり買い込んだ株は当面、ほったらかし投資……というか塩漬けであるが、まだやり残したことのリカク(理想の生き方確認)の方はなんとか急ぎたいものである。


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