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酒場の音楽が大切だった時代を思ってみる。
先日キャンプに行ったときに、コンビニで買ったワンカップを焚火で温めたお湯につけてぬる燗にして飲むのがよさげとなって
さっそくやってみたのだけども、これがうまかった。キャンプでは基本的にどんなものでもおいしいのだけれど、すたれつつあるかと思われたワンカップ文化はキャンプブームで盛り返してくるのではないかというくらいちょっとしたブームなのではないか(自分だけか)
そんなワンシーンに合う曲としてつい口をついて出たのがこの曲なんだけども
この歌唱力。最近むかしのテレビ歌謡番組など見たりすると、本当に生放送なのに歌唱クオリティも演者の世界観もすごすぎて意味がわからない。
今のアーティストもうまい、すごいと思ってるけども、昔の芸能界もそりゃすごい人ばかりそろっていたわけで。背負っているものも違えば時代背景も違うので、なんかほんとに精神性が根本から違うっていう感じがする。
なんか昔の方がある種、芸能会=夢の世界、本当に精神性が夢の中で生きているみたいな感じがするというか。スターだからこうふるまうとか、スイッチが入ると夢の世界の住人になるというか。だから本当に夢のようなことが当たり前にできてしまうような。
この八代亜紀さんの歌の表現の幅の大きさ、テクニック的にもものすごくいろいろな要素が出てきたりするけど、昔ほど教育の環境が整っていたわけでも体系化されていたわけでもないだろうから、たぶん誰に教えられたものでもないのかもしれない。
自分で何かを発見して、何かに憑依されて?この歌の表情が流れるように出てくるのだろう。なんかとにかくボイトレ云々の次元じゃないどこかから出てくる声。
とまあ、小さいころから聞いてはいたけれど改めて聞くと歌にかかわる人間としてぶったまげの連続の歌唱ではあるけども、本題はこの歌の意味。
当時は少しバブルに差し掛かるくらいの時期で、この映像はほぼ僕が生まれた年くらい。高度成長の最盛期、順風満帆の時代だろうと思う。
しかしこのしみったれた田舎の漁師町の酒場の世界観。まるで老人と海の世界。これがなぜ日本人の心に刺さるのだろうか。
僕の家も普通にサラリーマンのブルーカラーの家だったので、バブルとか言ってもそんなに景気の良いことがあるわけでもなく、普通にお父さんは毎日会社で汗を流して働いて帰ってきては焼酎1杯とスーパーの刺身を食べて寝るという感じだった。
おそらく当時日本で最も多かった普通の労働者の家庭の光景だったのかもしれない。今考えればそれでも経済は成長していくという希望もあって幸せだったんだろうなあ。
華やかな世界とは無縁の大多数の労働者たちが支えて築き上げた日本。そんな毎日、いっぱいのお酒だけを喜びとして生きる日々。それでも俺はこれでいい、一人でしんみり飲んでるだけの俺はかっこいい。そう思える歌がこの時代には必要だったのかもしれない。
流行りの歌は誰かの声を代弁してたりする。もちろんその時代に多くいた人たちの心の声を代弁したほうが流行る。その時すでに演歌よりポップスが全盛だっただろうと思うけど、こういう場末のスナック的世界観はジャパニーズblues、演歌に勝るものはないねえ。くぅーー。
とか、たいしてそういうところに行ったこともなければ体験したこともない僕が、ワンカップの熱燗に思いをはせたという記録でした。
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