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横浜市議時代に抱えていた「不」と横浜市長になったら「やりたかったこと」

今、僕がソーシャル・エックス及びソーシャル・エックス総研でチャレンジしていることは、自分が横浜市議だった時に抱えていた「不」と、横浜市長になったら、「やりたい」と思っていたこと、この2つが事業を考える時のスタートになってる。

前者は「キャリア」。後者は行政マネジメントのアップデートだ。官民共創/官官連携とも言い換えられる。

まず前者だが、人材の流動性がないが故に、議員の後が、ない。横浜市議の次のキャリアは、国会議員くらいしか、ない。

社会に人材の流動性が生まれれば、議員を務めた後に、そこでの経験、実績をベースに民間に転職していく、という道もあっていいはず。だから、よく「政治版吉本興業」「政治版ホリプロ」「政治版ジャニーズ」を作りたいと言っていた。

この流動性へのチャレンジはまだ形にはなってないけど、今、ソーシャル・エックス総研の方で開発に着手している。一定の形になるまでに数年はかかるだろう。

次に横浜市長になったらチャレンジしたかったことは、行政マネジメントのアップデート。そのメインエンジンは官民共創/官官共創と思っていた。

横浜を題材にして言えば、都市デザイン室という、全国に誇るべきチームがある。たくさんのノウハウが集まっていて、シンガポールが都市開発の際に、みなとみらいを徹底的に研究したことはよく知られている。

例えば、この都市デザイン室、カーブアウトして企業になって、全国の自治体あるいは企業のコンサルティングしたらいいのに、と思ってた(アイデアベースでは横浜市に伝えたこともある)。

公民連携の心臓部、共創フロントもそうだ。ここだって、少なくとも、あの時点では横浜は公民連携の、相当先頭を走っていたから、そのノウハウは自治体にも企業にも売れたはずだ。

都市デザインも共創フロントもカーブアウトしないまでも、外から稼いで、かつ、外をアップデートすることができる、と思ってた。今、これをやってるのがソーシャル・エックスだ。

人材の活躍するフィードが生まれれば、流動性を作り出せる。その視点から、上記の二つの問題意識が一つのかたまり、共創経済圏を構成できるな、と思ったのが、2018年に独立した時に考えていたことだ。

最初独立した頃、議員としての信用はあっても、ビジネスでの実績がない頃は、お金を頂くことの大変を嫌というほど経験した。それは組織に所属しない悲しさだけれども、その大変さを経験できたことは財産だ。

そんなこともあって、自分でも驚くほど、2018年時点で言っていること、当時の資料と、2023年現在の考えていること、今の資料に、違いがない。

違いがあるとすれば、コンセプトだったものが形になっていること。もちろん、その形はまだ完璧ではないし、それゆえ完成形でもない。

ただ、ゼロとイチの差は大きい。一度、形に出来れば、あとはユーザーの声に耳を傾けながら、また当時の自分の「不」に向き合いながら、改善していけば良い。

僕が最近、ようやく登山口にたどり着いた、と思うのは、山登りに必要な装具がひと揃い、整ったと思うから。

富士山のてっぺんにたどり着くために必要なことはこだわるし、逆にてっぺん到着に関係のないものについては拘らない。

そのてっぺんは、官民の垣根が低くなった状態だ。これを言語化するのは難しいけど、日本がそこにたどり着けたら、新しい、次の100年に基礎になるのではないか、と妄想している。

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