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思い出してみよう。

全ての物質は動いている。

それは私たちの住む惑星という規模になっても同じで、(広い意味での)住環境が動き続けているのに、私たち自身が動かなくなってしまってはどうにも説明がつかない。

現に心臓も血液も、からだの中の電荷も静止しているようで動いている。

自分の経験則から、小学校に入って習う”気をつけ!!”が止まる、あるいは止まっている、もしくは止めなければならないという錯覚を起こすんだと考えているが、これを読んでいる人はどうだろうか?

兎にも角にも、からだを固めることを覚えてしまった我々は、本来からだが動いている(動き続けている)ことを忘れてしまった。

呼吸を止めている時ですら、そのことに気づかないくらいに。

さらには感覚的なところからも、からだに影響が出るが、そんなことすらも気づかないぐらいに、からだが変化し続ける(動き続ける)ことを忘れてしまった。

からだと、からだを取り巻く環境

からだには物質としてのからだと、それを取り巻くエネルギー帯としてのからだが存在するとされているが、太陽系を内在する銀河系も同じく変化し続け、互いに影響を与え関係性を保っていることを考えると、目に見えないもの(音や光、さらには他人の感情など)が、自分のからだに影響を与えていることが事実だとわかる。

余談だが、パワースポットだとかライトワーカーとか、よくわからない横文字で説明したりされたりする人は、そんな風に広範囲に影響を与えることができる人なのだと思う。逆にエナジーテイカーとかエネルギーバンパイアとか言われる人も良いか悪いかはさておき、同じ類なんだと思おう。

光の灯台 _ Re-minders from Home 2011年 10月15日   …

固まったらダメだ!

街を歩いていると、ついついあちこちに目を向ける癖がある。目線がフラフラしているようだが、足元の一点だけを見て歩くより遥かに安全だ。

背骨構造

そもそもからだの中心にある軸と、その上に乗っている頭蓋骨はうな垂れるようにできていないのだから。。。

気持ちが落ち込んだ時、ちょっと人と会いたくない時、元気がないとき…

そんな時は背骨の上に乗っかってる頭蓋骨は下へと傾き、そこに重力がかかりロックされてしまう。自分でわかってたら後になってまだ直せるけれど、それが長く続くとその状態で固まってしまって、本来の位置というのがわからなくなってしまう。

現にこの記事をパソコンで書いている時も、ラップトップなので目線は下に、口は固く結び、呼吸は浅くなっている。意識的でいるからまだマシかもしれないが、毎日のからだのケアは欠くことができない。

固まったらダメというのは、歩き続けなければいけないとか、そういうことではない。

自分を構成するもの(細胞とか分子とか電子とか素粒子とか)が、僅かでも振動し、互いが混ざり合ったり、それが思考や身体活動レベルまで拡がり及んでいるみたいなことをイメージし、そうなってみようとすることだ。

さっき言った、目線であったり、背骨の位置であったり、それに合わせて手がどんな状態か、お腹は、心は… 最終的にはどんな状況下であっても全てがリラックスしている状態を意識的に作れるようになれたら最高だと思う。

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パフォーマンスを高めるためには、平時の状態を高めないといけない

それはスポーツに限らず、仕事であっても遊びであっても変わらないはずで、平時の状態を高めるためのトレーニングが必要なわけだ。

ここでトレーニングというと、筋トレ?!みたいな感じを受ける人もいるかもしれないが、筋トレのことではなく、先に述べたイメージ(意識的でいること)を体現するためのことだ。

平時の状態がギュッと固まっていては、その上に乗るものなんてたかが知れている訳で、平時でも、大舞台のときでも自分らしくいるためには、自分のからだの状態を客観的に捉えることが必要になる。

言い換えるなら、からだには数々のセンサーがあり、そのセンサーから常に神経指令が送られてきていて、その感度を磨くこと、また、それに対してどうリアクションするか?ということだ。


思い出してほしい、子どもの頃は全てが新しい体験だった。

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からだを縮めていては、それ以上の体験をすることができなかった。

不安な時は誰かに抱きかかえてもらって、縮んだからだを伸ばすことができた。

時間が経ち、からだが伸びると、また積極的に新しい体験をすることができた。

その力を復元力(レジリエンシー)と呼んだりする。

自分のからだを、自分以外の何かに変えようとするのではなく、自分のからだで、どんな時でも自分らしくあるよう積極的に取り組むことで

自分のからだを縮めて固めることなく、変化し拡大し続けることができる。

不安定は足元だと、初めは不安になる。

けれども不安定な足元でも安心できると、安定して動くことができるようになる。

固定された足元と、固定されたからだで居ようとしてしまっていては、自分自身からどんどん遠ざかってしまう。

自分のからだの声に耳を傾けて、いくつになってもワクワク、心が踊る体験を求めて柔軟に、しなやかに生きる準備をし続けよう。


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