SDGsに潜む危険

SDGsというのは、Sustainable Developmental Goals。持続可能な開発目標のことをいい、国連が2015年9月に採択したものです。あれから6年が経ち、当初の具体的指針の達成である2030年まであと9年。17の世界的目標、169の達成基準、232の指標をさらに具体化していくことです。

この目標に対して大学生の関心はとても高いものがあります。わたしが2011年から10年間、関東と関西の5大学で経営学を担当していてもはっきりわかりました。600回登壇し、約1300人の学生と対話をしてきました。

授業の中では、企業の紹介を通して何をテーマに研究を進めたいかを問うものでした。ベトナムの学生は、太陽光パネルを使った再生エネルギーを研究したいといってきました。別の学生は、動物愛護について高い関心がありました。環境破壊、男女平等といったことをとり上げればそれなりに関心を示してくれました。

しかしながら、この社会課題は、今の大学生(18~22歳)の方たちが取り組むのは難題すぎます。そして難題すぎるが故におそらく65歳までどれも解決の目を見ないであろう。そんなことがわかってきましたので、この中でひとつひとつ紹介します。これらの問題に時間を多大に使うことはちょっと感心せず、もう少し別のことに取り組んだほうがいいのではないかという問題提起をしてみます。

わたしのnoteは主に大学生向けに書いています。そしてテーマからいって経済学部か工学部に所属する学生の方々です。ですので一般の社会人の方にとっては単純化しすぎるというご指摘はあるのかもしれまん。それを承知で述べてみます。

気候変動

まず、気候変動です。SDGsの13番目にあり、気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じるとあります。これは、どう考えても緊急な対策を講じるようにはならないでしょう。というのは、この記事を読んでください。

記事によると温暖化が進み産業革命前よりも1.1°上昇したとあります。それは、近年、二酸化炭素排出が急速に進んだことにあります。これはだれもが認めることでしょう。ノルウェーの科学者によると今日、すべての二酸化炭素の排出を一斉に止めても数値で測定できる効果は、2033年までは現れないといいます。10年以上効果なし、そして排出を一斉に止めるというのは、無理なことです。現実的ではありません。

さらに続けます。毎年5%づつ減らしていってもはじめて効果が出るのは2044年、23年後と説いてます。現在、コロナ過で二酸化炭素排出はかなり抑えられています。ですが、その率は4~7%だといいます。これだけ自粛してこの率ですから、毎年5%抑制することがどれだけのことか想像できるでしょう。経済活動をそこまで抑制できないでしょう。

図は、この70年で炭素の排出が5倍になったことを表してます。

次に投資家による企業への圧力です。なかでもESG投資というのをよく聞くようになりました。直観的にどうでしょうか。気候変動をお金で解決できるのでしょうか。お金をやるから二酸化炭素の排出を抑えなさい。二酸化炭素の排出を抑えなさい、さもないとお金はださない。こういったメッセージに対して会社の役員はどう受け止めるでしょう。こういったものに対してそれほど気にはしないでしょう。

ESG投資の中で最大の懸念は、ファイナンスの役割を誤解しているのではないかということです。金融の大前提は富の再分配です。ただ、投資活動は、リターンがまずあって成り立ちます。グリーン・ファイナンスでリターンがどのくらい期待できるでしょうか。ベンチマークである日経225やS&P500よりも高いリターンが期待できるでしょうか。それらを上回ってこそ投資活動としてはよいのではないでしょうか。

投資期間と信託手数料についてもいえます。他にもっといいリターンのものがある。例えばアメリカのテクノロジー企業。それらの銘柄を含んだ投信よりも長い投資期間がかかる。リターンもそれほどではない。そのような投資に向かうでしょうか。

アップルの時価総額は200兆円。グーグル、フェイスブックは、100兆円越え。そしてネットフリックスは、18年で株価を500倍にしました。どうでしょう。そして、グリーンファンドといわれる投資信託の手数料はどうなっているでしょうか。指標を含めて信託をつくっているが故、ノーロードにはなっていないのではないでしょうか。

