ダ・ヴィンチ 「非」永久時計

今回はある時計と、その思い出について話したい。

1985年にバーゼル・フェアで発表された永久カレンダーが、IWCの「ダ・ヴィンチ」である。永久カレンダーとは、年、月、曜日、日、月齢表示に加えて、うるう年まで自動的に変換するものだ。

しかしこの永久カレンダーは、他の物とある一点で違っていた。それが文字盤の左下に見える小さな小窓、つまり2499年までの表示機能である。実はIWCは、2500年以降のカレンダーも用意しているそうだ。だからIWCという会社が存在する限り、カレンダー表示は2500年以降も正しく表示されるだろう。

かつて私は、手持ちの時計に追金をして、ダ・ヴィンチに交換してもらった。「永久に時を表示する」という仕組みに魅了されたためだが、やがて使わなくなってしまった。

ダ・ヴィンチは、リュウズを戻して過去の日付に合わせることができない。つまり、過ぎた日は二度と表示できない。私はダ・ヴィンチの文字盤を眺めつつ、過ぎ去っていく人生に後悔しないか、イエスと言えるかと自問してみた。答えは出せなかった。結局、ダ・ヴィンチは手放した。お金の問題ではなく、似合う、似合わないの問題ではなく、好きだけど手にできない時計があると思った。

時計の針は文字盤を何度もまわり、また同じ時間を表示する。人は「過ぎ去った時間は戻らない」と言うが、手元の時計は何度も同じ時間を示す。あたかも予定調和のように。明日も今日と同じように、12時50分が、5時13分が、また8時31分がやってきては、過ぎていく。だからこそ私たちは安心して時を確認できる。

もし過ぎ去った時間は戻ってこない、過ぎ去った人生は取り戻せないという事実に気付いたなら、誰が時計なんて見るだろう、過ぎ去る時をこの目で確認したいと思うだろう。

過ぎ去った時間は二度と戻らず、そして明日来る時間もまた、過ぎてしまえば帰ってこない。ダ・ヴィンチは同じ時間を二度は表示してくれるが、三度目は決して示してくれない。6月20日は何度もやってくるが、「2015年」の6月20日は、その日しかないからだ。

そして過去に戻りたくても、リュウズを戻すことは決してできない。文字盤に表示される瞬間は、その瞬間だけのもの。人生は終焉に向けて進み続け、またダ・ヴィンチも進む。あたかも矢のように。

ダ・ヴィンチは、文字盤をのぞく度に問い掛けた。「この瞬間は戻ってこない」と。それでもなおイエスと言い切れるようになって、過ぎ行くとき時を肯定できるようになって、私ははじめてダ・ヴィンチを腕にすべきと思った。過ぎ去っていく瞬間をこの目で確認できるほどの勇気は、かつても持てなかったし、今もない。

ダ・ヴィンチを表して「2499年までの永久カレンダー」と言う人がいる。しかしこれは永久時計ではない。人生が、その一瞬しかないことを示す非永久時計だ。永久ならざる時に向かい合おうとする、それぞれの意志を試すものだ。

私は時々、時計屋でダ・ヴィンチを見かける。でも腕には決して巻けない。私はいつになったらダ・ヴィンチを手にできるのだろう。いつ過ぎ行く人生に向かい合うことができるのだろう?

追記:ここで記したモデルは、すでに製造中止である。しかし幸いにも、同じカレンダーを持つ「ポルトギーゼ・パーペチュアルカレンダー」がある。

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