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赤道を横切る:第2章 難航の鳳山丸

野柳鼻【やりゅうび。野柳岬ともいう。台湾最北部の景勝地】を過ぎて富貴角灯台を望む頃、昼食となったが服装の模様も分からず、まず一回だけは自重する事にし、ボーイを煩わして軽いものだけ頂戴におよぶ。淡水沖とおぼしき頃怒涛の襲来もの凄く、前後甲板は間断なく波に洗われ、最後には通風筒から飛び込んだ大波に部屋中洗礼を受ける騒ぎ、「煙管から注ぎこまれてはたまらぬ」と悲鳴をあげる。何しろ時速3カイリに落ちたという難航であった。しかしその割合に船酔いとはならず、持参の参考書類を検閲する。しかし船内の燭力はなはだ貧弱で老眼では物の文色【あいろ】も見えわかぬ。
夕刻白沙灯台を望む頃、波涛少しおさまり、晩餐は打ち揃って食堂に出場、服装随意ということで安心したからでもある。割合に欠席者少なきはさすがに9,000カイリ踏破の勇士揃いとみえて頼もしく船員も少々顔負けの体【てい】。

明くれば10月2日、和風晴で風波ほとんど静まり一同急に元気づく。聞けば昨夜半エンジンのパイプ破裂、圧力計飛散の珍事あり、その修理30分を要するにおいては由々しき結果となるところ、高雄に避難の説さえ出たとの事、知らぬが仏でまず結構、なお騒ぎの最中船内に飛び魚が飛び込んだとあって朝の食膳に供せられた。これも何かの瑞兆と大いに縁起を祝う。
この日午後、後甲板上に団員全部を召集し、団体行動に関する事項につき主催者側から種々懇談あり、小田医学博士からは衛生上の注意を受けた。なお団長として我輩からも大体の希望を述べておいた。毎年鉄道協会や港湾協会の団体視察旅行に参加しつつある経験から、かねての主張を実現すべく、適当の人数に班を分かつ事を提議して賛成を得、本部とともに九班に分かつ事とし、各班から班長を選出せしむる事にした。今回の参加人員80名、その内16名は内地からはるばる加盟された方と、ほかに台湾在住内地人24名、その内12名は官吏の方々である。主催者側より見た待遇から分類すれば松班30、竹班13、梅班37となる。なるべく話の合うような連中を同班に編入した結果次のごとき編成となった。

団長 三巻俊夫
本部 班長 坂本登
小田定文、森忠平、國方新吾、張山鐘、井上信司、佐藤吉次郎、岡野喜一郎、遠藤克己、池田佐一郎(シンガポールより加入)
第一班 班長 保立儀助
澤村保、赤坂政吉、柴川惇、日垣太市郎、半田辰五郎、羽田旨、加賀孝徳、井上芳太郎
第二班 班長 下茂民夫
中谷哲二、市川純一郎、青柳晴一、濱崎優二、小川七十二、高江冨二郎、筒井諒庸、上田光一郎
第三班 班長 黄登雲
陳按察、李崢嶸、李明道、李城、林灶、林阿華、林其賢、楊天賦
第四班 班長 中村勘吉
丸野唯一、渡邊奨、大野喜八、平松傳一、呉汝權、羅享錦、周宣銘、呂季園
第五班 班長 深谷政治
石井保雄、斉藤健蔵、麻田喜四郎、岩佐平三郎、楳原米一郎、山本茂一
第六班 班長 林水來
謝繼益、郭國湶、張阿金、張水福、林以文、王傳培、周英、周水源
第七班 班長 蔡敏庭
許清貴、許雲鵬、許雲遠、黄金鈴、黄朝應、黄乾傳、陳渠卿、劉星煌
第八班 班長 林澄波
張叔荷、詹國、楊賓嶽、謝順利、張銀渓、張師尭、楊發
各班員自治の本義にのっとり、班ごとに会計係、為替係、自動車係、交渉係、旗手を選任する事とし部署を定めた。

上掲の絵は鳳山丸そのもではないが、二本マスト、一本煙突の貨客船だから、荒波にもまれてこんな感じだったのではないだろうか。

参加者全員の氏名と班編制が記されている。この中にもしや、ご存知の方がいれば、祖父とのご縁があるということになる。

本書は著作権フリーだが、複写転載される場合には、ご一報いただければ幸いです。今となっては「不適当」とされる表現も出てくるが、時代考証のため原著の表現を尊重していることをご理解いただきたい。

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