他のものよりもリターンを得るのに長くかかる。そして手数料も上がるとなったら投資家にとって実質リターンが減ってしまうかもしれません。さらなる懸念は、世界最大規模の年金である日本の国民年金の運用がESG投資に向けられていることです。ESG投資はそれほど運用実績を出しません。

そして最後に事業会社です。温暖化に歯止めをかける。そのために二酸化炭素の排出を抑える。事業会社は経済活動に注意を向けなければならない。ところがこのようにSDGsに取り組んでいるといっている企業が実はきれいごと、見せかけだけということがあるようです。企業にとっては、これに乗じてうわべだけの広告をすることもできます。

例えば、会社の年次報告にSDGsのロゴを加える。ホームページにロゴを貼る。ところがやったことといったら、それだけでなんの抑制もしていないということがありえます。

わたしが、15年前に勤務していた会社は、そこそこ社会活動に熱心でした。CSRといって企業の社会的責任というのを表明していました。ところが、2010年くらいに年商3,000億円の売上があったものの、CSRに計上された予算はたったのたったの11万円でした。100万円ということはありませんでした。

大学生の皆さんはどう取り組みをしますでしょうか。わたしのいいたいことは、なにも効果が期待できそうもないことに取り組むのはどうか。解決の目を見ないものをどう解決していくか。怪しい投資や企業の見せかけに勉強の時間を使うのはどうか。先代のひとがやってしまったことを解決するのは自分たちなのか。そのようなことに時間を使うのは危険ではないかということです。

男女平等

わたしが男女平等について話を聞いたのは40年前です。そのころ大学に入って間もないわたしには男女間格差というのがどうして問題視されているのかよくわかりませんでした。人権問題にそれほど向き合っていなかったのでしょう。

大学は、名古屋市にある小さなカソリックの私立大学で、1学年で180人いる学部の8割は女性でした。女性のほうが成績がよく、男性はややひけを感じておりました。そんなこともあり、格差などない、むしろ女性のほうが優位でした。

その後、アメリカ留学から帰ってきてスイスの投資銀行に入行し6年勤務しました。在籍中は、株式と経済を扱う調査部で20人で構成されていました。いまは、他の銀行と合弁し、UBS(United Bank of Switzerland)に変わりました。そこでは、日本人の男性はわたしひとりでした。とても男女間格差があるようには見えません。その後、アメリカのビジネス・スクールに留学し、人種、国籍、性別、年齢、まったく同等に扱われていました。

大学卒業から40年、大学院卒業から30年が経ち、男女間格差はどうなったんだろうと振り返りました。日本は、149ヶ国中、121位というランキングに唖然としました。では、はじめて聞いた40年前は何位だったのだろう。大学院を卒業したころは何位だったのか。おそらく、下位のほうであったのでしょう。では、この40年なにをしていたのか。なにもしていない。

出典:内閣府 共同参画ホームページより

そしてこのランキングを発表した、World Economic Forum、通称ダボス会議によると男女間格差を是正するには、135年以上かかると予測しています。40年かけて121位で、ここから是正する、つまり、50%づつにするのにさらに135年かかるというのはどういうことでしょう。つまり、解決しようにも途方もない時間がかかるということです。

勇敢な人たちはいいます。この問題を解決するには3つ必要である。ひとつは、組織の構造を変える、ふたつめは文化を変える、そして男性の意識を変える、と。ひとつひとつ、現状を把握してみます。

構造的には、女性の社会進出は進んでいません。管理職、つまりマネージャーといわれる課長以上に女性がしめる割合はたかが15%です。また、役職である役員にしめる割合はたったの11%です。これをそれぞれどうやって50%に持っていくのでしょうか。これほど企業統治(Corporate governace)というのがとり上げられているの昨今です。スチュワードシップ・コードが施行されてすでに7年が経過しています。それでこの程度なのです。上場企業に是正をする気がないのです。この統計はこの記事からです。

