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トラック野郎・故郷特急便:移動する解放区

トラック野郎・故郷特急便
1979年 日本映画

フー流独断的評価:☆☆☆☆

『トラック野郎』の主人公・星桃次郎の運転する一番星号。そのネーミングからして、ミレニアム・ファルコンではないか。星桃次郎は、大型トラック一番星号の運転席で、演歌を口ずさみながら、ある時はサイホンでコーヒーを淹れて優雅に飲んだかと思えば、ある時は七輪を持ち込んで餅を焼き、醤油の小皿にちょびちょび浸けながら食べている。そこは狭いながらも楽しい解放区である。まさに「移動する解放区」という概念だ。

『トラック野郎』から人生を学んだと言えば笑う人がいるだろう。しかし僕にとって『トラック野郎』の持つ意味は、『若大将』や『男はつらいよ』と同等かそれ以上のものがある。1975年に第一作が公開され、1979年暮れの本作、第十作目の『故郷特急便』をもって完結した『トラック野郎』シリーズは、僕の20歳から24歳とオーバーラップしている。

義理、人情、友情、恋愛、喧嘩。
信頼、裏切り、風俗、借金、逮捕。
酒、女、旅、祭。
食事、排泄、セックス、そして誕生と死。
これらは人として学ばなければならない基礎教養課程ではないか。

菅原文太演じる星桃次郎こそわが人生の師である。1970年代後半に青春の終わりを迎えたわれわれは悲惨な世代である。70年安保闘争の混乱と挫折で学生運動は下火となり、社会に出ようとする矢先にオイル・ショックが襲い、戦後の復興と繁栄はまさに風前のともしびだった。プラザ合意は、すぐそこまで迫っていた。星桃次郎は、そんなわれわれの世代を代弁するニヒリズムのヒーローである。

星桃次郎は、アカデミズムを徹底的に馬鹿にする。既存のエスタブリッシュメントを徹底的に無視する。どのような組織にも属さない。そしてアナキズムの根源が愛であるように、星桃次郎もひたすら成就しない愛を求め続けるドン・キホーテなのである。

菅原文太は1933(昭和8)年生まれ。宮城県屈指の名門、仙台一高の出身である。高校時代は新聞部に属していた。生涯ニヒルな求道者を演じ続けた同時代のスターである高倉健が、実生活ではお茶目なエピキュリアンだったのと対照的に、菅原文太は銀幕では無頼の狂犬を演じ続けたが、実生活においてはインテリの求道者であった。菅原文太は、1970年代へのオマージュとして『トラック野郎』を企画したのだろう。同志となった鈴木則文監督や愛川欽也との邂逅は、菅原文太という人が仲間に恵まれる幸運な星の下に生まれたことを示している。

映画の中盤、石川さゆりが死にゆく病人の枕頭で『南国土佐を後にして』をア・カペラで歌うシーンがある。石川演じる場末のキャバレーを渡り歩く売れない歌手が、歌とは何かを悟る場面だ。この時の石川さゆりの歌唱が見事である。『津軽海峡・冬景色』の大ヒットが1977(昭和52)年であるから、すでに一流歌手であった石川さゆりに、あえて売れない歌手を演じさせたのだ。おそらく石川にとってもこの役は忘れられないはずだ。

なぜならば、この役はその後の石川さゆりを予言していたからだ。石川演じる小野川結花は、いったんは星桃次郎との結婚を決意するが、桃次郎に諭されて歌の道を選ぶ。彼女にとって歌は天職だったからだ。この映画に出演した時点では石川はまだ独身だったが、その後結婚し、結局は離婚することになる。そして、その後の石川はまるで歌の神に仕える巫女のようになっていく。まさに、彼女の歌手人生を『トラック野郎』が予言していたかのように。

2014年から翌15年にかけて、菅原文太、鈴木則文、愛川欽也は、本当に息を合わせるように相次いで鬼籍に入ってしまった。彼らはいずれも同年代だ。今にして思うと、『トラック野郎』という映画は、70年代を悼む鎮魂のモニュメントであり、彼らは仲良くそこに墓碑銘を刻んだということではないだろうか。そう思えてならない。

監督:鈴木則文
脚本:中島丈博、松島利昭
出演:菅原文太、愛川欽也、春川ますみ、石川さゆり、森下愛子、原田大二郎、大坂志郎、玉置宏
音楽:木下忠司
撮影:出先哲也

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