見出し画像

吉田キミコ画のある風景①

僕が吉田キミコさんの絵を少しずつ集めていることは、我が家に一度でも遊びに来た人なら誰もが知っています。キミコさんは小さな鉛筆画から大きな油絵まで様々なタイプの作品を描いていますが、なかでも「大きな油絵」が僕の興味の中心です。なので、うちに来さえすれば、作品はたいがいは部屋の中央にありまして、キミコ画を見ずに帰ることは到底できません。

まだ20代の頃、井の頭線・三鷹台駅から歩いてすぐの「加藤金太郎アパート」を住まいとしていた数年があります。井の頭公園をぐるっと周ってアパートに戻るとほぼ4キロ。ランニングにちょうど良い距離でせっせと走っていた一時期があるのですが、冬のある晩、公園内の切り株に蹴躓き、転んでしこたま膝を打ったのがきっかけで「井の頭の森を走る」からは完全引退してしまいました。

とはいえ、立教女学院の脇を抜け、吉祥寺南町のお屋敷街で目の保養をしてから、ピアニストの江戸京子さん(お父上は実業家の江戸英雄さん)の立派な邸宅を目印に公園に降りるというコースがなんとも贅沢で、「井の頭の森を歩く」はその後もずっと僕の日課でありました。

さて、公園に降りると、ほどなくして井の頭線の線路下を一回くぐることになるのですが、くぐり切ればそこはもう井の頭公園駅。駅前には、大好きなカフェ「宵待草」がありまして、ここはここで寄らずに先には進めません。コーヒーを体質的に受け付けない僕が、まだ胃の不調の原因がそれとは分からずがぶがぶ飲んでいた頃のことです。竹久夢二がモチーフと誰の目にも明らかなそのカフェのことは、しかし、その後、ニューヨークに住み、札幌に住みしているうちにすっかり忘れていたのでした。

さて、50にあと何年かというある日、渋谷から吉祥寺に向かう井の頭線の急行で半ば居眠りしていたのですが、託宣(たくせん)というヤツでしょうか、

「あの宵待草はどうなった? いま行かないでいつ行く?」

との誰かの声にふと目が覚めた次の瞬間には——富士見ヶ丘駅でちょうど良い接続があったものですから——飛び上がり、飛び降りて、各駅停車に乗り換えていました。目指すは、もちろん、井の頭公園駅であります。

果たして、宵待草、ありましたありました。店構えも看板も幾何学模様の窓枠までもがあの頃のままです。

ただ、店に入ってみれば、当時とは違っていることも。どちらかと言えば客はまばらで静かな印象しかない店内がこの日ばかりは沢山のお客さんでごった返しています。訊けば、あと数日で店を閉めるのだとか。食器や備品のセールもいまが佳境でした。富士見ヶ丘駅での、あの各停乗り換えを決行していなければ、もう一生この店の客となることはなかったのだ、と「夢の託宣」に感謝しかありませんでした。

さて、「豚を抱くアリス」(※勝手ながら個人的な呼称です)も「備品」の扱いで値札が付いていましたが、この日のうちに、閉まりゆく宵待草の壁から我が家の壁へとお迎えすることを決めました。記念すべき吉田キミコ画伯作品第1号です。

お店のオーナー・キミコさんとちゃんと会話を交わしたのもこの時が初めてでした。亡くなったお母様が土地・建物ごとキミコさんに遺されたこと、生前のお母様(いつも和服姿の華奢で綺麗な方。まさに竹久夢二世界)をモチーフに画家の小澤清人さんがお店の基本コンセプトをデザインされたこと、お店やお店の2階に沢山の若い画家の卵たちが連日のように集い、やがてプロとして独り立ちしていった者も多いことなどを教えていただきました。

あ、そうそう、キミコさんと僕には、お互い緑内障持ちの共通点も。見えにくさと折り合いながらキミコさんは現在も精力的に創作活動を続けています。最近はもっぱら鉛筆画が多く、大きな油絵を描く予定は当面ない、とのこと。それでもいつか新作……が待たれます。

他方、僕は僕で、「大きな油絵」ばかり集めてきたのは僥倖でした。例えば、「豚を抱くアリス」なら、いまのへっぽこな目でも毎日、何かしらの発見と感動があるからです。

この文章の題名が「吉田キミコ画のある風景①」の「①」とあるのにお気づきか。吉田キミコ画を巡る出来事あれこれを綴るこの「連載」が何回になるか、いまはまだ分かりませんが、気負わずに、不定期でも続けたいと考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?