文化を変える。それは会議において発言する機会を男女において平等にするということと言えます。男性が発言する時間と同等にする。また、重要なビジネス上の決定も女性にさせる。発表も平等に。そういうことが起きているでしょうか。文化という曖昧な表現でなく、それをなるべく数値化して平等になっているかを測定しなければならない。そして役職がつけば当然指示をするわけですからそのような環境に持っていかなねばならない。どうもそうしているとは考えにくい。そもそも大学で男女、混ざっていますか。

最後に男性は、そこにいるだけで優位になっている、差別をしやすい環境にあるということ。それを是正するということです。男性の方は、職場にいてそのようなことを意識しているでしょうか。

わたしが17年前に商事会社で働いていたころです。ある役職ある男性社員は若い派遣社員を膝の上にのせて(権力を誇示している)と聞いたことがあります。それをはじめて聞いたとき、そんなばかなことはない、名の知れた一流企業のしかも学歴の高い商社マンがそんなことをするわけはない。

ところが事業部である歌手(i.e. 西城秀樹さん)を招待したパーティが明治神宮のBBQ会場でありました。そこでは、ほとんどの事業部の職員がおいしい食事と楽しい歌にありつけると騒いでいました。宴会も盛り上がって、さて帰ろうかなと振り返ると、ほんとうにわたしの所属する上司が同じフロアで働く派遣社員を膝に載せていたのです。こんな程度の意識です。

これらの問題は社外取締役が男性役員にいうしかないでしょう。役員に向かって、「男女間格差をなくしましょう、管理職に女性をもっと多く就かせてください」と。膝に載せないでは論外です。ところがこれには二つ問題があります。

ひとつは、社外取締役を事業会社が雇っている現状なのです。もちろん謝金も出します。ただ、株主を代表してきているわけではありません。わざわざ、男女間格差に敏感な社外取締役を事業会社が雇うでしょうか。自分で自分の首を絞めるようなものです。日本の株式の持ち合いは32%にもなります。持ち合いというよりは、馴れ合いとっていいでしょう。つまり、見せかけの社外取締役です。もうひとつは、たとえ平等にしても業績が上がるわけではありません。男女平等と業績アップは相関していません。そこを突かれると社外取締役もなかなか主張しつづけるのは難しい。会社の究極の目的は、収益を上げることなのです。

さてここまで難題で複雑な企業組織の問題を18~22歳の学生の方が解こうというのに無理があります。これに対して果敢に挑戦し、わたしはやってみせると豪語するのもいいでしょう。いかがでしょう、過去40年進展せず、これから途方もなく延々と135年もかかるようなことに挑まなくてもいいのではないでしょうか。現実はなかなか進んでおらず、進んでいかないのです。

動物愛護

動物愛護というのは、大学生にとっても親近感のあるところでしょう。わたしが担当した経営学の授業を受講をしてくれた学生の中にもいました。わたしの授業では、自由に会社を選んで、得意なテーマで研究してくださいとしました。するとどうでしょう。学生の関心は、だいたいこのようなものでした。テーマパーク、化粧品、ファッション、ゲーム、スマホ、そして自動車。

これらの中で化粧品のメーカーの発表はほとんど毎年ありました。その際、ときどき発表をしてくれた学生と聞いている学生に対して、やや意表を突くような質問をしてみました。動物実験というのを聞いたことがありますか、というのです。すると学生の反応は、この人何をいっているんだというような顔つきになります。実は、化粧品メーカーは、新製品の開発にサルを使っています。試作品を使うと肌が荒れるのかどうかを実験しているのです。これは資生堂の年次報告にも掲載されています。

ここ回では、サルを使った動物実験をはじめ、ゾウ、クジラ、そしてニワトリといった動物愛護がビジネスをどれだけややこしく、物議を醸す話題にしてして、ときには不快を振りまくのかを書いてみます。

欧米でもドイツ、フランス、そしてアメリカのリベラルな地域、ボストンからニューヨークまでの東海岸、そしてカルフォルニアの西海岸北部、それら比較的裕福な地域では、動物に人並みの権利を与えようという動きが広がっています。この動きの流れに沿えば、そろそろ動物実験はやめよが出てきます。その中で医療用の実験にサルを使うのはやめよという問題提起があります。

