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プチプチのエドワード・ホッパー

iPhoneの「写真」アプリの数ある機能のなかでも僕が一番重宝しているのが、「撮影地」から特定の写真にたどり着けるという検索機能です。

例えば、銃弾に倒れたジョン・レノンに思いを馳せる場として名高い、セントラルパーク内の「ストロベリーフィールズ」で撮った写真を久しぶりに見たいな、と思ったとしましょう。迷わず「撮影地」の機能を開き、デフォルトの日本地図からいっきに太平洋を飛び越えてアメリカ東海岸まで横スクロール。ニューヨーク市のだいたいの位置に当たりをつけたら、次に右手の2本指でピンチアウトしながら、マンハッタン島、アッパーウエストサイド、セントラルパーク……とだんたんと目標に近づけていくと、ものの数十秒で地面に描かれた「イマジン」のモザイクタイル画や、そこから徒歩数分の、ジョンとヨーコが暮らしたダコタアパートなどの写真数枚が湧き出て来るのですから、もの凄く便利です。

ただ、この「撮影地ピンチアウト方式」にも困った点がないでもありません。例えば、iPhone画面上で時空ワープをしている最中に、目測を誤り、見当違いの場所に「不時着」を果たそうものなら、期せずして懐かしい別の写真が掘り起こされてしまいまして、しばし所期の目的を忘れて思い出にひたってしまうことも。——まさに今朝、僕の時間を浪費してしまった「憎っくき写真」が、例えば、この1枚でした。

それは、ハイラインから撮った、ホイットニー美術館の移転・再開が近いことを知らせる巨大看板です。マンハッタンのアッパーイーストサイドにあった旧ホイットニーは2014年10月をもっていったん閉館となり、翌年5月1日に現所在地であるウエストヴィレッジのミートパッキング地区に移り、再オープンを果たしたのでした。

WHITNEY
UNPACKING
IN THE
MEATPACKING

あえて逐語訳すれば、「ホイットニーは、ここミートパッキングで、パッキングを解きつつあります」として、あのエドワード・ホッパーのアイコニックな作品「日曜の早朝」(Early Sunday Morning)をまだプチプチで梱包されたままの体で載せているではないですか。僕は「やられた」と泣き笑いしながら、iPhoneでパチパチと何枚か写真を撮ったのち、看板が一望できるハイラインの一角でしばし感動に身動きできませんでした。

ここマンハッタンに90年前後大学院生として暮らしたときも、そのおよそ20年後、2009年に勤務先の大学から研究休暇を貰い再びこの街に1年の予定で舞い戻ってきたときも、リビングの壁には「日曜の早朝」の複製画を掛けました。数あるホッパーの所蔵作品の中で、よくぞこの一作を選んでくれたよホイットニー、と感謝してもし切れませんでした。

「ミートパッキング地区」と言えば、1回目のニューヨーク時代、有線テレビで観た映画「危険な情事」(Fatal Attraction:1987)を真っ先に思い浮かべます。パーティで知り合った弁護士のダン(マイケル・ダグラス)との一夜の逢瀬が忘れられず、結局はダンを家庭崩壊にまで追い詰める編集者アレックス(グレン・クローズ)の鬼気迫る演技が圧巻のサイコ・ホラー映画ですが、このアレックスの住むアパートメントの所在地こそがこのミートパッキング地区であったのだな、ということを後になって知ることとなります。往来を行き交う男たちが全身から放つ熱気や臭気が画面から溢れんばかりの情景描写は、当時、その街がまだその名の通り屠殺場や精肉業の中心であったことを物語っていました。食と性は、根源的には生死を賭すような荒ぶる共通部分を持っている、という監督に独特のメッセージと受け取りました。

それが、ニューヨークお得意のジェントリフィケーション(gentrification)というのでしょうか、地域の高級化や、結果としての住民階層の入れ替わりがなって、いまではすっかり洗練された、トレンドの中心地へと変貌を遂げています(あ、さすが編集者、「アレックス」は流行の先端を行っていた、ということかも……)。

一般に、ミートパッキング地区のジェントリフィケーションは、ハイラインの完成をもって決定的となったと言われることが多いように思います。確かに、打ち捨てられたニューヨークセントラル鉄道の廃線の高架部分を再利用して整備された、全長2キロ超にも及ぶ線状公園(あるいは遊歩道)は、まさに「都市の再発見」と呼ぶに相応しい一大プロジェクトでした。ただ、個人的には、このホイットニー美術館の移転こそがその地位を不動のものにしたとの理解でいます。

ところで、ハイラインから眺めた2015年のあの大看板には、あるいは続編もあったのではないか、とふと根拠もなく考えることがあります。

まずは、アメリカではよくあることですが、工期が延びて、予定の「MAY 2015」までに開館できないケースを想定した、「オープンまでさらにあと少し!」を知らせるシリーズ2作目。ホッパーの「日曜の早朝」からプチプチはすっかり取り除かれているのですが、ホッパー画をよーく観れば、タウンハウスの前になぜが白いバン・タイプの作業車が1台停ってまして、一人の作業員が高圧洗浄機でビルの壁面を洗っているではないですか。なおも、最後のお色直しに余念がない、という可愛いエクスキューズですね。

また、これとは別に環境保護団体からのクレームを先回りして、「開館目前! ……ちなみに、梱包に使ったプチプチは漏れなく再利用しました」として、精肉所の冷凍倉庫の天井から吊るされた、すっかりプチプチで覆われた巨大肉片をサンドバッグ代わりに、いままさにパンチを打ち込まんとする一人のボクサー(シルベスター・スタローン?)の後ろ姿が描かれている、というバージョンはどうでしょう? そう、「ロッキー」の「1」がこの街で撮られたのもすっかりいまは昔となりました。


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