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渡邉りか子監督作品「すとん」が僕にもすとんと腑に落ちた話

女優の渡邉りか子さんから丁寧なメッセージをいただいた。りか子さんの映画初監督作品「すとん」(大阪アジアン映画祭入選)で、僕が半世紀ほど前に監督した8ミリ映画「渚」の一部を使用させて欲しい……というか、「使っちゃってます、事後承諾を!」というのだ。

渡邉りか子の父は高校来の親友のワタナベ。母・カナコさんも同じ博多の高校の同級生であるが、なにを隠そうワタナベとカナコさんこそは「渚」の主演男優・主演女優の間柄にして、後にバッタリ再会を果たしたことがきっかけであれよあれよという間に結婚をなし遂げているのだ。

二人の結婚披露宴でスピーチを求められた僕が、もちろん、「渚」の迷シーンをスクリーンに映しながら、二人を上げたり下げたりしたことはいうまでもない。

つまりは、渡邉りか子監督は、その自伝的作品「すとん」において、主人公の女性の両親の高校時代の8ミリ映画に見立てて、実は、自身の本当の両親の実在する共演作を劇中劇として使用したこととなる。

僕にしてみれば、家屋からも記憶からも(ここ、なにげに掛けてます)すっかり埋もれた作品のホコリをはたいてくださった上に、再び光を当てていただいたのだ。感謝こそすれ、断る理由はなにもない。

さて、正式公開はまだ少し先のことであるようだし、ここから先、スポイラー・レビュー(ネタバレ映画評)とならぬよう細心の注意を心掛けたいが、本作のタテ糸は、コロナの到来で事実上、俳優を諦めた主人公「さえ」(坂本ちえ)の日常を丁寧に描いている。渡邉監督自らは、さえのバイト先喫茶店のバイト仲間「辻」を好演。ただ、コロナ禍で役からすっかり遠のくさえの焦燥を描いた本作自体が、女優・渡邉りか子の出演最終作とならねばいいが……と、辻のセリフ回しが軽妙な分、ふと余計な心配が脳裡をよぎるというもの。当分は監督兼主演/助演をデフォルトに、縦横無尽に活躍の場を広げられんことを切に願う。

さて、私事、本コロナ禍の4年余に、緑内障&白内障の手術もし、札幌の大学を「早期定年退職」もした。そんな日々の変化を飄々と受け容れていたつもりだったが、映画「すとん」にて再会したほぼ50年前の自作の8ミリ映画に、長年封印していた我が内なる創作意欲の埋み火に、ふいごで風を送ってしまった恰好だ。

もちろん、視野欠損もあるこの両眼でいま一度映像作品の撮影や編集は——やってやれないこともないが——やはりどこか無理がある。だかといって、長編小説に立ち向かおうにも、登場人物が4人、5人を越えた辺りからキャラ設定がぐずぐずになりそうで二の足を踏む。

バイト先の人の良い店長についての、辻の人物評、「強いていうなら、人生2周目の目」をした人、に倣うならば、「人生3周目のボロっちい目」の僕ではあるが、幸いにも、さえと同様、周囲を良き人々にぐるっと囲まれての今日がある。今回のコロナ禍を機に、渡邉りか子監督のクリエイティビティにいくらかでもあやかりたい。

もっとも、「すとん」のもう一つのテーマは、「振り返るとそこに年老いた両親がいた」ではあるし。あまりもがいても、りか子監督に鼻で笑われそうだ。

もうだいぶ昔のこととなるが、家内と旅行中に、パリのリヨン駅だか北駅だかの駅前のビストロで、パリ長期滞在中の渡邉母娘3人(りか子さんには、後にこちらはYouTuberとして活躍することになるお姉さんがいる)と昼食を一緒したことがある。あのときの、まだ幼さの残る大学生(?)の彼女が、俳優として、映画監督として立ち止まることを知らないのだ。ここは、甘んじて後進に道を譲る? いやいや、映画監督や小説家がダメでも、老俳優から始めて、そのうち、チョイ役でもいいからりか子監督に使ってもらいたいものである。

そんなわけで、映画「すとん」、近くシアター上映の回でさえに、辻に……再会を果たしたいと心から願っている。

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