その主張の背景には、まず、医療のような苦痛を伴う実験において、動物から同意を得られない。同意がないのに実験によって苦痛を与えるのは人道的、倫理的に正しくはない。これは理解できます。

実験用のサルは、中国からアメリカに輸出されてきました。ただ、この輸出が2016年の20,000匹から急減し、2019年にはほぼゼロになっているのです。サルを使った実験に待てがかかっているのです。

Source: The Economist, "Attitudes towards experimenting on monkeys are diverging", Jul 24th, 2021

さらには、実験には、科学的方法によりサルを使わずにコンピューター・シミュレーションや場合によっては人を使うことによって薬を開発できる。代替手段があると主張します。また、目的もはっきりとしない医療用実験に使うのはよろしくないとする識者がいます。

さてこのように主張をするひとたちにとっては日本や中国は批判の標的になりえます。川崎市に公益財団法人実験動物中央研究所があります。ここでは理研の科学者と協力して遺伝子の組み換えによってつくられたマーモセットを実験に使っています。この実験は続けられるべきでしょうか。

わたし自身はできればやめよう。中国に移管したほうがいい。中国内で治験づみの薬物を使うほうがいいという立場です。ところが動物愛護というのを激しく主張する人たちにとっては許すことができない。そうすると他の動物にまで主張が及ぶことがあります。

千葉県の私立大学内で情報セキュリティの講習を受けました。その講習には、千葉県警察本部から職員がやってきてサイバーセキュリティについて現状を話してくれました。警察本部にもどこからかサイバー攻撃がある。そして千葉県館山市のクジラの漁港にある非営利組織(NPO)にもサイバー攻撃がしかけられているとのことでした。それによりホームページはしばらくの間ダウンし、漁港の機能不全になったとのことでした。いきなり予告もなく攻撃をしかけるというのはどうなんでしょう。

ちょっと変わった人が多いのも事実です。私の住んでいるマンションで2階のバルコニーからタバコの吸い殻を1階の庭園に不法投棄しているという苦情がありました。マンションでは、ペットを飼ってはいけないことが管理規約の細則で定められています。にもかかわらず、ペットを飼っており、そのフンをしまつしない。それはいかがなものかというのが管理組合の議題になりました。常習性があるため、それを管轄の警察署内にある生活安全課に相談に行ったことがあります。刑事の話はふたつでした。

ひとつは、話は聞くが、いまはそんなことを捜査はできない。こういった生活安全に関わる相談が毎日20件ある。それを聞いて、では年間6,000件あるのか、と問いました。そのとおりと返ってきました。どうしてもというのなら捜査する。しかし、犯人特定のため、吸い殻についた唾液をDNA鑑定する必要がある。それには30万円かかるがどうするというものでした。

もうひとつは、千葉市の管轄にある警察本部では、毎週のようにいかれた人が強制入院している。毎週ですから、年にすれば50人います。執行するには千葉県知事の署名が必要になるとのことでした。

話はニワトリにまで及びます。あの卵を産むニワトリ、そのニワトリたちに対してエサを人間らしく与えたほうがよい、そのためには、あのような家畜扱いでなくもっとまともな養鶏場にしなさいという圧力が農家にかかるのです。農家にとっては、借金をして、養鶏場を改築するお金は抑えたい。そうすると農林水産省の官僚になんとかならないかと頼む。

そうして官僚が中にはいって農家と圧力団体をうまくごまかすようなことをするとお金が手に入るのです。農水省の元官僚が200万円の賄賂を受け取っていたという報道がありました。その官僚は、あれは政治献金であったというとぼけたことをいっていました。法律のもと、官僚として何をしなければならないかがわかっていればあのようなことは起こらなかったはずです。

東京都新橋で卵かけご飯を食べることができます。新橋はサラリーマンの町。仕事で疲れて立ち寄ったお店で食べる卵かけご飯。好きな人にとってはほんのひとときでもたまらない。ところがいままで190円であったのが、いつのまにか200円。210円と少しづつ上がっていくのです。

