タイ国バンコク都日本人村にある呪い
来年の1月にバンコクでオフ会を開きたいと思っている。
今回私がなぜオフ会を開こうと思い立ったのか、どんな人に来てほしいか、どんな人に来てほしくないか。どんな会にすればいいのだろうというのを自分の中で整理したくて書いている。
この文章は、建築にはなにも関係ないのだけれど、在タイの人の一部、またはこれからタイに来る人の一部にはほんの少しくらい共感してもらえる文章になっているかもしれない。というのも日ごろからもやもやしていることを赤裸々に語り、どうすればタイで幸せに過ごせるのか自分なりに考えた事を文章にしているからである。
オフ会に参加を考えてくださっている人には必ず読んで欲しいし、そのほかの人もぜひ読んでいってほしい。
※今回の文章、特定の誰かやコミュニティ、属性を批判しようとして書いているわけではなく、ましてやタイ国バンコク都日本人村に対して意見を言っているわけではない事を、あらかじめご了承いただきたい。
カテゴライズというパッケージ化された呪いの呪文
タイに住んでいるとよく聞くのは『日本人社会は怖い』という言葉である。これは正しい面もあるが、間違っている面が大きいというのが筆者の考えである。そういった考えに至るまでにどういった事があったのか。
まずは私の話を語っていきたい。
私はタイに来て5年が過ぎた。
初めの2年はタイ資本の企業に勤め、その後2年タイの日系企業で駐在員をしたのちフリーランスをしている。恥ずかしながら来タイ当時、筆者は『日本人社会は怖い』という状態だった。
初めての海外就職であった私はビビりまくって、 Twitter や 5ちゃんねる、爆サイ、在タイ者のブログ等をチェックし、あらゆる良い情報、悪い情報を鵜呑みにしていたのである。そして来タイ前から自分自身を"現地採用”という属性に何の疑いもなくカテゴライズしたのだった。
(そんなカテゴライズはそれらを読むまで知らなかったにもかかわらず)
カテゴライズをしてしまうと何が起こるのか。
『日本人社会』に取り込まれるのである。
そもそも現地採用、駐在などという企業と雇用者の雇用契約の内容によってカテゴライズが起こるのはこと自体おかしい。至極プライベートな情報である。『日本人社会』でのみ通用するローカル属性である。
しかし、自分自身をカテゴライズすると自己紹介の時に"現地採用をしています"という本来であれば他人にとってはどうでもいい、ものすごいプライベートな情報を自動的に吐くようになる。
そういったことを聞き出す口実なんてのは山ほどある。"『駐在員』だというのを知っておけばすぐに任期がわかるし、帰ってしまうか否かがわかるじゃないか"とか、"同じ現地採用同志だと親近感がわく"だとか。
タイに来て色々な日本人に会うと、自己紹介ではほぼ60-80パーセントくらい(当社調べ)の確立でカテゴライズ化された自分の属性を吐いたり聞いたりする。『駐在』『現地採用』『駐妻』『〇〇という企業のMD』『〇〇という飲食店の店長』。。。そして『現地採用』の私は自分でも気づかなかったのだが、数か月経つとだんだんと自分を卑下するようになったのだ。
呪いをかけたのは自分自身
なぜ自分を卑下するようになったのか、分析してみると時に日常の些細な気遣いによっても生まれるものだと気づいた。
例えば友達同士でも私が行く飲み会ではいつも『安いタイ料理屋』になるのに、私が行かない時には『日系のちょっといい居酒屋』に行った様子がインスタグラムにアップされるのを目にする。
そんな些細な事でも自己肯定感が下がっていき、徐々に自分を卑下して自ら境界をつくっていくことに気づいたのである。そういったことが重なり重なり、すっかり『日本人社会は怖い』という呪いにかかってしまったのである。
呪いの症状の分析
つまるところこの呪いの症状は自分と他者との精神的分断である。
結局なにが原因でこういう事が起こったのか整理してみると
1. 慣れない海外生活不安だ
2. 安心したい。自分が他人より良い状況にいると実感したい。
3. 自分より悪い状況にいる人に対してマウントを取りたい
4. 安易な形で社会的にあらかじめカテゴライズされた属性を使う
(駐在員、在タイ歴等、住んでいる場所等、勤め先等)
5. カテゴライズ間(又は他者と)の分断が起きる
わかりやすい例えを、下記に示してみる。(完全にフィクションです)
