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目で見て口で言へ(演劇篇)15本目「罷る者等の卑小な聲」

富士見台のアルネ543でとりのこいろ「罷る者等の卑小な聲」Bチームを見て来ました。

この世に存在する異様な現象を調査し、管理するHARPと呼ばれる施設がある。
その中では、「研究員」と「職員」に分かれ、様々な研究、調査を進めていた。
彼等、彼女等は異様現象を起こすソレを「オブジェクト」と呼び、ソレと共に日々を過ごす。
特殊な施設「HARP」
然し、人間にとって「オブジェクト」は未知なモノにすぎないーー

劇団の前作でも扱ったらしい謎の組織HARP(チラシでこの文字を見た時に、あの陰謀論界隈で有名なアメリカのHAARPを連想しました)の創設者富松(と書いてトマツと読む場合もあるんですね)がいわば狂言廻しとして1983年と2020年を行き来しながら組織と世界の変容を描いているのかな、と思ったことでした。

物販で文庫版台本を販売していて、その中に物語の詳細な設定なども記載されているらしいのですがーーもう少し芝居本編でそれを明らかにしてもよかったのでは、と思いました(その方が台本購入への流れになりそうな)。富松は装着している腕時計用のデバイス(ただの機械でないことは後半明らかにされます)を使って時間を移動するわけですが、その二つの時間の「違い」(舞台上での)がほとんどわからない(それが意図したものだとしたら、そうする理由がわかりませんでした)。というか、ほぼ全ての登場人物たちの存在であったり彼らが発する言葉であったりが、どうも紗幕の向こう側から見えたり聞こえたりしているようで、HARPの機構であったりとか、研究員たちが具体的にどんな研究をしているのか、それぞれ社会から弾き出されたらしい職員たちは何をしているのか、そもそもこの人たちの「日常」はどんななのか、詳しく描く必要はなくてももう少し匂わせてもらいたかったです。謎の組織を外側から描いているのではなく、その組織の構成員の視点から描いているので。

ぼんやりとした会話の中でぼんやり深刻なことが起こりつつあって、それに対してぼんやり対処してーーという物語の流れが、舞台装置だとかとても好ましかった(あの四辺の足元に仕込まれた蛍光灯?の間接照明は素敵でした)だけに、ちょっと残念でした。観客としても、ぼんやりと「なるほどー大変なことが起きているのねー」という感想しか湧かず。そう、だから残念でした。

HARPの中の人物たちのキャラクターはそれぞれ面白かったし、特に3人組の職員たちがオブジェクトの干渉を受けて変容しながら「逃げている」シーンは(役者さんたちは大変だったでしょうが)とても大化けする可能性を秘めていたと思います。

また、富松が時代を行き来するという設定はなかなか危うくて、物語としての整合性をとるのがかなり難しかったのではないでしょうか。時間を扱うことの難しさに加えて、フィクションの世界で天才を描く困難さ、を痛感しました。

タイトルにある「罷る」はいろんな意味がありますが、お話の内容的に近いのは「死ぬ」の謙譲語、しかも現代では使うことのあまりない、古語、でしょうか。劇中には他に特に古語的言い回しがなく、タイトルのみに出てくるのもーーなんというかーー勿体無いなあ、と思いました。

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