動物愛護からくる現状は、いかがでしたでょうか。これは、気候変動、男女平等よりは早めに決着がつきそうです。ただ、学生にとっては、身近であるが故、吐きそうになるほど不快な話にはならないでしょうか。友達つくりのほうが大切です。どこまで正義感をもって取り組めるでしょうか。不用意に深入りしないほうがいいでしょう。もちろん用意があるのならば止めないです。ただ、関心があるのはビジネスであって、法律というわけではないでしょう。それだけ危険が伴うのです。

環境破壊

環境破壊については、わたしがコカ・コーラに勤務した経験をもとに話をすすめます。

30年前には、炭酸飲料の容器廃棄について問題視されていることはありませんでした。社内会議において議題になった記憶はありません。当時は、アメリカのウォーレン・バフェットがアメリカのコカ・コーラの株式を大量に取得。株主資本主義を追求する経営でした。その経営は利益をしぼりとることにつきます。

飲料メーカーの容器で工夫することといえば、できるかぎり軽く、丈夫に、そして大量にということです。物流の中で配送、つまり、ロジスティクスでいえば、重量勝ち、かさ勝ち、それを追求します。そうすれば、売上がのびるだけでなく、トラックの寿命も延びるため、長い目で見れば費用を抑えられます。

そのため、コカ・コーラは、利益追求のため容器を変えていきました。鉄製からアルミ缶へ、そしてアルミ缶からペットボトルへ。鉄は、丈夫ですが、とにかく容器として重い。そして硬く、保温力があるため、今ではコーヒー缶くらいにしか使われていません。そしてなにより製造、素材コストが高い。ある社員の話では、350ml、100円として30%が容器コストにかかっていたそうです。そうなると製造、配送をするボトリング会社にとっては利益が出せない。

そうするとアルミ缶のほうが軽くていいのではないか、ルートトラックに乗って配送をする営業マンにとっても荷物が軽くなれば、疲労が若干おさえられるため、一日のルートセールス、つまり、自動販売機に容器をつめる量が増えるのではないかということではじまりました。それで製造工場のラインを変更し、1分間で1,200缶を製造するように変更したのです。わたしはどうやって素材を調達し、製造ラインの改変をしたのか、これはミラクルに近いと考えながら仕事をしました。実はたいへんな作業なのです。

その後もっと安く、そして当たってもくしゃけないペットボトル容器というものが浸透していったのです。このペットボトルは熱処理をして空洞をつくり、中を膨らませることによってあのような形にするのです。おそらく製造ラインでも事故が減ったのではないかともいわれます。ところがこのペットボトルが海面や川に捨てられているこれは環境破壊だ、そして生物の生態系をくずすという問題を指摘する動きが出てきました。

これは、飲料メーカーにとっても容器開発の限界です。消費者の無理解によるエシカルな消費が期待できない。この現状においては憂慮すべきことです。ビジネスを展開するメーカーが消費者に注意喚起する。キャップをはずす。広告ラベルをはがす。正しく廃棄しよう。廃棄するには必ずリサイクル処理をしようと言い続けるのは無理がでてきました。消費者個人のマナーの問題です。

とはいっても個人でコツコツとできることがあります。千葉県の柏市で19年間ひとりで道に落ちているごみを拾い続づけた人がいます。それが新聞で報道されました。町をきれいに。きれいにした後の爽快感。そんなこともあってか手賀沼ではいまでもボランティア活動でゴミ拾いをする団体のひとたちを見かけることがあります。

その手賀沼を拠点にランニングを主催しているクラブがあります。ウィング・アスリートクラブといいます。そこは、たまたま柏の葉キャンパスで行われたランニングイベントで知りました。応援に一番熱が入っていてすばらしかったため入会したものです。そこで3年位前に会長が手賀沼をきれいにしよう。そして家で飲んだペットボトルの蓋を持ってきてくださいというのです。その会長の姿勢を気に入っていたわたしはその発案にとても感心し、いまでもペットボトルの蓋を一か所に集めています。そこからやればいいのかな、と。

