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赤道を横切る:第18章 赤道祭

10月23日、午前6時40分出帆、リオ水道へ向けて進行、海上極めて平穏、追々赤道に近づく。この機会において例によりマレー半島を顧み更にその全貌を検討してみる。

マレー連邦州(ネグリスムビラン、スランゴール、ペラ、パパンの4州)およびマレー非連邦(ジョホールおよびケランタン、トレンガヌ、ペルリスの4州)は北方シャム国境からシンガポールに至る半島で、面積136,236平方キロ(52,000平方マイル)人口350万人(一平方キロあたり25人)海岸線の延長1200マイルにおよんでいる。

山系は中央山脈は外タハン、アノムの両山脈あり、最高2,190メートルのタハン山で、一種特有の石灰岩山が多い。

河流にはペラ河、バハン河、ケランタン河など著名でいずれも奥地交通路として役立っている。人種と人口とは前述の通り、多種多様おそらくその見本市とでも言うべき箇所であろう。今もなお千古斧鉞【ふえつ=おのとまさかり】を入れざる森林地帯には原住種族の一群がいたるところ割拠している。
貿易状況を見るに、輸出はゴム、スズ、発動機用油、コプラ、米など4億200万ドル、輸入は発動機用油、米、スズ、ゴム、重油など3億5800万ドルにおよぶ。

我々一行は時間の都合上半島奥深くまで入り込むことができなかったのは遺憾であったが、ジョホール州のバトバハには30年来邦人のゴム事業地もある。三五公司、東亜公司などがそれで在留邦人550名を算すとのこと、それよりも更に北の方スレムバンにも、コーランポーにも邦人が活躍している。せめてそのあたりまでは覗いて見たかった。

この日赤道を通過するというので、かねての計画に従い赤道祭を催す事になった。赤道通過は午後5時過ぎとなる予定で4時40分頃から祭事を行うことになる。中村事務長から大体の筋書を承ってさて役割の一段となり我輩は否応なしに仮装船長、海王ネプチューンは赤道通過の経験最も多き理由で夜牛子と極まった。

ここにおいて、佐藤船長から上衣と帽子を、中村事務長からズボンを借用に及び、銅鑼【どら】の声と共に静々と甲板に現われると、一同拍手喝采する。団員は各班ごとに班長を先頭に縦隊に整列している。その先頭に位置して船首に向かえば、そこには赤き一条のテープが引かれてある。やがてネプチューン海王が青黄とりどりに色どったマレー帽子にサロンのえび茶色テーブルクロスを肩にしながら二尺あまりの真紅の大鍵を捧げ、岡野子の衛士姿凜々しきをお供につれて出場、仮装船長と相対して起立する、さてそれからが安宅の関ならぬ船上での問答だ。

問「おまえは何者であるぞ」
答「鳳山丸の船長でござる」
問「何処より何処へ行くぞ」
答「台湾新聞社主催南洋周航団員80名を載せて去んぬる10月1日基隆を船出しただ今南洋に向かうところでござる」
問「その一行に不浄の者はなきか」
答「左様な者は一人も居り申さぬ」
海王「しからば通行を許す」

ここで乗客代表に洗礼の式あり、岡野衛士一々浄水を班長の頭に注ぐ。仮装船長大鍵を受取り、赤テープの中央を切る。

ここで海王から御杯頂戴におよんで式を終わる。式終わると同時に赤道通過の汽笛が鳴る順序であったが、少し手回しが良すぎたため、一寸間が抜けた。午後5時15分、東経105度において無事赤道通過南半球に入る。基隆より南33度、直線距離1794カイリ、鳳山丸の行程3457カイリ、この日正午気温81度。

10月24日、航海中、午前5時50分バンカ島カリオン岬灯台を距離6カイリに通過、バンカ海峡に向かう。

午前6時16分パレンバン河口沖通過、スマトラに足跡を印しなかった事は残念だがいたしかたない。船上から遠望したスマトラ島は極めて平凡で何の変哲もない。

スマトラは赤道を中心として南北にまたがり、北はマラッカ海峡を隔ててマレー半島に対し、南はスンダ海峡を隔ててジャワに接し、東は遠くボルネオに西は洋々たるインド洋に面している。南北の延長実に1000マイル、周囲には大小の島嶼【とうしょ】が散在している。面積約16万平方マイル、日本全体よりやや小である。西海岸には高峻の山脈連なり、3000メートルから3600、3700メートルに及ぶものもある。多くは死火山なれど活火山もあるとのことだが船上からは山らしいものは見当たらぬ。それもそのはず東海岸は坦々たる平野が続いている。

スマトラは蘭領であるが、先住土人は未開で頑迷であり、ジャワに比して総じて文化の程度が劣っているらしい。パレンバンはムシ河の上流80キロにあり、人口12万、スマトラ最大の都会である。コーヒー、ゴム、石油、石炭、胡椒の集散地として有名、邦人も相当活動している。右の他、樟脳【しょうのう】、米、藍、タバコその他の熱帯植物極めて豊富で、また森林、油田、スズ鉱もある。未開であるが将来性を有する点において今後の発展が期待せられる。

午後3時40分、バンカ島灯台通過一路バタビアに向かう。この日赤道祭の余興として仮装行列を行うはずで前日来内々で準備をしている向きもあったが、梅班の謝継益君が突如として発病、どうやら胃潰瘍らしくしきりに苦悶しているのでドンチャン騒ぎもどうかと考え、とにかく延期する事に決定した。

病人は今にも絶え入るような気配でしきりに悲観している。小田衛生顧問や佐藤主催者らと鳩首協議、家族に告知すべきか否かについて長時間意見を戦わしたが、明朝バタビア着まで容態を見送り万事の手筈を極めることとした。

写真は、赤道祭で船長役に扮した三巻春楓子(俊夫)。

本書は著作権フリーだが、複写転載される場合には、ご一報いただければ幸いです。今となっては「不適当」とされる表現も出てくるが、時代考証のため原著の表現を尊重していることをご理解いただきたい。

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