初めての海外で現地採用。一年たっても友達もあまりおらず、職場と自宅の往復を繰り返すような暮らしをしている中、インスタを見たらこの間知り合った大手企業の駐在員友達がサムイ島の5つ星ホテルシックス センスズで自慢の彼女と高そうなカクテルを傾けてる写真と共に『ココでのチルアウトは最高。ガチ生き返ったわー。』とかコメントをつけているのを目にする。
そうすると『自分がそうなりたかった生活』をしている『駐在員』というカテゴリー全体に対して嫉妬の感情が生まれたりする。『は?ふざけたこと言ってんじゃねえよ。そんなん言ってたら俺は一生、生き返れないじゃん!!!!死んでるってこと?ふざけんなよクソが!!』とおもいながら、『うわー!羨ましい!!いつか行ってみたいわー!ww』とかコメントする。
そして、その次のフィードには、同じ『現地採用』のカテゴリーに属する来タイしてすぐの友人がタクシーにぼったくりにあったと投稿しているので、"アドバイスとして"『〇〇さん!なんでGRABタクシーを使わないんですか?(心の声→あなたのようなタイ語も英語もまともにしゃべることが出来ない新参者が深夜に流しのタクシーなんかを捕まえようとするとぼったくられるんだよ。優しい在タイ歴1年のわたし様(わたし様はめっちゃ努力したのでTOEIC930点、タイ語はすでにN3だぁ!!) がGRABタクシーという在タイ者ならだれでも知っている超便利アプリケーションを教えてあげてもいいよぉ。もし返信をよこせばな!!ハハハ!!)』とコメントするわけである。
そしてもしこんな返信が来ればめっけもんである『え?GRABタクシーって何ですか?』この時点でわたし様は優勝している。
仕上げに『GRABタクシーはタクシーの配車アプリだよ!夜はぼったくられやすいしリンク張っておくから見てみて!次から気を付けてね!ww(心の声→やっぱり知らなかったー!!わたし様の方が賢いじゃん!!え?てかGRABタクシーも知らんの?てかぼったくられるとかマジアホ。俺様が教えてやったぜ感謝しろや!!ハハハ!!)』という、スーパー超絶スマッシュを決めて缶ビールを飲み干し、ゲームセット。良い気分のままベットへ向かうのである。
と心の声はかなり誇張しているかもしれないが、マウントを取る人の思考を大げさにするとこんなところだろう。SNSのやり取りでなくとも、実際の会話でこんなことが無数と繰り返されているわけである。そして私も無意識のうちにこんな思考を繰り返して呪いにかかってしまっていたのだ。
来タイしてすぐの人大半にとっては日常が特殊な状況だ。そして在タイ歴が長い人にとっては、新参者にマウンティングを取るのは非常に簡単である。住んでいれば当然の様にわかる『〇〇を知っている』という事実だけでマウントが取れるのである。
ましてや、ビザの関係で働くことのできない帯同で来タイしている家族はコミュニティーが狭まりがちである。狭いコミュニティの中ではどうしても他人の評価、そして家族の評価が気になる人が多い。そうするとマウンティングの応酬に耐えていかなくてはならない。そうでないと生き残れないからである。下手な事を言えば、わざと情報を教えない、他の家族への嫌がらせ等、が起こりうる。
孤独になってしまう事を恐れるのは当然のことである。
どうすれば呪いにかかりながらも平和に過ごすことができるか
どうすれば心穏やかに過ごすことが出来るのか実は来タイ当時からずっと考えているテーマであった。
実際、今年の4月には退職して日本に帰国しようと思っていたが、外国人である配偶者のVISAが新型コロナの影響で下りなくなってしまった。そこから今までは『フリーランス』という風に語っているが、なんてことはない、仕事がなければ一般的社会人から見れば 33歳の『無職男』である。
ぶっちゃけタイにいる人間のマジョリティー的価値観で語れば 結婚している働き盛りの33歳男性 で 働くことが出来る健康な身体、精神を持ちながらも、勤め先がないなんていうのはなかなか底辺に近い。
しかし私は実際にはそんな風に自分を卑下してみることは少なくなくなった。もちろんそう見る人もいるという事は重々承知の上である。
なぜこんな状態で自分を卑下せずに意識を保つことが出来るようになったかというと、マウンティングをされない、自分が平和だと感じるコミュニティを見つけられたからである。