ときどきこんなことをして環境保全になるのかなと疑ったりしますが、やらないよりはいい。やりつづければ、いつかやっているひとたちとなにか共感できるかなと期待しながら続けています。あまり無理をせず。

さて、次回はこれまでのことをまとめ、6回目の最後で学生のひとはどうしたらいいのかということを簡単に述べてみます。

どこに危険があるのか

ここまで書いてきたことをまとめてみます。

・気候変動は解決するのか。脱炭素でいつから効果が出るのか。
・男女平等は達成できるか。女性管理職が50%になるのはいつか。
・動物愛護。推進派の主張が通り動物実験はなくなるか。
・環境破壊を食い止めることはできるか。

気候変動と男女平等は、おそらく今世紀半ばまで解決の目をみない。やってもやってもきりがない。動物愛護と環境破壊は、小さいことからはじめられる。しかしどこかでいかれポンチが出没する。そこに危険がある。

社会課題は複雑すぎて大学生(18~22歳)の方は取り組まないほうがよいでしょう。それがこれまでの主張です。そもそもこの主張を展開するには二つの理由があります。それは、問題解決を考えるうえで大切なアプローチがあるからです。

安宅さんがイシューからはじめよを出版しました。あれは問題解決を目指す方、特に経営コンサルタントになりたいひとにとって指南本。すぐれています。あの本を6年前に見たとき、ここまで開示していいのかという印象を持ちました。ひょっとしたら経営コンサルタントの仕事が幾分減るのではとも。わたしの懸念は当たりませんでした。

その本の中では、まず問題解決をする前によく考えようということが書かれています。まず問題をつくること。つまり、問いを磨くことをしてくださいという主張です。そして、つくった問いは解けるのかどうか。解けない問題を解いてもしょうがない、価値のないことが世の中、山ほどあるという指摘でした。なるほどとうなずきました。

その指摘は的を得ています。では、社会課題にこのアプローチがどのようにあてはまるでしょう。気候変動と男女平等は、解決までには途方もない時間がかかります。途方もないことに取り組んでもしかたない。しかたがないというのは、あきらめるということではなくて、深入りしていたずらに問題をさらに複雑にして解けないようにしないということです。

解けるのかどうかとうのは、専門の識者に聞くしかありません。大学生であればゼミの先生に聞くのがよいでしょう。そのためのゼミですし、それを提供しているのが大学です。大学に通うためには、いくばしかのお金がかかります。

あるフィナンシャル・プラナーによるとオール公立で770万円、オール私立で2200万円の教育費がかかるといいます。20年続けたとして、毎月にすると公立で3万円、私立で9万円がかかります。

一般家計は、コロナ過で将来に備え、家計消費を抑えはじめました。元農水省の統計担当によると25万円の消費支出を5万円程下げて、20万程度にしているのです。

読者の皆さんは、大学生で現在は秋学期がはじまっているはずです。大学で4年間学べるというのはとても恵まれています。4年後は大学で学んだ専門を活かして就職するわけです。経済学ならファイナンス。工学部であれば、データ・サイエンス。

その中で不用意に社会課題を実生活に持ち込み、ややこしい課題に取り組むのは好ましいことではありません。ビジネスと社会課題は切り離すことにしましょう。

どうしたらいいのか

大学生はどうしたらいいか。わたしがいま大学生であったらどうするか。そんなことを述べて締めくくります。ひとことでいうと解決に向けて行動はしないが、理解は十分にしておくことです。そのために使う時間は、週末3時間、そしてお金は使わないこと。

気候変動、それによる温暖化は、考えるととてもつらいもの。ひとによっては腹立たしいものです。ただ、怒ってばかりいても仕方ない。そこでできるかぎりのことをするしかないです。毎年、7月~9月の夏季は災害が発生している前提で過ごす。身体を対応させる。室温は28度以下では過ごさない。30度を超えたらはじめてエアコンをつける。つけすぎないようにしてできるかぎり扇風機で過ごす。わたし自身そうしてます。

