見出し画像

まむしの兄弟:権力には背を向けろ、警察にも犯罪組織にも

懲役太郎 まむしの兄弟
1971年 日本映画

フー流独断的評価:☆☆☆

チンピラと書いて、ヤング・アナーキストと訳す。これをきちんと描ける映画監督はそう多くない。中島貞夫は、それができる数少ないひとりだろう。いや、ほめすぎだろうか。

都立日比谷高校から東京大学文学部卒業。学生時代は、ギリシャ悲劇研究会。卒業後は、東映に入社。「お前、ギリ研か。それなら京都に行け」という訳のわからない理屈で京都撮影所に配属され、以後はヤクザ映画に邁進した(笑)。このくらいの知性と教養がなければ、東映のヤクザ映画は撮れないよ、という意味だったのだと思う。

知性と教養という意味では、菅原文太と川地民夫のコンビも、まさに邂逅というべきだろう。私生活において、菅原文太は狂犬ではないし、川地民夫もサディストではない。この二人は、私生活においては学究肌と言っても良いジェントルマンだったのだ。高倉健が私生活において、スクリーンのイメージと真逆のエピキュリアンだったのと好対照だ。

知性と教養の三羽ガラスがそろい踏みすることによって、『まむしの兄弟』という人気シリーズが奇跡的に産み出されたのだ。それにしても、菅原文太には何か創造のカタリスト(触媒)的なカリスマがあるのだろう。数年後には、鈴木則文監督と愛川欽也と組んで、さらなる大ヒットとなる『トラック野郎』シリーズを産み出しているのだから。

ヤング・アナーキストは、権威・権力と名のつくものに、すべて反発する。みなしごの姉弟を親身になって面倒をみようとする婦人警官(佐藤友美)の偽善を容赦なく糾弾する。「お上(権力者)から与えられる食いものなど拒否しろ! 俺は少年院に入っていたからよく分かるんだ!」。菅原文太の鬼気迫るせりふだ。婦人警官は、「孤児院と少年院とをごちゃ混ぜにしないで」と、至極まっとうな反論をするのだが、「いや同じだ」と突っぱねる。このような不条理を乗り越えなければ、真理にはたどり着けないのだ。なんと、その婦人警官は、改心して(笑)、警察に辞表を出してしまう。

作品の舞台となるのは神戸。二大勢力の暴力団が、血で血を洗う勢力争いをくり広げている。
すなわち『仁義なき戦い』である。ふたりのヤング・アナーキストは、実に軽やかにその抗争のまっただ中に飛び込んでいく。片方の暴力団には葉山良二がいる。もう片方の暴力団には安藤昇。どちらに対しても、ヤング・アナーキストは温かく接する。どのような組織にあろうとも、人間であることに変わりはない。人間を非人間的にしている真の原因は、本人にあるのではなく、組織であり権力にあるのだ。なんと明快なアナーキズムであろうか。

葉山良二も安藤昇も、最後には殺されてしまう。アナーキズムの地平をひらくためには、暴力革命が必要なのだ。そして、革命(やくざの抗争)を終えて、菅原文太と川地民夫のヤング・アナーキストは、降りしきる雨の中、戦場をあとにする。

肩を組みながら、傷ついた体を支え合いながら、去っていくふたり。ふたりの全身に彫られた刺青が、雨に流されて消えていく。フォース(霊力)のために、苦痛に耐えながら彫った刺青が、雨に流され消えていく……。

なんと、シュールなエンディングだろうか。
魂の浄化をこれほど印象的に美しく描いたエンディングは、あまり見たことがない。

監督:中島貞夫
脚本:高田宏治
製作:橋本慶一、俊藤浩滋
出演:菅原文太、川地民夫、安藤昇
音楽:菊池俊輔
撮影:赤塚滋
編集:神田忠男

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?