自分ばかりが“特別”じゃない。それぞれが特別なのっ!
天海玉紀先生の「天中殺」講座。私は去年この講座に参加して、↓のレポートでは感想ツイートも引用されているのですが、宿命中殺の当事者の方々のリアクションを見ることができます。
でね…
すごーくセンシティブなので誤解されたら困るなと思いつつ、この話題でいつも喉の奥まで出かかって我慢しているのが、
宿命中殺の人たちの大変さは、私には確かに想像しかできないけれど、
受けて立つこっちも大変なんだよ!!
ってこと。
玉紀先生が
それでも「宿命中殺は変な人。ダメ」みたいな言い方は決してするまいと決めていますし、自分はそのような講座は絶対にやらない、と思っています。
と書いていますが、私も十把一絡げに変な人だとかダメだなんて思っていません。
でもね、私自身が宿命中殺の人とがっつり向き合って、すり減って、あきらめた経験を持つ立場だから言わせてもらうけれど、苦労するのはお互い様なんですよ。
だから、
宿命中殺生まれの人との付き合い方は「あきらめるしかない」と申し上げたら、場がしーんとしてしまいました。あれまー。あきらめるというのは、別に悪いことではないでしょう?自分の想像通りではない考え方をしたり、自分には想像がつかないような行動規範がベースにあるんだと最初から思っていれば、なにかあっても腹も立たないし、傷つくこともないでしょう?と申し上げました。
っていう玉紀先生の言葉はホントそうだよなと。
で、占いやってると、やっぱり“変わってる”命式や相ってあるんですけど、名前が付くか付かないかなだけで、大変なのはみんな大変だし、特別なのはみんな特別なんですよ。確かに称号欲しい気持ちも解りますけどね。(まあ、私も身弱とか12ハウサーとかの称号付けようと思えば付くわけですが)
それぞれの器に合わせて、抱えきれる程度の大変さが与えられているので、自分は何の変哲もない命式や相…とか思っている人がいたら、そんな風に思わないで良いです。あなたも十分特別です。
はー。スッキリした。
ちょっとキレイにまとめるならば、私がインナーチャイルドカードのセッションが好きなのは、みんなが特別、みんなが主役になれるからですよ。
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