新霞が関ビルの19階で働いていた頃。その頃はエアコンがガンガンについていました。欧州から来ている人が多いためでした。朝からひんやり、そして夕方まで。最初はブルブルと震えていたものの、そのうち身体が慣れてしまった。そうすると暑いところに出たくなくなる。両足がむくんでいきました。身体が水分を循環できなくなります。

汗をかける体づくりをする。2日に1回は、夕方30分~1時間、歩くか軽いランニングをして汗をかく。意識して体を疲れさせる。寝る1時間前にお風呂に入って、遅くとも夜10時前に寝る。これを3年続けてみる。これを習慣化するだけでも健やかになれるでしょう。

食事にも注意。太っていれば、暑さに弱くなります。夏には、動きがにぶくなります。やせすぎていれば、寒さに弱くなる。冬には動けなくなる。保温機能のある脂肪量によります。冬に向けて少し体重を増やし、夏に向けて減量する。年間3キロくらいの幅を意識するといいでしょう。

もともと3月生まれで、夏になると決まって体調をくずしていました。ところが涼しくなって寒くなってくるとどういうわけか調子があがる。年間を通して好調な時期などだれにもなく、調整期間というのはあります。そのことに気づくのに長くかかりました。身体を慣れさせることです。

男女間格差は是正されることもなく、奇跡は起こりえない。もし是正されていても幸運、あるいは例外くらいにとらえておく。差別はおこりうる。それで腹を立ててもあまり得はないでしょう。

動物愛護、環境破壊にはそれに取り組んでいる人を観察する程度でいいでしょう。大学4年間でそのことに多大な時間を使うことはよくない。

しかしながら、・・・。またしてもしかしながらです。実は、社会課題は理解しておく、学んでおくことには格好のテーマです。特に気候変動はSDGsの中でも類を見ない。他の教科である経済学や工学よりもはるかによい。なぜなら最も総合的なテーマなのです。

総合的なテーマは、長く、体系的な学習できる。歴史、社会、法律、政治、経済、地球科学、生命科学、あらゆる分野のひとたちが興味を示します。毎年、ひとつづつテーマを決めて、半年くらい集中して学んで理解を深める。それぞれの学科で使われている前提や研究のアプローチがわかるようになります。大学生の皆さんであれば、10年、いや、場合によっては、30年、学び続けることができます。

これは危機ではなく、むしろチャンスです。それが目の前にぶら下がっているわけですからつかんだほうがよい。わたしが学生であったころに気候変動の教材はありませんでした。卒業をして、10年、社会人になってからもなく、大学院でもなかった。

当時、広く学べるテーマを探していたわたしは、経営学を選んだ。ただ、どこかでより広く学べるテーマはないものか。それを探していました。探索して見つけたのは海洋法というものでした。あれほど総合的に扱うテーマはないでしょう。経営学よりもはるかに広いです。

やらないまでも長く時間をかけて広く理解はしておく。週末3時間、お金は使わないようにすれば、だれにでもできるはずです。日比谷図書館には2Fに特設コーナーがあります。大手町の丸善本店でもすぐ見つかる。

いまは、都内に出かけて仕事をすることはありません。地元の小さな図書館に出かける程度です。そこでも物事を学んだひとの成果を見てとれる。ときどきうれしくなります。毎朝、少しだけ読んで帰宅する。例えばこのような記事です。

欧米の英才教育を受けた人の文章はよみごたえがあります。切れ味がよい。ただし、このような記事はすぐには書けるようにはならない。知識、思考、文章になかなか追いつけない。よい訓練をよい場所で長期間にわたりうける。そうでないとこういった文章にはなりません。

小さいころから読み、議論し、書いていること。それを続けるといかに明晰にものを考えて書く力が備わるかです。こういった文章が書けるように訓練するしかありません。これからも訓練する時間を確保しようと決心する次第です。

欧米のエリート層は時間に対してとても厳しい要求をつきつけます。何度やってもできなければそのうちに相手にされなります。相手にされなければ、必死にこちらから努力して近づいていくしかないです。