おそらく現実逃避だという事を言われる方も多いと思う。ただ、『現実逃避』をしないとやっていられねーよという場面はたくさん起こっていると思う。(実際退職が決まった状態で、国境が閉じた時は絶望をしたし、『マジ、やってらんねーよ』となった。)
呪いから逃れられる場所
最近思う事は、SNSによって『日本人村』が分かりやすい形で可視化されたなぁということ。というのは日ごろの個人の発言が駄々洩れになることで『この人はマウント大好き』とか『この人感覚が合いそう』というのが明らかにわかるようになった。
私は以前から、SNS上で『この人感覚が合いそう』という人と何名か実際にお会いした事があり、『会ってよかったなあ』と思うことがほとんどであった。もちろんSNS上ではいろんなことを偽ることもできるし中には『悪い事』をたくらむ人もいるのは重々承知だ。私がそういった目に一度も会っていないというのが幸運だったというのもわかっている。
ただ、もし『日本人社会は怖い』という呪いにかかってしまっていて、孤独を感じている人に私個人の意見として述べたいのは、『"くだらないマウンティングを取ってくる日本人がつくりだす"日本人社会"という幻想"は怖い』ということである。
もし気の置けない友達がいない。利害関係のない友達が欲しい。趣味のことだけ語れるコミュニティが欲しい。孤独を感じている。こういった人にはぜひ今一度勇気を振り絞って新しいコミュニティを見つけに行ってほしい。何度か失敗しているとしてもあきらめないでほしい。そしてそんなコミュニティがないと感じている人は自ら作る事をしてほしい。
ささやかな挑戦
今回の文章、特定の誰かやコミュニティ、属性を批判しようとして書いているわけではなく、ましてやタイ国バンコク都日本人村に対して意見を言っているわけではない。
自分の属性をプロフィールに書くことを悪い事だともおもわない(現に自分も書いている)。当然会話のきっかけや、同じ立場の人と話をしたいという気持ちももちろん尊重されるべきだ。
ただ今回の文章は、自分が作りたいコミュニティはこういうモノだよということをあらかじめ表明していきたいという意図である。なんとなくやろうかなあと考えてはいたけれど、いざオフ会を企画しようと考えると『なんのためにやるのか』ということを考えざるを得ない。
ただその過程においてもしかしたら『建築、建築写真』に興味がなくてオフ会に来ない人でも、私の考え方に共感してくれる人がいるかもしれないという思いもあって、文章として公開することにした。
今回なぜ私がオフ会を企画するかというと、『呪いの外にあるコミュニティ』をつくりたいのだと思う。普段の生活でなんとなく息苦しいと感じているひとが『ホッと息をつける』そんなコミュニティだ。
実際うまく行くかどうかわからない。私も不安なのだ。不安でなければこんな文章は書かない。
ここまで長々と語ったのには一つお願いをするためである。
参加者の皆様に嫌な思いをしてもらわないために
呪いにかかった上で、その呪いを自覚していない人には来てほしくない。
という事である。
かくなる私も呪いが解け切れているわけではない。その呪いにかかり、呪いを自覚し格闘しているうちの一人である。
なるべく浅ましいマウンティングを取らないように努力はしているが、実際のところまだしてしまっている事があるかもしれない。ただ、その呪いの自覚さえれば、自分を正していくことがきっとできると信じている。
今回この"ささやかな挑戦"に共感してくれる人に、ぜひオフ会参加してほしいと思っている。そんなに難しい事ではないと思う。
ただ『浅ましいマウントを取らない様に努力して、優しい態度に努めましょう』という話である。
この時点で”こいつメンドクサイな”と思う方はたぶん私と感性が合わないというだけの話である。自らでご自身が考える価値観でコミュニティをつくってほしいなぁとおもう。
今回『建築と建築写真』に興味がある人という縛りになってしまってはいるが、少しでも興味ある人は来てほしいと思っている。
本来であれば日程なんかも今日告知したかったのですが、コロナの第二波が広がりつつある状況で告知するのははばかられるので、しばらく様子を見てから、改めて日程場所等告知させていただきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
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