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異邦人の河:忘れられた昭和の反骨精神

異邦人の河
1975年 日本映画

フー流独断的評価:☆☆☆☆

1975(昭和50)年に公開された『異邦人の河』。あれからほぼ半世紀を経た令和の日本において、『異邦人の河』と同等の反骨と反権力のパワーを持った映画を撮ってみろと言われて実行できる映画人が何人いるだろうか。もしそれだけの気概を持った映画人が絶滅せずに生き残っているならお目にかかりたいものだ。

1975年当時は、現在とは比べものにならない現実があった。韓国においては、朴正熙大統領の圧政が続いていた。映画の中で韓国から逃れてきたジャーナリストを演じる中村敦夫が、ジョニー大倉が演じる在日の青年に「これを読め」と本を渡す場面が出て来る。その本が、金芝河の『民衆の声』である。金芝河を覚えている人がどれほどいるだろうか。韓国の民主化運動の象徴であった詩人であり活動家である。『異邦人の河』の頃は、死刑囚として投獄されていた。日本における在日朝鮮人への差別は今とは比べものにならないくらい激しくあからさまだった。

日本人には、自らの歴史、特に自らの負の歴史を顧みて総括しようとする責任感が欠如している。社会的に深刻な問題を積極的に解決しようとする意思などさらさらなく、個人のレベルにおいても差別の中でもがき苦しむ人々に救いの手を差し伸べようとする者など皆無と言って良い。しかし、これだけははっきり言っておきたい。1975年当時においては、そのような閉塞的な状況を打破しようとするエネルギーが存在したのだ。『異邦人の河』は、そのようなエネルギーの噴出の一現象だった。現在の日本にはそのエネルギーすら見当たらない。状況はより深刻であり絶望的である。

矢沢永吉と共にキャロルを牽引し「燃え尽きて」解散した直後、ジョニー大倉は本名である朴雲煥として本作品に出演している。彼はキャロル解散後、歌手および俳優として活動することになるが、その後の歴史が証明しているように、あの時点で文字どおり見事に「燃え尽きて」しまった。結局、キャロル時代ほどインパクトのある楽曲を書くことも歌うこともなかったし、俳優として本作品ほど迫真の演技をすることもなかった。

相手役の大関優子はその後、佳那晃子と芸名を変えて『魔界転生』で妖艶な演技を見せることになるが、本作品では清楚で意思の強い女性を演じている。どちらが彼女の本性なのか。女は本当に恐ろしい。

馬渕晴子、中村敦夫、宇津宮雅代、河原崎長一郎、常田富士男、米倉斉加年、小松方正、藤田敏八。若い主人公二人を支えるのは、これらの錚錚(そうそう)たる俳優たちである。当時は、良心と責任感を持った映画人が存在していたのだ。「ギャラ」のためではなく、映画人の魂のために出演したこれらベテラン俳優たちの心意気がひしひしと伝わってくる。

今この作品を観るとレクイエムの響きを感じる。監督の李学仁は、52歳で亡くなってしまった。ジョニー大倉は、62歳で亡くなってしまった。佳那晃子は、くも膜下出血を起こし闘病中と仄聞(そくぶん)する。出演されたベテラン俳優陣には、すでに鬼籍に入られた方も多い。アルコールを友とし、無頼の生活を愛した人が多かったと言うことだろうか。それもまた良いではないか。自由、平等、博愛を犠牲にして、繁栄だの安定だのと言いながら享楽の中で惰眠をむさぼって何が人生だ。そんな手厳しい叱咤の声が、先に旅立った先輩から飛んで来そうな気がするのだ。

監督:李学仁
脚本:李学仁
製作:中村敦夫、李学仁
出演:朴雲煥(ジョニー大倉)、大関優子(佳那晃子)
撮影:アン・スンミン
美術:篠川正一
音楽:ジョニー大倉
録音:安田哲男
照明:野村隆三
編集:鈴木晄


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