「自閉症の苦手」をあげるなら。
長男が発達障害だ。
顕著なのはコミニュケーション障害で、自閉症の特徴が目立たない程度にはある。
それだけだというのに、なんやかんやあった。
今年二十歳の彼は、春に高校3年生になる。
やりたいのに、できない。
できないのに、やらなくてはならない。
やったふりを、演じることができない。
いいわけの言葉は、思いつけない。
できないと、みとめてもらえない。
みとめようとしてもらえない。
みとめてもらうために、
できないことを証明しなくてはならない。
その証明をする手段が、
障害によって断たれているのを理解してもらえない。
自分にかける言葉がみつからない。
物事をやり過ごす、煙に巻く、自分をごまかす、見て見ぬふりをする、本音とたてまえ、忖度…。
これらを悪いことと教えるが学校だが、これらを生きる手段として学ぶのが学校生活なんじゃないかな。
集団生活の最大の意義は「理不尽への対応力」、これに尽きると私は思っている。
そりゃ、苦労するわな。したよな。
「自閉症の苦手」は「理不尽」だもの。
春からは就職へのチャレンジが始まるけど、幸いなことに通っている学校は彼を「信じて」くれている。
もがきながら、前に進もうとしていることを「受け入れて」くれている。
そういった出会いは必ずあるさ。
あるはずなんだと信じたいね。
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