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フリック入力な日々を生きる

評論家の佐高信さんが、コメンテータとして出演されたYouTubeのニュースチャンネル「Arc Times」の中で、ご自身のキャリアを夕刊フジの記者としてスタートした、と語っておられた。当時、デスクから佐高さんへの注文はただひとつ。「毎日、なにかしら記事を1本書く」というもの。佐高さんによれば、朝日、読売や毎日のような宅配紙とは違って、駅のスタンド売りが基本のタブロイド紙は、今日買った新聞が面白くなければ明日はもう選んではもらえないが宿命だとか。

「毎日なにか1本記事を書くことで相当鍛えられた」

と佐高さん。「新聞記者」であったためしは一度もないが、「毎日書く」がいかに文章修行の肥やしとなるかの一端は、僕にも容易に想像の及ぶところである。

テレビ作家として「テレビ台本を書く」ことから社会に出た僕は、やがて大学に転じて後は「研究論文を書く」を生業としてきた。子どもの頃から読書と作文だけは嬉々としてやって来た身にとって、「作文」の延長線上でずっと仕事が途切れなかったことはこの上ない喜びだった。神様には感謝しかない。

しかしながら、これもそれもこの世にワープロの誕生があればこそ。ワープロの普及なくしてはかくも長きに渡って書くことを仕事にできたかは甚だ心もとない。

テレビ作家としてスタートを切ったばかりの1980年当時の日本社会は、パソコンソフトの一太郎やMSWordはおろか、いわゆるワープロ(専用機)をも持ち得てはいなかった。ゆえに、脚本家や放送作家と呼ばれる職能集団の中で、僕らがテレビ原稿用紙(テレ原)と呼ばれる、各局にオリジナルな原稿用紙を手書き文字で埋めながら台本をつくった最後の世代ということになろうか。

ただ、テレ原に手書きの時代は、本人、まだ学生でもあって、遊びたい盛りの20歳そこそこ。仕事モードに切り替えるのにとかく時間を要し、台本の1行目が書けずなかなかに苦しんだ。

食卓の上に十分な枚数のテレ原の束はある。先の尖った2Bの鉛筆も、マグカップになみなみと淹れた紅茶までもが周到に用意されている。後は、1行目さえ書き出せたなら、アイデアは湯水のごとく湧いてきて、テレ原の20枚や30枚、あっという間に気の利いたセリフで埋められるのだ。そんな自信過剰ぎみの自分、イケイケの時代だったのに、ヤル気スイッチが入らずに「1行目」問題に難儀した。結果的には、ワープロの導入で、その問題が雲散霧消したのだった。すなわち、「ヤル気スイッチ」はなんとワープロやパソコンのリアルスイッチを入れるで置換可能だった、というオチ。いやはや……。

NHKラジオの深夜番組で、脚本家の倉本聰さんが同じような過去の経験を吐露されていて興味深かった。

倉本さんの場合、日によって自分の手書き文字そのものを疎ましく思うことがあったという。札幌の大学に赴任して後のことだが、富良野駅近くの本屋さんで新刊本を物色されていた倉本さんご本人をお見かけしたことがあるが、当時は雲の上の、そのまた上のお方。倉本さんとて職業上の悩みは似たり寄ったりであることに深く安堵もし、大きな勇気もいただいた。

もっとも、そこは脚本名人・倉本聰。編み出した手書き文字克服のアイデアが実に素晴らしい。新たなテレビドラマの執筆にとり掛かるに先立って、倉本さんは儀式のようにハンコ屋で主だった登場人物全員分の役名スタンプをつくるのだとか。最初に登場人物の名前のスタンプを押しさえすれば、後はセリフは自ずと湧いて出て来るのだろう。「黒板五郎」や「蛍」と彫られた「北の国から」スタンプセットの現物を一度この目で見てみたい。

スタンプ作戦に思い至らなかった僕は、代わりに、発売間もないワープロには、いの一番で飛びついて正解だったということ。1985年頃と記憶する。

それは、3万円台とか5万円台とかの、廉価版の卓上ワープロなんかではなくて、当時、NHKの番組制作局内を瞬く間に席巻した富士通製のプロ仕様機で、ワープロ本体、キーボード、縦型のCRT(ブラウン管)、5インチフロッピー用の外付けドライブ、それに専用の印刷機の5点セットで総額150万円超のシロモノだった。もちろん、3年だか5年だかの割賦を組んでの購入だったが、そんなもの、ものの半年もあれば元が取れる、とクソ度胸だけはあった。

初期の、富士通のワープロは「親指シフト」という、独自の文字配列のキーボードを採用していた。キーボードのキー一つひとつに上下2つのひらがなを割り振ることで、実質3列のなかにひらがな全部を押し込め、かつ「親指シフトキー」を押す、押さないですべてのひらがなの一発表示を可能にしたスグレモノだった。当時、さる筋から入手した富士通の極秘内部資料(?)によると、5年も経てば親指シフトキーボードが、先行のJISキーボードを巻き返して、日本語キーボード界の覇者となる、とあって大変なシステムに出会えたものだと悦に入った。

が、現実には、肝心の富士通からして、ほどなくオプションでJISキーボードをバインドし始めた辺りから雲行きがあやしくなったかと思えば、直に親指シフトキーボードの廃番を発表。事実上、キーボードのデファクトスタンダード競争から完全に脱落した恰好だ。

もっとも、すっかりAppleの軍門に下った僕は、いまやパソコンはMacBook、スマホはiPoneで当分は浮気するつもりもなし。キーポードのローマ字入力も、スマホのフリック入力もここへ来て名人の域に達しつつある。とはいえ、ときどき、僕の身体の何処ぞに眠っている親指シフト入力の潜在能力を無性に呼び覚ましたくなる。ヘタった英語と一緒で、数日はふぁふふぁふするだろうが、そのうちきっと、あの頃の達人の指さばきが蘇ってくるに違いない。

フリック入力のフリック(flick)には、ひょいひょいと指ではじく、の意味がある。その実、フリック入力は上下左右に示された4つの選択肢の中から、瞬時にお目当ての文字や記号を探し当て、ひょいとはじいて決定を下す。その繰り返し。考えてみれば、目を悪くしたことで、例えば、クルマの運転など、こないだまでフツーにできたことのなにがしかを諦めざるを得なくなった。そんなときにも、殆どのことには代替の手段があるもんだ、と改めて感心することしきり。代替の選択肢をひょいひょいとスマホで検索しながら、その時々で瞬時に判断を下していく僕の日常とて、いってみれば「フリック入力」みたいなもの。親指シフトには固執するまい(全然してないけど)。スマホ片手に、そのときどきでフリック入力な日々を楽しもう。

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