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神戸 ほんの短い夏 -1993- 僕と音楽と(21)

 1992年7月、僕は神戸勤務となった。後にも先にも、箱根の山の向こうで勤務したのはこの時だけである(シンガポールは別として)。
 震災の前、神戸は住みたい街No.1と言われていたし、妻君の親はまだ山口で存命であり、神戸行を喜ぶかと思ったが、既に育児期を終え職に就いていたので、初の単身赴任となった。
 二女は、赴任の新幹線ホームで泣いたが、帰任の頃には父親の存在感など消え失せていた。
 尤も、神戸勤務は最後に阪神大震災を迎えるので、僕の単身赴任に異を唱えていた今は亡き僕の母親は、「孫を震災に遭わせなかった賢い嫁」と手の平返しで、以後、嫁姑仲は悪く無かった(笑)

 単身は独身とは違う事はすぐ分かった。京都も奈良も近いし、訪ねる処に事欠かないと思っていたが、10年の家庭生活は、一人で出掛ける習慣をすっかり無くしていた。
 幸い、神戸支店には、昔1部リーグで鳴らした女子バレーボール部があったので、地域リーグの連戦に、西日本各地を応援に駆け付けるという格好の事由があり、筑豊とか、飛鳥とか、訪れる機会の無かった処へ同行でき感謝している。

 裏手には、六甲山があり、芦屋からの登りなど、なかなか本格的で、岩場を登るイノシシの親子に道を譲ったりと、高校時代、ワンゲルに移った僕には格好の地の利ではあった。
 関西にも友人が出来て行き、京都など敷居の高い処にも連れて行って頂いた。

 後年の単身赴任のように飲む機会ばかりという訳でも無いので、時間はある。

 珍しくTVドラマなども何本か記憶に残っている。
 90年代は、最もライブから遠かった時代なので、この時期に、リアルタイムで知ったミュージシャンは数少ない。
 前半はドリカム、後半はMISIAくらいかな。

 朝ドラは「ひらり」をやっていた。ドラマの中身はほとんど記憶が無いが、「晴れたらいいね」は良く覚えている。
 アルバムSwinging Starは、最も良く聴いたドリカムだと思う。
 あの夏の花火、眼鏡越しの空、決戦は金曜日、そして、晴れたらいいね。今でも好きな曲ばかり。

 もう一本、「ポケベルが鳴らなくて」にハマって裕木奈江ちゃんのファンになった(笑)。
 バッシングもあったりした彼女だけど、25年後の2018年10月25日、僕は初めて彼女の生歌を聴いた。

 「泣きたい夜もある」という週替わりオムニバスのドラマも面白かった。
 主題歌は、伊勢正三の「ほんの短い夏」。

 最後の地下鉄が街の下くぐり抜けて
 君が僕の時計 遅らせたと知った
 ほんの5分だけの 君の願い
 ずっと気付かずに
 君が言葉には出来なかったこと
 僕は知らずに季節は過ぎてゆくよ

 30代後半、震災前の神戸は、僕の人生の夏の時代だった…

 本日の一曲
 伊勢正三「ほんの短い夏

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